平成19年4月号
初発心のすすめ
園長 西本 照真
80名の新入園児を迎え、平成19年度がスタートしました。新しい年中さん、年長さんとともに、すべての園児が、健康で伸びやかにこの一年を過ごせることを願っています。本園では5つの教育目標を定めています。「ほとけの心を身につけた子どもに」「健康な体で明るい子どもに」「豊かな情操を持った子供に」「自主的な生活のできるこどもに」「友だちと仲良くできる子どもに」の5つです。これらの目標が一人一人の子どもにおいてよりよく実現できるよう、この一年間力を尽くしてまいります。
その上で、保護者の皆様方に年度初めのお願いがございます。一つは、親と子と教師の信頼関係を大切に深める方向でご協力をお願いしたいということです。教育は原点にこの三者の信頼関係がないと成り立ちません。ですから、至らぬ点がございましたら、園長や主事に直接おっしゃっていただき、解決し、納得していただきたいと思います。大好きな幼稚園や先生、友達が信頼できないものであることを聞かされるほど子どもにとって不幸はありません。信頼と安心に満ちた園生活が送れますよう、皆様方のお力をお借し下さい。
二つ目は、新しい学年、新しい園生活のスタートにあたり、あいさつ、返事、かたづけ、身支度、生活習慣、手伝いなど、お子さまにこれだけは身につけてほしいということがございましたら、この機会にスタートさせていただきたいということです。あれこれ欲張らず、一つのことで結構です。最初はおぼつかなくとも、継続するうちに本物になってきますので、あたたかく励ましながら応援してあげてください。
『華厳経』というお経の中に、「初発心時、便成正覚」という言葉があります。「初めてさとりを求めようという心を発したその時、すでに仏のさとりが完成されているのだ」という意味です。武蔵野女子学院の正門の聖語板にも「ここに学ぶと初めて立ちし校庭の 花の四月の初心忘るべからず」(土岐善麿)と書かれています。親も、子も、教師も、初発心を大切にしつつ、この一年間が実り多いものとなりますことを心から願っています。
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平成19年5月号
まるまるとまるめまるめよわが心
園長 西本 照真
鯉のぼりが空高く風に泳ぐ季節となりました。幼稚園の裏にあるドングリ山の若葉も笑い、園庭に咲く花々も春の陽気に微笑みを隠せない様子です。入園後、3週間が過ぎ、年少さんも少しずつ園に馴染み微笑みが増してきました。年中さん、年長さんは一つ上の学年になった喜びと自信で笑顔が輝いています。
すがすがしいこの季節、山や花を笑わしめ、子供たちを笑顔で満たす大元には何が働いているのでしょうか。東洋の人々はその大元にあるパワーを「元気」であると考えました。春は眠っていたものが一気に目覚め、目覚めたものが一気に動き出します。動くということは変化するということです。その変化が激しいのがこの時期です。前向きに大きく成長していくこともあれば、急激な環境の変化と年度初めの緊張感から心と身体のバランスを知らず知らずのうちに崩してしまうこともあります。
それでは、心と身体のバランスを保つ秘訣は何でしょうか。6世紀に中国で著された『天台小止観』という書物には、身体と心を調和させるために五つの事柄を整えることを説いています。「一には飲食を調節し、二には睡眠を調節し、三には身を調え、四には気息を調え、五には心を調うるなり」腹八分目の食事と十分な睡眠、身体の姿勢を正し、呼吸を整え、そして最後に心を整える。身体と心は息を介して一つに結びついています。最も整えにくい心はそれ自体を整えようとするのではなく、前の四つの事柄を整えることを通じて、自ずと安けき心となるのです。
黄金週間が始まります。五月晴れの空の下、大自然の気もまた盛んにして、陽気が力を増してきます。親子で戸外に出でて、天を仰ぎつつ胸一杯春の陽気を吸い込みましょう。そうすれば、身も心も軽やかになり、まるい心が生まれます。「まるまるとまるめまるめよわが心 まん丸丸く丸くまん丸」(木喰行道(1718-1810))
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平成19年6月号
160人のリトルブッダ
園長 西本 照真
4月以降、年長、年中組だけが参加したお朝拝の時、3回にわたって坐禅をしました。第1回は姿勢をピンと正して目を閉じて座る練習、第2回は大きく息を吸い込んでゆっくりと吐く練習、第3回は目を静かに閉じて、大好きな人の顔を思い浮かべる練習。それぞれが大好きな人の顔を思い浮かべて微笑んでいる姿を見た時、思わず160人のリトル・ブッダを拝みたい気持ちがいたしました。
「みなさんが、どうして今思い浮かべた方が大好きだか、わかりますか。それは、みなさんが好きになるよりずっと前から、その方がみなさんのことをいつも心にかけて願っていてくださったからですよ。願われているというのはステキなことです。その深い大きい願いが感じられた時、おとうさん、大好き、おかあさん、大好き、ありがとうという気持ちになるのですよ」
親の願いがまことであったと受けとめられることは、この世に生を受けたことの一つの大きな意味ではないかと思います。
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平成18年7月号
我が子のごとくに
園長 西本 照真
6月28日は、武蔵野女子学院を創設された学祖高楠順次郎先生(1866-1945)のご命日でした。高楠先生には8人のお子さまがおられました。しかし、1904年に長男、1909年に次男、1918年に次女、1920年に長女、1923年に四女、1925年に三女、1927年に三男が亡くなられ、とうとう男の子一人だけとなられたそうです。高楠先生が築地本願寺の境内において武蔵野女子学院を創設されたのは、59歳の春、1924年のことでした。現在のこの武蔵野の地に移転してきたのは1929年のことでした。
霜子夫人は、「こうした重々の不幸に身も心もよく生きていると思います。主人が女子大学を計画し、その前提として武蔵野女子学院を計営し、皆様の大切なお子達を預かるのも、一方には死せし娘達のことを思い、心の慰安を得るという気持ちもございました」(「子を失いし親の心」)と記されています。その夫人の言葉を裏づけるかのように、高楠先生は、1928年に行われた第一回卒業式の式辞で、17名の卒業生を前にして、次のように述べておられます。「一同を我が子の如く愛することも今も後も同じ事である。一同に対して親疎なく、裏表なく同じように親愛することも事実である。・・・予は諸姉と共に武蔵野女子学院を将来社会に有意義なる特殊学園となさんと欲するのである」
高楠先生の「我が子のごとく愛する」というお気持ちは、当時の生徒だけではなく、80年を経た今日、武蔵野大学、中・高、そして幼稚園に集う学生・生徒・園児すべてに対しても、変わることなく注がれ、願われ続けてあるように思います。このような高楠先生の願いを大切に受け継いで、先生も、親御さんもすべてが、園に集う子どもたちみんなを「我が子のごとく愛する」気持ちに包まれていく時、世界に一つだけのすてきな幼稚園になっていくのではないかと思います。
「あたかも、母がそのひとり子を、命に代えて護るように、生きとし生けるもののうえに、限りなき慈しみの思いをそそげ」「一切の世間に対して、限りなき慈しみの思いをそそげ。上にも、下にも、四方にも、うらみなく、敵意なく、ただ慈しみのみそそげ」(『スッタニパータ』)
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平成19年9月号
こころまかせの遊び
園長 西本 照真
夏季保育に参加した子どもたちの姿を見ながら、一人ひとりの夏休みの生活に思いを馳せました。心ゆくまで水と空との大自然の中に自己を遊ばせたであろうことは、真っ黒に日焼けした身体自身が物語っています。
無為自然の、自由でとらわれなき生き方を鼓吹してやまない『荘子』というテキスト、その冒頭の章名は「逍遙遊」と言います。「こころまかせの遊び」のことです。今から2千数百年前の中国で、戦乱の真っ直中、人々が苦悩と絶望に喘ぐ状況において、何故「あそび」をテーマに掲げたのか。まことしやかな目的を掲げて人々を戦争に駆り立てる力に対し、あえて無目的の遊びを対置したところにもう一つの強烈な時代精神を感じます。
翻って現代の私たちの生活を見ると、何から何まで目的性に貫かれていることに気づかされます。仕事だけではありません。レジャーさえも目的をもって設定されています。あらゆる目的性を離れて、自由に、無我無心に、何かをしているという時間が、日々の生活の中でどのくらいあるでしょうか。
鈴木大拙が、『東洋的な見方』(岩波文庫)所収の「自由の意味」と題した文章の中で、アメリカのある家族の会話を紹介しています。母親と外から帰って来た子どもの会話です。“Where did you go?”(どこ行ってたの?)“Out.”(外)“What did you do?”(何してたの?)“Nothing.”(何も)様々な遊びに夢中で興じて、大いに楽しんだに違いない子どものことですから、客観的に見ればNothingであるはずはありません。しかし、それをこともなげに「何も」と無為化しうる子どもの世界に、大拙は大きく共感しました。遊びとは本来、そのようなものです。無目的な、無作為な行為の中に、子どもたちの豊かな成長を保障するかけがえのない体験が込められているのです。
大人にできるのは、子どもたちの逍遙遊を生み出すべく、環境を整えることでしょう。大人の頭で差配した、明確な目的性をもった遊びを与えることよりも、子どもたちの自由な発想に導かれて無限に広がっていく遊びの時間と空間を与えることが何よりも大切なのではないかと思います。
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平成19年10月号
子どもたちにどのような穴を開けるか
園長 西本 照真
先月号に引き続き、『荘子』の中から一つの寓話をご紹介しましょう。ある日のこと、南海の帝王のシュクと北海の帝王のコツが、中央の帝王の渾沌(こんとん)を訪ね、大いに歓待されました。二人はお礼に何かしようと相談した結果、「人間には顔に七つの穴が開いていて、美しいものを見、妙なる調べを聴き、美味しいものを食べ、香しいにおいをかぐことができるが、渾沌には一つも穴がない。恩返しに七つの穴を開けてあげよう」ということになり、毎日一つずつ穴を開けていきました。七日目にして全ての穴が開き、ようやく人間らしい穴の開いた渾沌は、よく見ると息絶えて空しい屍となっていました。
この寓話は現代文明のあり方を考える上で極めて示唆的です。現代文明は、科学の発達、進歩の名の下に、ありとあらゆるものに対して、よかれと思って穴を開けてきました。利便で快適な生活を求め続けた結果、一部の国、一部の地域においては、確かに数十年前までは想像もできなかったほど「便利で豊かな」空間が作り出されました。その反面、生み出された歪みは人間自身の心身にとどまらず、生態系や環境の破壊、資源の枯渇、地球の急速な温暖化など、あらゆるところに及んできています。人間も動植物も地球も、このまま行けば穴だらけになり屍になりかねないところまできています。
このような状況において、未来を担う子どもたちにどのような穴を開けていくのか、家庭や地域での子育て、学校における教育の果たすべき役割はますます重要になってきています。大人たちが無批判に、自らにこびりついたシミを、未来を担う子どもたちに「親切に」分け与えるようなことがあれば、子どもたちは生命に本来備わった大元のパワーである元気を失ってしまうことになるでしょう。子どもたちは、渾沌のごとく大いなる無秩序の中にありながら、渾々とわき出る泉のごとく無限の生命力を秘めています。秋晴れの空の下、思いっきり遊ぶ中で、自らに備わった元気をいかんなく発揮し、未来を担っていける本物の智慧と勇気を養ってほしいと思います。
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平成19年11月号
摩耶夫人の願い
園長 西本 照真
毎年、子どもたちは武蔵野大学の学園祭である摩耶祭に見学に行き、児童学科の人形劇を見たり、綿飴を買って食べたりします。年長・年中・年少の縦割りトリオとして最初のお出かけです。今年は10月26日(金)でした。あいにくの雨模様でしたが、子どもたちは存分に楽しんできたようです。
前日のお朝拝で、「摩耶祭の摩耶とはどんな意味か、知っていますか」と尋ねてみました。「ハーイ」と一斉に手が挙がります。その中の一人が、「仏さまのお母様の名前!」と答えてくれました。「そのとおり。よく知っていましたね。お釈迦様のお母様の名前を、摩耶夫人といいました。摩耶夫人は、お釈迦様をお産みになると、お身体の具合が悪くなり、一週間後にお亡くなりになりました」「かわいそう」「さみしかっただろうね」
「お釈迦様もそうですが、みなさんもお母さんからもらったとっても大切な最高のプレゼントがあります。何でしょう?」「ケーキ」「お菓子」「ぬいぐるみ」「オモチャ」それぞれ自分のもらったことのあるプレゼントを一斉に答えてくれました。その中に、「いのち!」と答えた子がいたそうです。その話を先生方から聞いて、素晴らしいな、と思いました。かけがえのないいのちを、お母さんからいただいた最高のプレゼントとして受けとめる心には、やさしくあたたかい仏さまの心が育まれているなと感じました。
「お釈迦様はさみしい時もあったかと思いますが、お母様からいただいたいのちのプレゼントを大切にされ、頑張って厳しい修行をして、立派な仏さまになられました。皆さんも運動会で、いのちのプレゼントを輝かせて一生懸命頑張りましたね。大学生の皆さんもみんなで力を合わせてすばらしい学園祭を作り上げようと頑張ります。だから、武蔵野大学では学園祭の名前にお釈迦様のお母様の名前をいただいたのですよ。わかりましたか」「ハーイ」あと十四、五年もすれば、この子どもたちも大学生。いのちの重みをしっかりと感じられる学生に成長するようにと願わずにはいられません。
いのちには、そのいのちを生み出し、育んだ方々の願いが流れています。
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平成19年12月号
人格向上の種をはぐくむ
園長 西本 照真
本園の仏教行事の中で、釈尊(お釈迦様)に関するものとして、花まつり、成道節、涅槃節があります。4月8日の聖誕節・花まつり、この日は釈尊の「おうまれ」を寿ぎつつ、希望と勇気をもって新しいスタートをきる日です。12月8日の成道節、この日は釈尊が「おさとり」をひらいて仏さまになられたことを祝いつつ、自らも人格の向上・完成に向けて決意を新たにする日です。2月15日の涅槃節、この日は釈尊の「おかくれ」になられたことを懐いつつ、仏さまの願いの中で、たゆまず精進・努力していくことを誓う日です。
釈尊の生涯におけるこの3つの事跡の中で、生まれてやがて亡くなることはみな経験しますが、誰しも容易に成しとげられない一大事は成道であったといえます。成道とは道を完成すること、道とは菩提(Bodhi)、すなわちさとりのことです。さとりとは、真実の道理に目覚めることであり、目覚めた方を仏陀(Buddha)と呼びます。Buddhaとは、「めざめたるもの」という意味です。
本学の学祖高楠順次郎先生は、「めざめて仏となる」とは「人格を向上し完成すること」であると位置づけられました。先生の遺稿『新文化原理としての仏教』(1946年刊)には、次のように述べられています。「仏教は徹底的の人格向上主義である。人格向上の目的より外に、仏教というものはないのである。(中略)普通人格たるわれわれ凡人位から、超人格たる菩薩位を経て、絶対人格たる仏位に至るまで向上し尽くすのであるから、仏教は徹底的人格向上の教義である。他の宗教は多くは神と成ることは許されない。仏教は仏と成ることがその目標である」
本園では教育目標の第一に、「ほとけの心を身につけた子どもに」と掲げています。子どもたちは、たゆまなく人格を向上させていく種を仏さまからいただいています。この一年、それぞれの種は芽を出し、大地に根を張り、大空に向けて葉を茂らせつつあります。将来、どんな花を咲かせ、どんな実をつけていくのか。成長の不思議を喜び、それぞれのいのちをつつむ大きないのちのはたらきに感謝しつつ、年の瀬を迎えたいと思います。
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平成20年1月号
いまを生きる一年に
園長 西本 照真
新しい年がスタートしました。この一年が子どもたちにとって、また皆さま方にとって意義深いものとなりますことを念じております。新年は、何か目標をたてて、それに向かって意を新たに進んでいこうという気分になります。そこには未来をみつめる姿があります。年末は、あれこれと一年をふり返ることが多くなりますが、それは過去をみつめる営みといえます。では、新年と年末の間はどうでしょうか。文字通り「あいだ」になってしまうのか、それとも「いま」をつみかさねていくのか。どちらの生き方をするかでずいぶん違ってきます。新年に未来を見つめられる今を感じ、年末に過去をふりかえられる今を感じ、その間においても今を感じ続けることができるならば、この一年が本当の意味で意義深いものとなるのではないかと思います。一日、一年、一生、すべて同じことです。
磯村秀樹さんの「途中」という詩をご紹介しましょう。
途中 磯村秀樹
いま 「途中」だとおもっている顔が
電車に並んで腰かけている
吊革にぶら下がっている
終着駅に着けば次の途中に乗り換え
電車を降りても途中 家に辿りついても途中
食事の時も 眠っている時も 途中で
なにかが行く先に あるような気がして
死ぬまで途中の顔をしているにちがいない
そんな中途半端な顔ばかりならんでいる
いまを生きている顔はいないのか
この一年、幼稚園が、いまを生きている子どもたちの顔で溢れるように、気持ちを新たにつとめ励みたいと思います。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
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平成20年2月号
お念珠の和と輪
園長 西本 照真
今年は平成20年、二重の○の年です。そこで、年初にあたり幼稚園の先生方にも「今年は和と輪の年にいたしましょう。あたたかくしっかりと結ばれた心を大切にしつつ、子どもたちが伸び伸びと豊かに成長できる一年にいたしましょう」と所感を述べました。日々、世界の平和が脅かされ、共同体の絆もとぎれがちな昨今ですが、子どもたちが通う幼稚園という場は、平安和合の中に子どもと親と先生が一つの大きな輪に結ばれたかけがえのない世界でありたいと願っています。
1月半ばのお朝拝の時に、子どもたちにもお念珠に言寄せて和と輪を大切にという話をしました。「みなさん、園長先生のお念珠が見えますか。一番下にある赤くて大きな珠は、仏さまです。下からしっかりとみなさんを支えて下さっています。横にある中くらいの赤い二つの珠、これは幼稚園の中では先生方、おうちの中ではお父さんやお母さんです。いつもみなさんのことをやさしく見守ってくださっています。そして、そのまわりにあるたくさんの珠、これはみなさん一人一人です」
「お念珠は珠だけがならんでいるように見えますが、珠と珠をつないでいるのは、遠くからではなかなか見えませんが、1本のひもです。ひもは一つ一つの珠の真ん中を通って隣の珠につながっています。このひもは、お友だちと仲良くしてほしいという仏さまの願いです。仏さまの願いがみなさんの心の真ん中を通って隣のお友だちの心の中につながっているのです。みんながこの一つの願いの中にあるとき、一つ一つの珠もまん丸、お念珠全体もまん丸になります。おもしろい詩を紹介しましょう。まるまるとまるめまるめよわが心 まん丸丸く丸くまん丸。きっとお父さん、お母さんもご存じですよ」
幼稚園の教育目標の中にも、「お友だちと仲良くできる子に」と掲げられています。なぜ仲良くしなければならないのかと聞かれれば、それは仲良くしなければ自己も他者も崩壊してしまうからです。両手を合わせてお念珠をかけた状態では、拳は振り上げられません。心もおのずと和らいできます。「和を以て貴しとなす」(聖徳太子)の言葉に導かれながら、和と輪の世界を主体的に創り上げていく日暮らしであればと思います。
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平成20年3月号
名は願いなり
園長 西本 照真
作品展では、一人一人の個性あふれる作品とみんなで協力して創り上げた作品が幼稚園いっぱいに展示され、観覧にみえた皆様にも大変喜んでいただきました。ホールでは、たかどのほうこさんの絵本をモチーフにした「へんてこもり」のステキな世界が広がりました。へんてこもりには、「まるぼ」「ぼさこう」「うるりんぞ」など実に愉快な名前の動物がいます。へんてこもりに遊びに行った子どもたちがしりとりをしていて、「まるぼ」と叫ぶと、見たことも聞いたこともないヤカンに似た動物が森の中から現れるのです。
名前が先か、動物が先か、それとも同時に誕生したのか、へんてこもりの世界の真実は定かではありませんが、名前には願いがこめられているということだけは確かなようです。「ねはやきん」(ひまわりぐみ)と「ぞみいちね」(すずらん)は、年長のクラスみんなで考えた人物です。「ねはやきん」はもうすぐ1年生、頭に消しゴム、鼻は鉛筆、勉強も運動も大好き、早寝早起きで規則正しい生活をする子どもです。「ぞみいちね」ももうすぐ1年生、鼻が長く象に似ていて、背中にランドセルを背負い、ランドセルの中から新しいものがつくられるのだそうです。こんな1年生になりたいというみんなの願いがいっぱいにつまっています。
お父さん、お母さんが、こんな子に育ってほしいと深い願いのもとに名前を授けられてからまる6年、その後半の3年間を過ごした武蔵野大学附属幼稚園での生活を終え、小さな小さな夢わかばは大きく成長して巣立っていこうとしています。名前を呼ぶというのは、願いを呼ぶことです。呼ばれる名前にこめられた大きな願いに抱かれ、「夢わかば」(作詞・作曲:二本松はじめ)の歌詞のごとく、これからも健やかな成長をとげてほしいと思います。
「小さな小さな夢わかば どんな花を咲かすのか
小さな小さな夢わかば それはぼくらが決めていく
ぼくらは生まれてよかったよ
ぼくらを産んでくれてありがとう」