武蔵野大学心理臨床センター
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トラウマとは

被害者・被災者・遺族とのカウンセリング | トラウマとは | 自殺・事件・事故  遺族PE(Prolonged Exposure)法とは

 「私にはこういうトラウマがある」というように、ある人が自分からトラウマという言葉を使うことがあります。そういうときには何か大きなストレスフルな出来事が過去にあって、それが現在に影響を及ぼしているというような意味で使われています。「小学生のときに失敗したのがトラウマになって」とか「その話は私にとってはトラウマなの」とか。後者の場合には、今も傷ついているためにそのことについて話したくない、という意味もこめられているようです。

  では、大きなストレスのことをトラウマと呼ぶと考えればいいのでしょうか。

  本当はトラウマとは、単なる「ストレス」とは意味が違うのです。日本語に訳せば、トラウマは「心的外傷(心の傷)」です。では心の傷とは何なのか。それを定義するのは、実は難しいことです。

  交通事故で息子さんを亡くされたお母さんが自分の心の状態について話をして下さったことがあります。その方は、白い紙をクシャクシャに丸めて手のひらの上におき、自分の気持ちは、この紙のようなものだ、と言われました。紙の形ははじめとはまるっきり変わってしまいました。手の上に静かに置いていると、クシャクシャにした紙も少しずつはもとに戻ろうとしています。でも、急に広げてしまうと紙は破れてしまいます。そして、自分が息子を亡くしてから何年もずっとその状態が続いているのだ、とそのお母さんは言われました。

  クシャクシャにした紙、それにはどういう意味がこめられているのでしょうか。

  丸められたことによって紙の状態は目茶苦茶になってしまったわけです。文字を書いたり何かを包んだりすることができなくなって、紙の機能を果たせなくなってしまっています。さらに、クシャクシャになった紙というのは、どんなに丁寧に広げても折り目が消えることはありません。そうっと広げて何とかもとに戻そうと思っても、二度と戻ることのない傷が残ります。完全にはもとに戻らない不可逆性はトラウマの一つの特徴です。たとえば、子どもを事故で亡くした場合、子どもが生き返ることはないわけですから二度ともとに戻ることはない。あるいは、事故にあった場合、恐怖の経験をしたという事実は二度と消え去ることはないのです。

  一言でトラウマを定義するのは実は難しいのですが、人間の対処能力を超えた出来事を経験して、それを経験したあとにいろいろな心身の不調が持続的にあらわれる状況と考えることもあります。

トラウマの精神医学的定義

 トラウマについて2011年現在よく使われている精神医学的定義は、米国精神医学会の『DSM−W−TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』に載っている外傷後ストレス障害(Posttraumatic Stress Disorder: PTSD)の診断基準にあるトラウマの定義だと思います。この診断基準では、次の二つの定義を満たすものがトラウマとされています。  

  一つは出来事の質の定義です。「実際にまたは危うく死ぬまたは重症を負うような出来事を、1度または数度、あるいは自分または他人の身体の保全に迫る危険を、その人が体験し、目撃し、または直面した」とあります。この複雑な文章をこのままですんなり理解できる人はたぶんいないでしょう。ここで言っていることは、まず、あることを体験したか、目撃したか、目撃ではないが心理的に直面したかのいずれかに当てはまっているということです。どういう出来事かというと、死の危険を感じるようなこと、重症を負うようなこと、身体の保全(integrity からだの統合性)に迫る危険となっています。それは1度でも繰り返しでもいいわけです。

  もう一つは体験する側の主観的な感情についての定義です。「その人の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである」となっており、恐れ、絶望感、恐怖といった感情が体験にともなっていることが必要です。

  実はトラウマの定義は『診断・統計マニュアル』が版を改める度に変えられてきました。それだけ議論が行われている難しい問題なのです。

『DSM―W―TR 精神疾患の診断・統計マニュアル』 (医学書院):DSM(Diagnostic and Statistical Manual)は、それまで精神疾患の診断や呼称が学派や医師によってさまざまだった状況を是正するため、アメリカ精神医学会によって1980年に初めて制定された。以来5回にわたって改訂され、最新の第四版のDSM−W―TRは2002年に改訂されたもの。2011年現在、DSM−Xに向けて6度目の改訂作業中。

トラウマとなる出来事

 ではどういう出来事が実際にトラウマとなるのでしょう。トラウマをもたらすような出来事の特徴をあげてみましょう。

  1. 出来事が予測不能であること。予測できればそなえることができます。しかしトラウマとなるような出来事は、不意にやってくるし、そのあとどうなっていくかという見通しも立ちません。
  2. コントロールができないこと。自分の力では事態を操ることができません。圧倒的な出来事のなかで自分で対応できる余地はほとんどないことが普通です。
  3. 起こっている出来事が非常に残虐なものであったり、グロテスクなものであったりすること。図らずも死体や死体の一部を目にしてしまうことなどです。
  4. 自分が愛している人や大事にしている何かを失うこと。すなわち対象の喪失が起こることです。
  5. 暴力的な出来事。これは特にトラウマをもたらしやすいことがあげられます。
  6. その出来事によって起こってくる結果に対して、実際に自分に責任があると思われたり、あるいは、主観的に責任があるとどうしても感じられたりすること。

  おもにこういったことがトラウマをもたらすような出来事の特徴であるといえます。

  では、具体的に出来事の種類を考えてみましょう。

自然災害(地震や、台風や、洪水、竜巻など)

人為災害(航空機事故、鉄道事故、交通事故など)

  このような体験は自分では予測不能であるし、事態を変えると言っても自分ではどうすることもできません。実際に生命の危険があり、残酷な場面を目撃することがあります。大事な人たちがたくさん亡くなることもあるし、自分が助けられなかった、あるいは、自分だけが助かってしまった、ということに強く責任を感じる事態もよく起こります。たとえば、阪神・淡路大震災のときに、家族と一緒に生き埋めになった人たちは、自分が家族を助けられなかったこと、あるいは、自分だけが助かってしまったことについて、今にいたるまで罪悪感を感じていると思われます。

生命に関わる大ケガ

  大災害でなくても、家庭のなかで起こった事故、たとえば、沸き立ったヤカンをひっくり返して生命に関わる大ヤケドをした、といったこともトラウマの原因になり得ます。

毒物を用いた犯罪や毒物による事故の被害

  松本と東京のサリン事件、和歌山の毒物カレー事件、このような犯罪の被害もトラウマ体験となり得ます。

暴力的な犯罪被害

誘拐、捕虜、監禁の体験

  襲われたり、ナイフで脅されたり、からだを傷つけられたり、といった暴力犯罪の被害や、強姦や強姦未遂などの性暴力の被害、誘拐・捕虜・監禁の体験もトラウマとなり得ます。

児童虐待の被害

  虐待は、現在、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト(子どもの世話を放薬したり、子どもの感情を無視したりすること)、心理的虐待の四種類に分類されていますが、そのすべてがトラウマの体験となり得ます。

戦闘体験

  実は米国における戦闘体験とその精神的後遺症の研究が、現在のトラウマ研究の基礎をつくったのです。ベトナム戦争の前線で戦った兵士の約15%にPTSDが起こったといわれています。

親しい人の突然の予期せぬ暴力的な死

  犯罪事件で家族を殺されること、あるいは、交通事故やさまざまな事故で突然亡くすことなどもトラウマ体験となり得ます。

  トラウマの原因となる出来事は身のまわりにかなりたくさんあるように見えます。しかし、普段の生活のなかで起こるストレスは、現在は医学的にはトラウマとは呼びません。たとえば、離婚したり、病気で家族を失ったり、失業したり、といった大きなストレスを多くの人が体験しますが、これらはトラウマとなるような出来事の範囲には含まれないということになります。

(小西聖子)

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