数学を探せ!
第2回 「つながりひろがる「楽しい」数理工学」
暑い日に、「水まき」をして、「花火」を見て、自由研究のための天体観測(「電波望遠鏡」)をするというと、「夏」を連想するかもしれませんね。それも正解です。でもさらに、実は、これら3枚の写真には、隠された共通点があるのです。さて、それは何でしょうか?
数式を用いた解説
「え~、スウガク!?」と思った人もいるかもしれませんね。
ところで、二次方程式とは、式にすると、
$ax^{2}+bx+c=0,$
(ただし、$x$ を変数とし、$a,b,c$ は定数とする。特に $a$ は $0$ でないとする)
と記されるものであり、
$y=ax^{2}+bx+c,$
(ただし、$x$ を独立変数、および、 $y$ を従属変数とし、$a,b,c$ は定数とする。特に $a$ は $0$ でないとする)
として、図示すると図のように放物線と呼ばれる曲線となるものです。
ほら、ご覧のとおり。
まずは、中学校での数学の時間。
まさに、二次方程式という単元名で登場してきます。ここでは、解の公式や判別式なども登場してきて、だんだんと理屈っぽくもなるので、「こんなの勉強して何になるの?」と思い、数学を苦手に感じてしまったひともいるかもしれませんね。
つぎに登場するのが、高校での物理の時間。
ここでは、「重力下で水平や斜め方向に投げ出された物体の運動の軌跡は放物線を描く」という事実を習います。すなわち、「水平や斜め方向に投げ出された物体」であれば何でもよいので、まさに、水まきの水や花火の形、キャッチボールやホームランの時のボールの軌跡などなどが、すべて放物線になるというのです。一見するとまったく関係のなさそうな現象なのですが、それらの現象には共通の秩序があって、今の場合には、放物線、すなわち、二次方程式に従っているというのです。花火を見て「きれいだな」と感じた時に、ちょっと、水まきの水を思い浮かべることで、これまでの自然現象の見え方が少し変わると思いませんか?また、そこに二次方程式が潜んでいると思うと、苦手意識をもってしまった二次方程式にも少し親しみがわいてこないでしょうか?
さて、つぎなる登場の主なもののひとつは、大学での工学の分野においてです。
ここでは、自然現象に二次方程式が潜んでいることを理解したうえで、その事実を積極的に我々の暮らしに役立てていこうというのです。「電波望遠鏡」や多くの家庭にあるパラボラアンテナなどは、放物線の特長を積極的に応用することで、効果的な電波の受信を実現しています。また、自然界には、我々が工学技術として放物線を応用する以前から、すでに放物線の形をとりいれた花なども存在しているそうです。
このように二次方程式が、我々の暮らしを含め、様々な場面で役立てられていると思うと、記号で書かれた、たったひとつの数式から大きな広がりが感じられないでしょうか?
なお、ちなみに、我々の先人たちも、古くから二次方程式のような数式の重要性には気づいており、江戸時代には、和算家として知られる関孝和たちも研究をしていたそうです。
数学のどの領域の話か
ガリレオ・ガリレイは「宇宙は数学という言葉で書かれている」と語ったそうです。
我々は自然を幅広く数学を使ってスケッチします。そこでは、自然の中に潜む秩序が浮かびあがり、ある種の美を鑑賞することができます。これは手順をふめば必ず誰にでも味わうことができるものです。また、その秩序の普遍的な広がりに気づくと、新しい自然観もうまれてきます。さらに、その秩序を数学で理解することは鑑賞だけにとどまらず、未来の予言と制御をも可能にし、技術として、我々の暮らしに役立てることもできるのです。
数学を通した種々のたくさんの「楽しい」を我々と一緒に味わってみませんか?

担当教員プロフィール
最後に、私の「応用数理」・「数理科学」に関するエピソードをひとつ。
教授 渡辺 知規
先ほど、私は、数学を通して、たくさんの「楽しい」を味わう、ということについて述べました。でもその反面、正直に言って、数学を苦しく感じることもたくさんあります。実際は、苦しいことのほうが多いぐらいです(苦笑)。やはり、難しいのです。「ああ、いろんな数学を身につけることができると、いろいろな楽しい世界が広がるのだろうなぁ」との憧れは感じているものの、実際に身につけるのは私にとってはとても大変なことなのです。ダイエットにも似ていて、なかなか理想を現実に変えるのが難しいのです。何度も挫折をしながらも数理への憧れを捨てきることができなかった学生時代、私は、一冊の本に出会うことができました。
その本は、薩摩順吉先生が書かれた「物理の数学」(岩波書店)です。
この本では、数学の「重要な点をできるだけ平易に書くよう心がけた」との文中の言葉のとおり、重要な数学的概念がポイントを押さえてわかりやすく書かれています。もちろん、本文中での説明のわかりやすさに私は何度も感激したのですが、特に何よりも、私は、この本の冒頭部分である「まえがき」から、すでに心を奪われてしまいました。そこには、
(実用性よりも厳密性を重視した数学書では)「ときには密教の経典を読んでいるとの錯覚にも陥る」
と書かれてありました。その言葉は、私の心にすっとしみこみ、励ましになりました。「とてもありがたいことが書いてあるのだろうけれども凡人の私には解読が難しい…」と感じて落ち込んでいた私に、「君だけじゃないよ。私だってそう感じているのだよ。だから、がんばろうよ」と大家が語りかけ、元気づけてくださっている感じがしました。私の本のこの箇所には、赤線が引いてあり、いまでも、元気をもらう言葉となっています。また、この本の最後は、
「近い将来、…、物理の数学をエンジョイされることを本書の読者に期待したい」
という言葉で締めくくられています。まだまだ、「楽しい」よりも「苦しい」のほうがつい先行してしまうことが多い私ですが、なんとか楽しんでいきたいと思っています。
さて、この薩摩順吉先生は、武蔵野大学工学部数理工学科で、教鞭をとられることとなりました。私は、一人でも多くのひとが、先生から刺激をうけて、「数学をエンジョイ」してほしいと願っています。そのような人たちが日々の暮らしのなかで活躍することが、社会全体が、わずかながらでも、幸せになることにつながるのではないかと思っています。
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