
635063506350635063506350
6350 6350 6350 6350 6350 6350
38100
38100
S=1/300 2階平面図
展示室B
展示室D 展示室C
展示室A
19世紀大ホール
9860 2760 3240
15860
3500 40100
43600
歴史と概要
国立西洋美術館はフランス政府から寄贈返還された松方コレクション(印象派の絵画およびロダンの刻を
中心とするフランス美術コレクション)を基礎に、西洋美術に関する作品を広く公衆の観覧に供する機関と
して、1959(昭和34)年4月に発足した。以来、広く西洋美術全般を対象とする唯一の国立美術館として、
展覧事業を中心に、西洋美術に関する作品および資料の収集、調査研究、保存修復、教育普及、出版物の
刊行等を行っている。 これらの事業のうち、展覧事業に関しては、本館(ル・コルビュジエ設計、1959年)・
新館(前川國男設計、1979年)において、館設立の趣旨である松方 コレクションの作品および創立以来
毎年購入しているルネサンス以降20世紀初頭までの作品および寄贈・寄託作品を常設展として年間を
通して開催している。 また、企画・特別展専用の展示室として1997(平成 9) 年度竣工した企画展示館に
おいて欧米等の美術館からの借用作品による企画展を、新聞社等との共催展として年3回程度開催し、
西洋美術の紹介に力を注いでいる。さらに、2001(平成13)年4月からは国立美術館4館(当時)が一つの
独立行政法人国立美術館に移行し、国立西洋美術館は独立行政法人国立美術館) が設置する美術館の
一つとなった。また、2016(平成 28) 年7月に国立西洋美術館を構成資産に含む「ル・コルビュジエの建築
作品一近代建築運動への顕著な貢献一」が、世界遺産一覧表に記載された。
3 年 大森駿佑 杉山陽菜乃
2 年 菊池俊瑛 清水歩稀 堀米大悟
1 年 叶内琉稀 桑原柚月 高山優希 齋藤瑞稀
西洋美術館
S=1/300 南西立面図
厨房
S=1/300 1階平面図
エントランスホール
19世紀大ホール
ショップ
レストラン
ロッカー室
売札所
エントランスホール
16100 13300 18800 6600 8300 8900
227001420012000
72000
48900
S=1/300 地下平面図
21世紀ギャラリー
ボイラー室
変電室
空調機械室
ピット
前室
エントランスホール 空調機械室
「ル・コルビュジエ」のペンネー
ムを使用し始める。雑誌「エス
プリ・ヌーヴォー」を創刊。
「現代建築国際会議
(CIAM)」を共同設立。
フランス市民権を取得。 著書『モデュロール
(Modulor)』の基礎となる人
間尺度の理論を構築。
インドのチャンディーガル
都市計画を主導。
「ロンシャンの礼拝堂(Chapelle
Notre-Dame-du-Haut)」を完成。
日仏間の国交回復を象徴
する「西洋美術館」完成
パリに移住し、ピュリス
ム運動を共同で開始。
著書『建築をめざして(Vers
une architecture)』を出版。モ
ダニズム建築の理論を展開。
代表作「サヴォア邸
(Villa Savoye)」を完
成させる。
CIAM第 4 回会議で「アテ
ネ憲章」を発表。都市計画
に関する基本理念を示す。
フランスのユニテ・ダビタシオン
(Unité dʼ Habitation)を設計。
集合住宅の新しいモデルを提示。
ブリュッセル万博で「フィリップ
ス・パビリオン」を設計。 南仏の地中海で水泳中に亡くなる。
自身の別荘となる「カップ・マ
ルタンの休暇小屋」完成。
スイスのラ・ショー=ド=
フォンでシャルル=エドゥ
アール・ジャンヌレとして
生まれる。
ヨーロッパを旅行しウィーン、ベ
ルリン、パリで建築を学ぶ。特に
案ドル・ロースやペータ・ベーレ
ンスの影響を受ける。
地元の武術学校に入学し、
時計の彫金技術を学ぶ。
東ヨーロッパと中東を巡る
「東方旅行」を行い、伝統建
築への理解を深める。
ル・コルビュジエの功績
1887 ~ 1916
1920
1911
1923
1927
1929
1930
1933
1943
1947 ~ 1952
1950 ~ 1955
1958 1965
1959
1951
1955
1887
1900
1907 ~ 1911
1917 年~ 1929 年:モダニズムの確立
1887 年~ 1916 年:幼少期と初期の活動 1930 年~ 1945 年:都市計画と社会的課題への取り組み 1946 年~ 1965 年:後期の代表作と国際的影響
635063506350635063506350
6350 6350 6350 6350 6350 6350
38100
38100
所在地 〒110-0007 東京都台東区上野公園7番7号
設 立 1959(昭和34)年4月1日
開 館 1959(昭和34)年6月10日
階 数 地上3 階、地下 1 階
構 造 鉄筋コンクリート造
設 計 ル・コルビュジエ(Le Corbusier)
実施設計 前川国男 、 坂倉準三 、 吉阪隆正
竣 工 1959(昭和 34) 年3月
建築面積 1,587m²
延床面積 4,399m²
■Field
■空間体験
■設計者・黒川紀章 ■メタボリズムとは
国立新美術館 | プロジェクトトップ | 新建築データ
https://data.shinkenchiku.online/projects/articles/SK_2007_01_058-0
国立新美術館は東京の都心である六本木に計画された。
この地域は、多くの高級なレストランや外国企業のオフィス等のあるダウンタウンであり、多くのクリエーターが住む地域である。
建物の敷地は、千代田線乃木坂駅に隣接し、旧東京大学生産技術 研究所跡地に位置している。緑豊かな青山公園、青山霊園と接
していることから、敷地内に連続した緑地帯をつくり、都心でありながら自然と共生した「森の中の美術館」を目指した。
建築場所
建築主
設計
施工
用途
敷地面積
構造規模
階数
建築面積
延床面積
高さ
:
東京都港区六本木 7 丁目 22-1
:文化庁
:黒川紀章
:1 工区 鹿島・大成・松村 JV
:2 工区 清水・大林・三井 JV
:美術館
:約 30,000 ㎡
:鉄骨造一部鉄骨鉄筋コンクリート造
ブレース付きラーメン構造
:地上 6 階、地下 2 階
:12,989 ㎡
:45,232 ㎡
:33.3m
吹き抜けの1階ロビーからは、ガラス越しに地域の緑と溶け込むよう植栽された草木の四季折々の
眺めを楽しむことが出来る。地上階には約 2,000 ㎡の展示室を7室有しており、大型の公募展だけ
でなく、数多くのグループ展、公募展、そして企画展示が同時に開催されるように、各々の展示ユニッ
トは柔軟性のある間仕切りを利用している。このシステムにより最大で 30 を超え大証の展示会が
同時並行で開催できる。また、この空間を活かし、ジャンルに捉われず、その時代の視線を反映さ
せた展覧会の開催が可能。そのうちの1つの展示室は企画展示用として 8mの天井高を持っている。
一方で、機械的な展示スペースに反した三次元的で波打つ透明なファサードをもつアトリウムが特
徴的である。アトリウムは緑地に溶け込めるようなフラクタルな曲面ガラスで構成し、広い空間の
アトリウム内部には逆円錐型のカフェテリアなどが地面に埋め込まれている形で配置されている。
黒川紀章は自身のメタボリズムから、生命の時代の象徴としての三次元曲線を一貫して援用した。
彼にとってこの曲線は、単なる流行りのデザインではなく、1960 年以来の規則と不規則の共生や
内と外。建築と自然の共生を示す思想であり、時代精神を表 現する実現となっている。
国立新美術館 | プロジェクトトップ | 新建築データ
1960 年、建築家の黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦、大髙正人、デ
ザイナーの栄久庵憲司、粟津潔、建築評論家の川添登らによって
メタボリズム・グループが結成された。
メタボリズムとは、新しいものが古いものと次第に入れ替わる
新陳代謝
を意味する用語であるが、
人口の増大と技術の発展
に呼応して更新される都市の成長
を説く建築運動を意味する
ようになった。
その理論から黒川紀章は中銀カプセルタワービルや国立新美術館
を設計し、メタボリズムを体現する。
中銀カプセルタワービル
東西断面図 南北断面図 各階平面図
■黒川紀章の歩み
(1934 ~ 2007)
1934
1957
愛知県名古屋市に
生まれる。
京都大学建築学科卒業。
東京大学大学院丹下健三
研究室に入室。
1959
東京大学大学院修士卒業。
東京大学大学院博士課程入学。
1962
黒川紀章建築都市設計事務所
設立。
1969
中銀カプセルタワービル
を設計。
1970
大阪万博で東芝IHI 館等
を設計。万博の成功により
国際的評価を得る。
1975
福岡銀行本店
を設計。
1977
国立民族学博物館
を設計。
1988 1994
1983
名古屋市美術館
を設計。
広島市現代美術館
を設計。
国立文化劇場
を設計。
1989
和歌山県立近代美術館
を設計。
クアラルンプール国際空港
を設計。
1998
新首都アスタナ計画
を実施。
1998-
2006
国立新美術館
を設計。
2007
東京都都知事選、
第21 回参議院議員通常選挙
に出馬。
2007
73歳で亡くなる。
☆
1965年 - 高村光太郎賞(造型部門) 1978年- 毎日芸術賞
1985年 - フィンランド獅子勲章コマンダー
1986年 - フランス建築アカデミーゴールド
メダル
1988年 - リチャード・ノイトラ賞(米国)
1989年- 世界建築ビエンナーレ・グランプ
リ・ゴールドメダル
1989年- フランス芸術文化勲章シュヴァリエ
1990年 - 日本建築学会賞作品賞
(広島市現代美術館)
1992年 - 日本芸術院賞(奈良市写真美術館)
1999年- 都民文化栄誉章
2002年 - 国際都市賞
2003年 - フランス芸術文化勲章オフィシエ
2003年 - 第1回世界都市賞
2006年 - 文化功労者
2007年 - 正四位旭日重光章(逝去後の叙位・叙勲)
1959年に建築理論メタボリズムを提唱。
黒川紀章(1934‒2007) 日本の建築家であり、1960年の世界デザイ
ン会議で提唱された建築運動「
メタボリ ズム
」の中心人物である。
代表作には、1972年完成の中銀カプセルタワービルがある。個々の
カプセルが取り外し可能な構造であり、建築の柔軟性を追求した作品
である。1977年には国立民族学博物館を設計し、拡張可能なモジュ
ール構造を採用した。 黒川は、1970年代には「
共生
」と い う 思 想 を 提
唱し、伝統と未来技術の融合を重視。建築だけでなく、都市計画や政
治にも関わり、広範囲に影響を与えた。
60000
7000 3000 36500 3000 7000
600
200
2000
6050
立面図 s:1/200
3800
6000
4300 6100
4000
4300
6100
2F 平面図 s:1/200 3F平面図 s:1/200
14600
6050
3500
フランク・ロイド・ライト(1867年~ 1959 年)
フランク・ロイド・ラ イトは、アメリカの建 築家で あり、
近代建築の三大巨匠の一人として数えられる、世 界 で
最も著名な建築家の一人である。
終生一貫して、より豊かな人間性の保証に寄与する建
築である「有機的建築」の理想を追求し続けた。
6月8日、宣教師であり音楽師でもあった父ウィリアム
・ラッセル・キャリー・ライトと母アンナ・ロイド・ジョーン
ズ・ライトの第一 子として、ウィスコンシン州リッチラン
ド・セン タ ーに生まれる。
1867年
シカゴにてジョセフ・ライマン・シ ル スビーの事務所に製
図工 として の 職を得る。その後、アドラー&サリヴァンの
建築事務所で働くようになる。
1887年
結婚を機に自邸を建 築 。
1889年
イリノイ州シカゴで建築事務所を開設。
1893年
ライト夫妻が日本を初めて訪れる。
1905年
ベルリンのヴァスムート社より作品集が出版された。
1910年
帝国ホテルの設計第一案が完成。
1915年
自由学園明日館(東京都豊島区)完成
1921年
タリ ア セ ン・フ ェ ロ ー シ ッ プを創設。
『自伝』、『消滅する都市』を出版。
フランク・ロイド・ライトの作品が含まれた『インターナショナル・
スタイル』展覧会がニューヨーク近代美術館で開かれる。
ブ ラ ジ ル 、ナ シ ョ ナルアカデミー名誉会員。
1932年
ニューヨークの近代美術館で大規模な個展『フランク・ロイド・
ライトの作品』が開催される。
1940年
アメリカ学士院名誉会員。
AIAゴールドメダル 。
AIAフィラデルフィア支部ゴールドメダル。
ピ ー タ ー・ク ーバー芸術振興賞。
1949年
大規模な展示『生きている建築の60年』をフィラデルフィアの
ギンベルデパートを皮切りにフィレンツェのパラッツォ・ストロ
ッツで開催。
フィレンツェ市よりパラッツォ・ベッキオにて、メディチメダルを
授与される。
イタリアよりヴェニス総督邸 にてStar of Solidarityを授与される。
1951年
フィラデルフィア・フランクリン協会から表彰状とブラウンメダル
が授与される。
イェール大学芸術名誉博士。
『ナチュラ ル ハ ウ ス 』出 版 。
1954年
4月9日、アリゾナ州フェニックスにて逝 去 。
1959年
作品
自邸
(イリノイ州オークパーク)
ウィンズ ロ ー 邸
(イリノイ 州リバーフ ォレスト)
ウィリッツ 邸
(イリノイ 州 ハ イラン ド パ ー ク )
ユニティ教会
(イリノイ州オークパーク)
山邑太左衛門邸
※国指定重要文化財
現ヨドコウ迎賓館)
自由学園明日館
(東京都豊島区)
※国指定重要文化財
帝国ホテル
(東京都千代田区)
マリン郡シビックセンター
(カリフォル ニア州 サ ン ・ラ フ ァ エ ル )
ジェイコブ ス 邸 Ⅱ
(ウィスコンシン州ミドルトン)
グッゲンハイム美術館
(ニューヨーク州ニューヨ ー ク )
カウフマン邸<落水荘>
(ペンシルバニア州 ミ ル ラ ン )
Frank Lloyd Wright
フ ラン ク・ロ イド・ラ イト
断面図 s:1/200
講堂 教室
教室
教室
教室
教室
教室
教室
教室
1F 平面図 s:1/200
桐山 慎生 山本 悠人 泉木 風人 折原 諒樹 仲座 望 川上 誠樹
小熊 想空 羽生 あすか 金指 碧人
自由学園明日館
自由学園明日間とは
自由学園明日館は、1921 年に羽仁もと子、吉一夫妻が創立した自由学園の校舎として
フランク・ロイド・ライトの設計により建設された。夫妻の目指す教育理念に共鳴し
たライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希い
を基調とし、自由学園を設計した。建築の特徴は、高さを抑えて水平線を強調した屋根、
窓やドアなどの幾何学的デザインの外観、建物の中に入ると床の高さを少しずつ変え
た部屋を連続させた空間構成といった「プレイリースタイル(草原様式)」である。
赤レンガ倉庫 一号館
活動メンバー
1年 小野寺真生 田中心優 伊藤暖 渡辺白楽
2年 奥原晴琉 長谷川亮太 長谷部尚哉
3年 月岡晴斗 森本樹
妻木頼黄の生涯
生い立ちと教育
・1859年:幕末の武士の家に生まれる(出生地:現在の島根県松江市)
・幼少期から学問に優れ、後に西洋建築に関心を持つ
・明治政府の留学生として海外に派遣され、建築を学ぶ
海外での学び
・イギリス留学:ロンドンで建築を学び、ヨーロッパ建築の実務に触れる
・古典主義やゴシック建築など、西洋建築の様式を習得
日本での活動
・1886年:帰国後、内務省に勤務し、建築技術者として活動
・明治期の日本の西洋建築の普及に貢献
代表作と実績
・司法省旧本館(現・東京国立近代美術館工芸館):ルネサンス様式の傑作と評価される
・各地の庁舎や学校などの公共建築を設計
建築家としてだけでなく、技術行政にも携わり、日本建築の近代化を推進
・和洋折衷の建築様式を確率
・近代日本の建築史に大きな足跡を残す
・辰野金吾との関係性も注目される
晩年
・晩年は後進の育成に注力し、日本建築界の発展に寄与
・1916年:57歳で逝去
・その生涯は数々のドラマに彩られている
評価と影響
・日本の近代建築の草創期における先駆者として高く評価される
・西洋建築様式を取り入れながらも、日本の風土や文化に適応した建築を追求した
「横浜赤レンガ倉庫」は、明治末期から大正初期にかけて建造された当時のレンガ建築
技術の頂点を極めた歴史的建造物です。1989年、倉庫という最初の使命を終え、2002
年春、芸術文化の創造、賑わいの創出という新たな役割を担う「文化施設ー1号館」
として生まれ変わりました。
明治末期から大正初期にかけて当時のレンガ技術の枠を集めて建造された横浜赤レン
ガ倉庫は、創建以来世界の物流拠点として国内外の発展に大きな役割を果たし、1989
年には当初の使命を終え、2002年4月に芸術文化の創造と賑わいの創出をコンセプト
に再生されました。
1859年の開港以来、世界に開かれた窓として常に新しい価値を生み出してきた横浜の
アートの力を信じる アートでつなぐ アートで拓く
アートの多様な可能性
を信じて行動する
アートを通じて人・社会・時代
をむすび多様な出会いと
つながりを生みだします
アートの多様性で新たな価値
創造に挑戦し未来を拓きます
赤レンガ倉庫のコンセプト
1859年
1913 年
1945 年
1970 年
1992 年
1999 年
1923 年
1956年
1989年
1994 年
2013年
横浜開港、新たな時代の幕開け
横浜村が開港の場所と定められ、横浜の都市とし
ての歴史が始まる
赤レンガ倉庫 一号館竣工
日本最初の荷物用エレベーターや消火水栓(スプ
リンクラー)、防火扉などを備えた、日本が世界
に誇る最新鋭の倉庫として2つの倉庫が完成した
終戦、アメリカ接収、
アメリカ軍港湾司令部として使用
第二次世界大戦で海外との貿易は途絶え、戦争にお
ける軍事物資の補給基地となった。
倉庫の保存検討
倉庫としての役割が低下し、建物の解体等も想定され
る中、横浜市は 1983年に「みなとみらい 21」
横浜市が国から取得
横浜市は、国との交渉の末、赤レンガ倉庫の土地と建
物を取得し、保存活用に向け大きく前進した。
横浜赤レンガ倉庫事業コンセプト決定
「港の賑わいと文化を創造する空間」を事業コンセプ
トとして、横浜らしい文化を創出し、市民が憩い、
賑わう空間として事業を行うこととなった。
関東大震災、倉庫半壊
1号倉庫は半壊し、大きな被害を受けたが、建物
に耐震技術がほどこされていたこともあり、震災
を生き延びることができる
接収解除、港湾倉庫として再稼働
約10 年間続いた接収が終了し、1号倉庫は税関倉庫、
2号倉庫は公共の上屋となり、再び海外との取引が
始まった。
倉庫としての用途廃止、休眠へ
赤レンガ倉庫は 80 年の歴史に一旦幕を下ろす。
保存のための改修工事が始まる
屋根の改修や窓やひさしの復元、落書きの除去、鉄骨
による構造補強など本格的な改修工事は 1999 年まで続
いた。
1号館創建 100 周年
通算来場者数 6000 万人突破を記念して「デジタル掛け
軸」投影。
2010s
1990s
1980s
1970s
1950s
1940s
1920s
1910s
赤レンガ倉庫について
着工 明治 41年(1908)年
竣工 大正 2(1913)年
建築面積 1953㎡
延床面積 5575 ㎡
長さ 76m
幅 22.6m
高さ 17.8m
敷地概要
1F 平面図 1/200
2F 平面図 1/200
3F 平面図 1/200 断面図 1/200
イギリス積み
レンガの長手だけの段、小口だけの段と一段お
きに積む方式。オランダ積みとよく似ていて、
違いは端部の積方のみ。イギリス積みは丈夫(強
度が強い)で経済的(使うレンガが少なくて済
む)といわれている。
フランス積み
一段にレンガの長手と小口を交互に積む方式。
フランス積みというのは誤りで、正確にはフラ
ンドル積み、あるいはフレミッシュ積みという
そうだ。
小口積み
レンガの小口のみを千鳥に積む方式。ドイツ積
みとも呼ばれる。千鳥とも呼ばれるが、小口だ
けを前面に出すため、大型の建物よりも小規模
な物に多く使われてきた。
長手積み
レンガの長手のみを千鳥(ジグザグ)に積む方
式。半枚積み。壁厚が小口のサイズ(約 100mm)
に限定されてしまうのが難点である。
レンガの積み方
煉瓦の積み方の違いによって、構築できる最小壁厚も決まってしまう。
イギリス積みとフランス積みは約 310mm、小口積みは約 210mm、長手積
みが約 100mm となる。
長手積みが別名:半枚積みと呼ばれるのは、通常の半分以下の厚さの
壁が可能だからである。
なお、小口積みと長手積みは構造的には、ほぼ同一の積み方である。
壁面をどこから眺めるかによって、小口積みは長手積みに、長手積み
は小口積みになる。
つまり、ファサード(建築学的な造形上での正面)に現れた積み方で、
小口積みと長手積みは区分される。
例えば、通水断面がアーチ型の煉瓦樋門では、樋門を外側から眺めると、
アーチリング(アーチ部の煉瓦)は小口積みだが、アーチの内部から眺
めると長手積みとなる。
新しく 1 年生がメンバーに加わった後期は、人数が増えたため、グループの数を4つに増やしました。
まずは、何をテーマとして、どのような模型を作るのかを、最初に学生たちで話し合って決めてもらい
ました。その結果、①実際に足を運び、見ることができる首都圏の建築であること、②日本の近現代建
築史に大きな影響を与えた西洋の建築や、その弟子の建築であることなど、いくつかの軸が整理され、
テーマが見えてきました。最終的に選ばれたのは、国立新美術館(黒川紀章)、自由学園明日館(フランク・
ロイド・ライト)、国立西洋美術館(ル・コルビュジェ)、赤レンガ倉庫(妻木頼黄)の4つで、まずは
グループごとに現地見学を行い、既存の図面や文献を収集し、制作物のスケールや材料、表現方法を決
めていきました。建築の歴史だけでなく、時代背景や敷地の場所、設計者の系譜などを調べ、模型に加
えて、それぞれ年表を作成し、ポスターにまとめました。学生間のコミュニケーションや、上級生から
下級生への情報や技術の伝達もなされ、ぐっと一体感が増し、皆が成長した作品に仕上がりました。
MU 展 ポスター作品
後期活動:近代日本に影響を及ぼした建築家とその弟子の系譜を辿る
ジブリ映画の世界観にとって、建築は大きな位置を占めています。もっというならば、多くのジブ
リ作品は、それぞれ「建築の物語」としても読み取ることができると思います。前期のプロジェク
トでは、数あるジブリ作品の中から、学生たちに「好きな作品」を選んでもらい、それらの物語の「主役」
となっている建築をピックアップして、模型として再現することを試みました。選ばれたのは、「天
空の城ラピュタ」、「千と千尋の神隠し」、「ハウルの動く城」の3作品。まずは、3つのグループに
分かれて映画を鑑賞し、スケッチをするなどして、対象建物の図面を起こす作業を行ってもらいま
した。同じ場面に描かれる風景や人物との関係から、スケールを推定し、平面図、立面図、断面図
を書き起こしました。続いて、これらをもとに、模型の材料や表現方法を検討し、敷地や背景、細
部の表現などにも工夫しながら、模型の制作が進められました。このようにして、アニメ映画の中
に描かれた空想の建築が、現実世界に模型として再現されました。どれも、今にも動き出しそうな
生命感溢れる作品となりました。
「建築模型を作ろう!」をテーマとした今年度のプロジェクトは、学生たちが自由な発想で模型を制
作する時間でした。設計課題の模型とは異なり、「既存の建築を再現すること」を主軸に、そのため
の手段やスケール、材料、表現方法などは、全くの自由としました。前期は摩耶祭を、後期は MU
展をゴールとして、合計7つの模型が完成しました。以下に、その概要を紹介します。
前期活動:ジブリ映画の「建築の物語」を再現する
活動メンバー
3年 佐藤優月 月岡晴斗 森本樹
2年 佐藤慎吾 泉木風人 堀米大悟 清水歩稀
あらすじ
町を離れ荒れ地に向かう一人の少女。名前はソフィー年は 18 才。だが、その姿形はま
るで 90 才の老婆だった。長女として亡き父の残した帽子屋を一人で切り盛りしてきた
ソフィー。だがそれは決して彼女の望んだ生き方ではなかった。
ある日、出征兵士でにぎわう町中でソフィーは兵隊にからまれる。その窮地に助けを
さしのべたのは通りすがりの美青年。青年は不思議な力でそのまま空へと舞い上がり、
ソフィーを束の間の空中散歩にいざなうのであった。夢のような出来事に心奪われる
ソフィー。しかしその夜、ソフィーは、店を訪れた荒地の魔女に呪いをかけられ、90
才のおばあちゃんに姿を変えられてしまう。このままではいられない ! 意を決して荷
物をまとめて荒れ地を目指すソフィー。夕暮れに迫る荒れ地を歩いていると、その向
こうから、目の前に奇怪な形をした「ハウルの動く城」が姿を現したのだった……。
メンテナンススペース
展示室
前室 廊下 階段
階段
展示室 炉
炉
廊下
屋上広場
配管ピット
600 2300 4000
12850
4690 1860 3420 3019
▼最高高さ檣楼頂部(GL+19289)
▼砲台ドーム頂部(GL+16270)
▼装甲頂部(GL+12850)
▼軒高(GL+10990)
▼2FL(GL+6300)
▼1FL(GL+2300)
▼GL
▼基礎下端(GL-600)
1000 2000 1700 3400
12400
1550 1100 1650 400
断面図 1/200
(新建築参照)
平面図 1/200
指導教員:佐藤桂
工学部建築デザイン学科 1・2・3 年
場所のキオク
SA 大久保佳奈 , 金丸彰吾
3年 伊藤尚輝 , 桐山慎生 , 佐藤優月 , 月岡晴斗 , 山本悠人 , 大森駿佑 , 杉山陽菜乃 , 恒吉ののか , 森本樹
2年 泉木風人 , 宇野雅人 , 奥原晴琉 , 折原諒樹 , 菊地俊瑛 , 佐藤慎悟 , 清水歩稀 , 仲山航平 , 長谷川亮太 , 堀米大悟 ,
仲座望 , 長谷部尚哉 , 川上誠樹
1年 小熊想空 , 小野寺真生 , 叶内琉稀 , 羽生あすか , 栗原夢奈 , 桑原柚月 , 高山優希 , 田中心優 , 安田一平 , 伊藤綺音 ,
岩波俊汰 , 金指碧人 , 天達ゆかり , 伊藤暖 , 齋藤瑞稀 , 渡辺白楽
Project
Mu No.21 2024
116
Mu No.21 2024
117