平成17年4月号
いのちの花
園長 西本 照真
この度、思いがけず園長に就任することになりました。本園は昭和42年に発足し一これまでに3500名以上の卒園生を送り出してきました。来年は開設40周年の節目の年を迎えようとしています。歴史と伝統をもつ幼稚園の園長としての責任を感じています。
本園は仏教の精神に基づく宗教的情操教育を幼児教育の基礎に置いており、その教育目標の第一には、「ほとけの心をもった子どもに」と掲げられています。「ほとけの、心をもった子ども」とは、仏さまの願いの中に力強く生きる人間のことです。仏さまの願いの根本には、「生きとし生けるものすべてが幸せであれ」という願いがあります。
『スッタニパータ』というお経には、次のようにあります。「いかなる生物生類であっても、おびえているものでも、強剛なものでも、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、徴細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」
ところが、私たちの感じる「幸せ」は、ともすれば比較・競争の中にありがちです。 「うちの子」と「よその子」、「うちの先生」と「ほかの先生」、「うちの園」と「ほかの園」、お互いを比較して「うち」の方がよければ「幸せ」です。お互いに競争して「うち」の方が勝てば「幸せ」です。しかし、このような幸せを追い求めていると、いつまでたっても心が穏やかに安らぐことはありません。
春爛漫、タンポポはタンポポなりの、桜は桜なりの花をいのちの限り咲かせています。本園も新入園児をお迎えし、新しい年中さん、新しい年長さんとともに、色とりどりの花が咲きそろいました。どうかお子さまにも、かけがえのないいのちの花を咲かせている喜びを育ててあげてください。そして本園を喜びに満ちた花いっぱいの園にお育てください。
------------------------------------------------------------------------------------------------
平成17年5月号
一日一回のギュッ
園長 西本 照真
草も木もすくすくと伸びる五月です。新しい年度が始まり、瞬く間に一ヶ月が過ぎようとしています。最初は登園の時に泣いていたお子さんも徐々に園生活に慣れてきつつあります。午前の保育が終わればお母さんがお迎えに来てくださるという安心感、それまでの間、園では先生方が優しく母親のように自分を包んでくださるという期待感、これらが子どもたちの不安感を軽減させていき、やがて年少さんの人生最初の旅立ちは成功していきます。あせらず、あたたかく見守ってあげてください。
昔、中国のあるお坊さんがお師匠さんの所に相談に行きました。「私の心はとても不安定です。どうか安心させてください」「よろしい、あなたの心を持ってきなさい。安心させてあげよう「(しばらく考えた挙げ句)これが私の心だと思ったら、次の瞬間にはもう他のことを考えています。つかみ所がありません」「その通り!これぞ心の本性。それがわかったならもう安心だ」
なんともつかみ所のない問答ですが、私たちの心は、親も子も教員もみんな不安定です。昨日まで泣いてばかりいた子どもさんがニコニコと園生活にとけ込んでいったり、逆にそれまで楽しく通っていたのに大型連休が明けてみると不安を訴え始めたり・・・。心だけではありません。身体もそうです。年度初めの緊張感と疲れから微熱を出したり、これまでどんどん増えていた体重がちょっぴり減ったり、新しい生活と環境の中で、心も身体も大忙しなのです。そんな子どもさんの変化をご覧になり、親御さんの心も一喜一憂、大忙しだろうと思います。でも、こんな時期だからこそ、ご家庭においては「心を亡くす」(忙)ことなく、変わらぬやさしさと愛情で子どもたちの心と身体をギュッと抱きしめてあげてください。一日一回のギュッが、また明日の園児たちを元気にします。
------------------------------------------------------------------------------------------------
平成17年6月号
元気のもと
園長 西本 照真
五月晴れの季節も終わり、アジサイのピンクや紫が雨に映える季節を迎えようとしています。草木は雨に濡れることを喜びますが、私たち人間はこの時期、身も心も湿っぽくなりがちです。どうかお子さま方の体調管理に気をつけてあげてください。
毎週木曜日にお朝拝がありますが、園児たちへのお話の最近のキーワードは「元気の元(もと)」です。子どもの日が近づいたある日のお朝拝で、「みなさんの元気のもとは何ですか?」と尋ねました。「鯉のぼり!」「かぶと!」などの答えが元気よく返ってきました。年長さんの手形の元気印がしっかりと刻まれた色とりどりの鯉のぼりが、園庭の空高く泳ぐのを見て、年中さんや年少さんも「元気のもと」をいただいたのでしょう。
毎日の食事や睡眠、遊びや勉強、トイレや入浴、みんな「元気のもと」です。園庭での砂場遊び、ロープウェイ、ブランコ、鉄棒、おにごっこ、・・・。子どもたちは尽きることのない心まかせの遊びの中で元気を発散させます。思いっきり発散して空になると、バタン、キュー。そこにおいて再び新たな気(元気)が満ちてきます。お母さんのギュウも、お父さんとのマジレンジャーごっこも、おじいちゃん、おばあちゃんの無等のやさしさも、幼稚園の先生方やお友達との交わりも、みんな「元気のもと」です。
このように「元気のもと」を数え上げていくと、限りがありません。「元気のもと」は「いのちのもと」ともいえます。「仏さま」のことを「無量寿」とも言いますが、私たちはまさに無量のいのちのもとをいただきながら生きています。園児たちには、お朝拝の時に「南無阿弥陀仏」とお称えするのは、「仏さま、元気のもとありがとう」という意味なんだよ、と話しています。人も自然も環境も寄ってたかって、一人一人の園児に「元気のもと」を与えるべく働きかけています。それらの「元気のもと」を思う存分吸収し、ゆっくりと年輪を刻みつつ、太いいのちの幹に成長していってほしいと思います。
追伸:前園長の今村浩明先生のお骨折りにより、園のホームページが更新されました。この場をお借りして、感謝と御礼を申し上げます。
------------------------------------------------------------------------------------------------
平成17年7月号
大鵬の飛翔
園長 西本 照真
職員室に、ワイワイ、キャーキャーと歓声が聞こえてきます。プールサイドに駆けつけてみますと、案の定、子どもたちは大喜びでプール遊びを楽しんでいます。水鉄砲や如雨露で水をかけ合って大はしゃぎです。水は、しなやかで、やわらかく、子どもたちの心を無心の世界へと解き放ってくれます。
『老子』は、柔らかで、一見すると弱きものの代表として、水と子どもを挙げています。しかも、その柔弱なるものが実はとてつもない可能性とパワーを秘めている。最終的には「柔弱は剛強に勝つ」というのです。「人の生まるるや柔弱、その死するや堅強なり」(生まれた時は柔らかでグニャグニャ、死んだらカチカチ)と言うごとく、柔らかで、みずみずしいしいものの中にこそ、無限の生命力がたくわえられているのです。
子どもたちが自らの生命力をどのような方向へ発揮していくか、それは基本的には子どもたち自身の仕事です。同時に、器がないと水が形をなさないのと同様、親や教師がある程度の器を準備することも必要です。規則正しい生活習慣や道徳意識、挨拶の習慣などを身につけさせることが器の準備に相当します。必要以上に堅い器を準備すると子どもはその器以上には成長できなくなりますし、放っておくといつまでも形をなさないままで終わってしまいます。両者の兼ね合いが教育の一番難しい所ですが、親も教師もそれぞれの子どもの発達段階に応じた、伸縮自在で柔軟性のある器を準備できればと思います。
大鵬(たいほう)という鳥をご存知でしょうか。もともと北の海深く潜んでいた鯤(こん)と言う名の魚でした。水の中を自由に泳ぎまわり、パワーをため込んだ鵬は、やがて翼が生え、空高く、9万里の上空まで飛翔して大鵬になったといいます。もうすぐ夏休みを迎えます。山河大地、自然の中で、のびやかに泳ぎまわった魚たちが、夏休み明けに、いったいどんな翼を生やして登園してくるか、今から楽しみです。体調や安全に充分気をつけていただき、ご家族でどうかよい夏をお過ごし下さい。
------------------------------------------------------------------------------------------------
平成17年9月号
動物であること、人間となること
園長 西本 照真
毎日、三輪、四輪と先を競って咲いていた朝顔も、次第に咲く数が少なくなり、摘み残した花の元からはしっかりと実が膨らんできました。自然の営みは暦よりも先に、違うことのない季節の移り変わりを気づかせてくれます。いのちが実りゆく秋の訪れです。
夏休み前、子供たちと三つの約束をしました。「早寝早起き」、「モリモリご飯を食べる」、「外で元気に遊ぶ」です。寝ること、食べること、活動すること、これらは動物として生きていくための基本です。現代人は、睡眠時間を削り、ダイエットをし、家の中に引きこもり、動物であることを忘れたかのようです。その結果、人間性だけでなく動物性さえも確実に損なわれつつあるのではないかと感じます。健全なる身体を育むことが子供にとって何よりも大事であり、人間性を育んでいく前提であるといえます。
一方の人間性に関して、子供たちから学んだことがあります。終業式の際、一学期を振り返って手を挙げてもらいました。「一学期間、元気に幼稚園に通えた人?」「ハーイ!」、「お友達と仲良く遊べた人?」「ハーイ!」、「ケンカもしたけど、自分が悪かった時はゴメンねって素直に言えた人?」「ハーイ!」。どの問いかけにも一斉に手が挙がり、その内、ワイワイ、ガヤガヤ、収拾がつかなくなります。困り果てた私は、お仏壇に近づいて行き、「ねえ、ねえ、何か聞こえない?静かに耳を澄ましてごらん。仏さまが、一学期間、みなさんよく頑張ったね、えらかったね、って褒めて下さっている声が聞こえるでしょう」「うん、うん、聞こえる、聞こえる」。子供たちには、声なき声が聞こえるのです。すばらしいな、と頭が下がりました。
今学期は、遠足、運動会、発表会など、行事が続きます。子供たちは一つ一つの行事に全エネルギーを注いで楽しみます。その分、疲れもたまりやすくなります。当園としても、お子さま方の健康や安全に充分配慮しつつ、豊かな成長を育んでまいりたいと思います。
------------------------------------------------------------------------------------------------
平成17年10月号
親の目に子あり、子の目に世界あり
園長 西本 照真
多摩動物園への秋の遠足に参加しました。子供たちの目の表情が刻々と変わっていきます。ライオンバスに乗った時の目、昆虫館で蝶を追う目、チンパンジーの親子をほほえましく見やる目、ライオンや象のウンチを嗅がせてもらった時の涙目。子供たちの目の中に入って世界を体験できたら、どれほど鮮やかに映ることでしょう。
運動会の準備も始まりましたが、リレーの練習をしている時の目は真剣そのもの、楽しく歌ったりおどったりしている時は、目の中にシャボン玉が飛んでいるようです。練習後、お弁当に入っていた好物の卵焼きをほおばる時は、事を為し遂げた充実感と親のこころにふれた安心感が溶けあって、小さな王子様、お姫様の目になります。
人が人間として成長していくためには、世界を対象化して見る力、自己を取り巻く世界を的確に把捉し、為すべき事を為すべき時に為す力が必要となります。しかし、幼稚園の時代には、そのような力を獲得していくための前提として、世界に没入し世界と一体化する体験をすることが極めて大事ではないかと思います。日々の園生活の中で、そのような夢中の体験の機会を様々に積み重ねていけるような保育でありたいと願っています。
金子みすずさんの詩に「こころ」という詩があります。
お母さまは 大人で大きいけれど お母さまの おこころはちひさい。
だってお母さまはいひました、ちひさい私でいっぱいだって。
私は子供でちひさいけれど ちひさい私のこころは大きい。
だって大きいお母さまで まだいっぱいにならないで いろんな事をおもふから。
親の目に子あり、子の目に世界あり。様々な行事がおこなわれる秋、あたたかな愛情にささえられつつ、大きな世界と出会ってほしいなと思います。
------------------------------------------------------------------------------------------------
平成17年11月号
無限の有と一つの有
園長 西本 照真
雨のため1週間延期となった運動会も、晴天に恵まれて無事終了いたしました。園児たちも「元気よく」、「仲良く」、「楽しく」、運動会に参加できたのではないかと思います。
「もし・・・がなかったならば」と仮定することにより、何が見えてくるでしょうか。10月16日に雨が降らなければ、23日の運動会はなかった。23日が天気に恵まれなければ運動会はなかった。園児全員が参加したオープニングパレードやインディアン体操がなければ運動会はなかった。年少や年中のかけっこ、年長の4色対抗リレーがなければ運動会はなかった。年少さんのかわいらしい大きなカブ音頭がなければ運動会はなかった。年中さんのちょっぴりおませな黒猫のタンゴがなければ運動会はなかった。年長さんの壮大なプレイバルーンがなければ運動会はなかった。
お父さんお母さんの大玉リレーがなければ運動会はなかった。おじいちゃん、おばあちゃんの玉入れがなければ運動会はなかった。未就園児のお土産渡し「いいものみーつけた」がなければ運動会はなかった。卒園生の徒競走がなければ運動会はなかった。
1ヶ月にわたる練習がなければ運動会はなかった。観客席の熱い応援がなければ運動会はなかった。父母会のお手伝いがなければ運動会はなかった。先生方の熱心な指導や準備がなければ運動会はなかった。園長が転ばなければ運動会はなかった。近隣の方々のご協力がなければ運動会はなかった。広いグラウンドがなければ運動会はなかった。
なくても当たり前のものが無限に「あって」、運動会は「あった」。無限の関係性に支えられて成立し、園児たちの無限の可能性を育んでいく幼稚園という場を、1日という短い時間にすべて納め込んだ運動会が、おかげさまで無事終了いたしました。みなさま方のあたたかいご協力に感謝いたします。
------------------------------------------------------------------------------------------------
平成17年12月号
仏さまはどうして大きいの?
園長 西本 照真
大学の仏教文化研究所の学生が摩耶祭の展示物として作成した3メートルほどの大きな仏画を広げて、仏さまの秘密についてお朝拝で紹介しました。眉間のホクロ状のものは両手を広げたほど長い一本の白い毛で、右巻にカールして収まっていること、舌は顔全体を覆ってしまうほど長くて大きいこと、耳はふつうの人の3倍ぐらいの大きさであること、掌にはアヒルのような水かきがついていること、足は扁平足であることなどなどです。
大事なことは、一つ一つの秘密にはそれぞれに込められた意味があることです。大きくて長い舌は人々に教えをわかりやすく説くためであり、大きな耳は人々の喜びや悲しみすべてに耳を傾けるためであり、掌の水かきは私たち衆生を漏らさず救い取るためにあり、足が扁平足であるのは大地をしっかりと踏みしめて伝道の旅を続けるためなのです。
一通り秘密を明かした時、一人の園児が「仏さまはどうして大きいの?」と質問しました。「それはね・・・」後が続きません。「仏さまは、みなさんのことを思うやさしい気持ちがいっぱい詰まっているから大きいんだよ!?」答えになったかどうかわかりません。はっきりしていることは、私は奈良の大仏、鎌倉の大仏の前に額ずいて、その大きさに驚くことはあっても、どうして大きいかということは問いにならないできたということです。
私たちは大人へと成長する中で、どれだけの不思議な世界が色あせて当たり前の世界へとモノクロ化してきたことでしょうか。本来、不思議な秘密に満ちた世界が、慣れ親しむにつれて、その不思議性が薄れていく。残念なことです。様々な不思議には多少鈍感であっても、子どもたちの不思議にはなるだけ敏感でありたいものだと思います。もしかすると、親御さんだけに秘密を明かすがごとく、今宵のお子さんの寝顔からはしあわせの光が静かに放たれているかもしれません。何かと慌ただしい師走ですが、お楽しみの発表会も予定されています。この一年の子どもたちの成長の不思議を喜び感謝しつつ、新たな年を迎える準備をしたいと思います。
------------------------------------------------------------------------------------------------
平成18年1月号
ボク人間のままがいい
園長 西本 照真
新しい年を迎えました。園児たちが健やかな成長をとげてゆく年となりますことを心から願っています。本年も皆様方のご協力をよろしくお願い申し上げます。
ある年少のクラスで発表会の役決めを行っていた時のことです。ぞう、たぬき、さるなどの森の動物が登場するのですが、一人の園児がどの動物にもなりたくないと言って、頑として聞きません。よくよく話を聞いてみると、本当に動物になってしまうと思い、「ボク人間のままがいい」と言ったというのです。素晴らしいなと思いました。
人間はこの世に生を受けて、自己と世界がまったく未分化な段階から始まり、やがて自我意識が徐々に芽生え自己と世界の差異化が行われていきます。最初は、自己の力で世界が自由にコントロールできると考える完璧に自己中心的な段階、母親も世界もすべては自己の思うがままになるとみなす段階で、呪術的段階ともいえます。やがて自己のパワー不足を認識しはじめ、自己よりも大きな力が存在することを知るようになります。何かの力が働いて動物に変えられてしまうのではないか、という気持ちを抱くのもこの段階です。この神話的ともいえる段階からさらに世界が広がると、集団の中での自己と他者の位置、それぞれの役割がより明確になり、また他者の視点からものごとを見る力もついてきます。子どもたちの成長過程を発達理論に照らして説明すると、およそ以上のようになります。
しかし、「ボク人間のままがいい」という言葉は、そのまま素直に味わいたい気もします。親と子がともに人間として生を受け、親と呼び子と呼ぶ関係において出遇えていることは何にも増して喜ばしいことです。「あのねママ ボクどうして生まれてきたのかしってる?ボクね ママにあいたくて うまれてきたんだよ」(田中大輔、3歳)という詩も、「人身受け難し、今すでに受く、やがて死すべき者の今いのちあるは有り難し」(『法句経』)というお経の一節も、同じ慶びの世界を歌ったものといえるでしょう。
新年、人様々、悲喜こもごもですが、根底においてともに慶べる年であればと思います。
------------------------------------------------------------------------------------------------
平成18年2月号
らんちゃん仏さま、うさ子ちゃん仏さま
園長 西本 照真
年長さんが毎日お世話をしていたニワトリのらんちゃんは、12月の発表会の日に亡くなりました。とっても寒い日でした。朝は元気でしたが、発表会が終わった頃、静かに息を引き取っていました。子どもたちのことを応援していたのでしょう。発表会が無事終了するや、「みんな、よくがんばったね」と、安心して仏さまの国に帰っていったのだと思います。残されたにわくんが、らんちゃんのそばにじっと立っていました。
年中さんが毎日お世話をしていたウサギのうさ子ちゃんは、1月の誕生会の日に亡くなりました。これもとても寒い日でした。お帰りの頃に容態を崩したうさ子ちゃんは、病院に行く途中にはかすかに心音がありましたが、到着した時にはもう手遅れでした。みんなでお見送りをし、お墓で一握りずつ土をかけてあげる時、こぼれ落ちる土の音とともに、「仏さまの国でも、元気で仲間となかよくするんだよ」とやさしい声が聞かれました。
小動物の飼育を通じて、子どもたちは様々なことを体験的に学んでいきます。毎日、欠かさず餌をあげ、お世話をすることで、生き物に対するやさしい愛情が育まれていきます。お当番としての自覚と責任感も芽生えてきます。また、赤ちゃんウサギの成長、ニワトリの老い、フィレットの病気、そして予期せざる動物たちの死などを通じて、およそこの世に生を受けたものが、すべからく出会うべき諸相の実際を学んでいきます。
「園長先生の声はみなさんの耳に響くでしょう。でもね、仏さまの声は・・・」「心に」。「そうだね、仏さまの声はみんなの心に響いてくるね。ニワトリのらんちゃんはらんちゃん仏さま、ウサギのうさ子ちゃんはうさ子ちゃん仏さま。静かに目を閉じてごらん。みんな元気を出して、がんばって。お友達と仲良くするんだよ。やさしい声が響いてくるでしょう」そんな話をしながら、ふと、幼なかりし頃、吸っても出ないお乳を飲ませてもらっていた祖母の面影が浮かんできました。冷たくなった乳房が温まるほどに涙をこぼしたことが思い出されます。静かに目を閉じると、仏さまの声が心に響いてきます。
------------------------------------------------------------------------------------------------
平成18年3月号
みんなの心が動く
園長 西本 照真
トリノオリンピックを御覧になって感動された方も多いのではないかと思います。緊張の中にも平常心を失わない心、磨き上げられた華麗なる技、鍛え抜かれた強靱な身体、まさに心技体が一つになってはじめて世界の雄者たることができます。荒川静香さんは、5才からスケートをはじめ、19年間のたゆまない練習の成果が金メダルにつながりました。向上心が非常に強い選手だったということですが、目標に向かう力、継続する力、挫けない力などは、幼児期における心と身体の基礎作りが大きな糧となったものと思います。
我が園の金メダリストたちも、いよいよ卒園です。年中さんに、「もうすぐ年長さんだね。楽しみなことは何?」と尋ねると「大きなぺんぎんを作って遊ぶこと」との答えでした。作品展の共同制作「ぺんぎんのせかい」は、年長が主体となり、年中、年少も協力して、素晴らしいできばえでした。各クラスの作品では、年少には混沌の中にこそ見出せる、無限の可能性を秘めた妙なるすばらしさがありました。年中は混沌の根幹から秩序の枝葉が繁りはじめているところが、実にたのもしく感じられました。年長の作品は3年間に培った力が集約的に表現されていて真に感動的でした。
「感動」という漢字、「感」は「咸(みんな)の心」、「動」は「重たくて大きな力」と分解できます。みんなの心を動かさずにはおられない大きな力が働き、それぞれの心に浸潤して、心が動きだすのです。当たり前のことには心は動きません。当たり前と思っていたことが、実は当たり前でなかったことに気づくと、心は深層から揺り動かされます。年長さんの3年間の歩みには、言葉にあらわせないものを感じます。
将来、我が園の金メダリストたちが、世界の大海原でそれぞれの水を得て大いに活躍し、人々に深い感動を与え、自らもまたその生き方に得心しうる人生の金メダリストへと成長していくことを願っています。年長さんの巣立ちを心から寿ぎつつ、春影を仰ぎたいと思います。