学問の地平から
教員が語る、研究の最前線
第11回 多様体の幾何学
本学の教員は、教育者であると同時に、第一線で活躍する研究者でもあります。本企画では、多彩な教員陣へのインタビューをもとに、最新の研究と各分野の魅力を紹介していきます。
第11回 多様体の幾何学
工学部 数理工学科 坪井 俊 教授
2000年以上にわたって、人類を魅了してきた幾何学の謎
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Profile
1978年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了。同大学理学部数学科助手、理学部数学科助教授などを経て、東京大学大学院数理科学研究科教授・研究科長。2019年4月より現職。専門分野は幾何学、数学の応用。東京大学名誉教授。理学博士。1991年、日本数学会 幾何学賞受賞。
古代エジプトのユークリッド幾何学から始まる数学は、デカルト、 ニュートン、オイラー、そして非ユークリッド幾何学をもたらしたロバチェフスキー、ガウス、ガロアなどの偉大な数学者の業績によって19世紀にはほぼ現在の学問体系が築かれました。最先端の情報科学や量子力学も決して数学の成果なしには考えられません。学生時代から長年にわたり「多様体の幾何学」の難問に取り組んできた坪井俊教授の研究と学生への教育についてご紹介します。
研究の背景
幾何学の研究者になるまで
―古代エジプトに始まる幾何学の魅力―
私の専門分野は大きくいうと数学の「幾何学」ということになります。文系の学生の皆さんは幾何学といわれてもピンとこないかもしれませんが、図形や空間の性質について研究する数学の一分野のことです。

幾何学の面白さに魅了されたのは、中学校の数学の授業で習ったユークリッド幾何学が大きなきっかけでした。ユークリッド幾何学とは、簡単に言えば平面は平らで、直線はまっすぐで、平行線は交わらないというものです。紀元前300年頃、古代エジプトの哲学者であるエウクレイデス(英語ではユークリッド)の著書『原論』に基づく幾何学の体系で、19世紀に現代数学につながる非ユークリッド幾何学が登場するまで、なんと2000年以上も「唯一の幾何学」として数学者たちの研究基盤であり続けました。

中学生の数学では、いくつかの公理(理由なく正しいとする文章)をもとに命題を証明することがとても面白く感じられました。たとえば「三角形の内角の3本の二等分線が1点で交わる」「三角形の三辺の垂直二等分線が1点で交わる」。これらはすべて数学の論理で証明できるのです。数学のさまざまな課題の証明に親しんでいるうちに、証明問題を解いたときに得られる「わかった」喜びが好きになり、他の数学問題を解くのが楽しくなってきました。やがて自分の教科書だけでは飽き足らず、大学の教科書まで手を出すようになりました。数学の面白さは証明の方法や理解の筋道が多種多様にあって、複雑に思える問題も簡単に証明できたりすることもあります。そうした底知れぬ数学の魅力に、すっかり取り憑かれていったわけです。
―教員志望から研究者の道へ―
高校時代には物理学にも大いに興味がありましたが、自分の中で「まだまだ数学の面白さを究めていないはずだ」という思いがあり、大学での専攻はやはり幾何学にしました。ただ大学時代は研究者になるつもりはなく、教職課程を取って中学・高校の数学教師になろうと思っていました。自分自身が中高生時代に感じた数学の面白さを次の世代に「教える」仕事に意義を感じていたからです。

しかし大学4年生になった時、「まだまだ自分の理解は不完全だ」という思いが残り、大学院修士課程の2年間でさらなる研究と修士論文作成に取り組みました。以来、そのまま大学に留まり、曲線や曲面さらに多様体の幾何学をライフワークに研究者人生を歩んできました。
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研究について
研究と教育
―「多様体」の構造と動きを捉える研究―
現代の幾何学では、二次元の三角形、多角体、三次元の多面体等の図形以外に曲面とそれを高い次元で考えた「多様体」というものが研究対象になります。

多様体という〝空間〟の中には様々な〝構造〟を考えることができます。その構造の性質と、構造を保つ変換の全体の性質(変換群といいます)とは対応しており、この「多様体の変換群」が私の研究対象です。いわばモノの性質とそれが〝動く〟という現象をどのように記述するかの探求です。
私たちが生きているこの世界、そして宇宙は曲面で構成された多様体そのものです。石や金属など硬いものは動かしても形が変わりません。ところが水のような液体は移動しながら刻々と形が変わっていきます。しかし体積はほとんど変わらないのです。形が変わらないという性質は2点を結ぶ線分の長さが変わらないということで「等長変換」で移動していることになり、水の流れは体積が変わらない「等積変換」で移動しているということになります。こうした変換全体が持つ「変換群」について、数学者たちの努力により多くのことがわかってきました。太陽などの恒星とその周囲を様々な力がかかりながら巡る惑星の関係も、実は変換群の考え方によって記述することができます。

しかし、まだまだ謎に包まれた領域があることも確かで、そうした謎の解明が私の何よりの楽しみです。もちろん簡単には解明できない謎ばかりですが、なんとか筋道を付けようと日々思考を巡らすことが私の生きがいとも言えます。
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▲2019年 ジュネーブ大学(スイス)での実解析的変換群についての講演

教育について
―文系の学生に数学を教えること―
「なぜ文系なのに数学をやらなくてはいけないの?」と思っている学生もいるかもしれませんが、数学的な思考法や議論に触れるチャンスは大学を卒業してしまうとなかなかありません。いわば、文系の学生にとって大学時代が数学に触れる最後のチャンスなのです。そんなチャンスをぜひ生かしていただき、数学的思考で人生をより深く味わっていただければ……、それが私の願いです。

2021年度からは数理工学科で専門科目も担当します。そちらも大いに楽しみではありますが、これからも文系の学生に数学の面白さを伝える試みは続けていきたいと思っています。教えることは難しいけれど、本当に楽しい。そして自分が面白いと思っている数学の魅力の一端でも、若い学生が理解してくれたと実感できたときの喜びは何物にも代えがたいと思っています。
 
数理工学科で学生を教えるにあたって、自分に課しているテーマは「数学の基礎理論と応用分野のバランスをうまく伝えてあげられるようにすること」です。応用分野の面白さや広がりをきちんと理解するためには、しっかりした理論、すなわち基礎の修得が必要不可欠です。

なぜ基礎にそれほどこだわるかと言えば、現代はますます世の中の変化のスピードが速まっているからです。最新の知識やテクノロジーも5年経てばもう世代交代しかねない激動の時代だからこそ、基礎の重要性をあらためて訴えていきたいと考えています。そのためには何事にも繰り返し、一生懸命取り組まねばなりません。大学生には十分その時間があり、気力・体力が備わっているはずです。もちろん学問だけではなく、課外活動や社会活動、趣味、友だち付き合いなど、4年間の大学生活の中では何事にも一生懸命取り組んでほしいと思います。その経験はきっとその後になって役に立ちます。
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