学問の地平から
教員が語る、研究の最前線
第12回 天然物化学・分子遺伝学
本学の教員は、教育者であると同時に、第一線で活躍する研究者でもあります。本企画では、多彩な教員陣へのインタビューをもとに、最新の研究と各分野の魅力を紹介していきます。
第12回 天然物化学・分子遺伝学薬学部薬学科・薬学研究所 市瀬 浩志 教授
薬の“種”を作り出す微生物の生合成経路を解明
人となり
有機化学の美しさに魅了されて

小学生のころから地理や歴史に興味があり、お寺や神社を巡るのが好きでした。その当時から御朱印帳を持っていて、子どもだてらに御朱印をいただいていました。本学に着任した後も神社仏閣巡りは好きで、実務実習の実習先を訪問した帰路や地方の学会参加に合わせて、その土地の風土や歴史を感じながら楽しんでいます。

そんな私ですが、高校の進学クラスが「理数科」だったことがきっかけで、理系に進むことになりました。本当のことを言うと、理系からの「文転」はできても、文系から「理転」するのは難しそうだから、とりあえず理系に進んでしまった、ということなのですが…(笑)。

ところが、そこで思いがけない出合いがありました。有機化学との出合いです。私たちの生きている世界はすべて物質からできています。その中でも炭素、水素、酸素といった元素が、シンプルなルールに基づいて結合した物質(有機化合物)は、私たちの体はもとより、身の回りのさまざまなものを構成する物質が化学構造式で表現されていました。私はそれを「とても美しい」と感じ、すっかり魅了されてしまったのです。理系科目は元々苦手でしたし、数学は今でも不得手ですが、化学だけは興味を持って勉強していました。
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▲御朱印コレクション

薬学の研究で化学と生物が融合
有機化学に興味はもっていましたが、それでも「大学では化学を専門にしよう」と固く決意して進学したわけでもなく、入学後も何を専門にするかで悩みました。薬学部を選んだ理由は、化学を基礎としつつも物理や生物も勉強してみて、後でいろいろな道を選べると思ったからでした。

薬学部で授業や実習を受けているうちに、動物実験がどうしても苦手で、この系統の研究室に行くことは無理だなと自覚しました。それでも、お寺巡りをしながら植物もよく観察していたので、薬の原料としての植物や毒や薬を生み出す生物として微生物という世界にだんだん引かれていきました。薬物や毒物は有機化学の領域で、それらの構造式の複雑さはそれまでに見たこともないほど「美しい」ものでした。ここで生物と最初に興味を持った有機化学とも結びつくことになりました。学部の卒業研究は生薬学・植物化学教室で行うことになり、ここで配属研究室での主要な研究課題であった「天然物の生合成」という領域に巡り会うことになりました。
今に繋がるイギリス留学での出会い
大学の研究室で大学院博士課程を修了した後、学位論文の恩師(三川潮教授)の推薦もあってイギリスに留学する道を選びました。当時、イギリスとのやり取りは国際電話か手紙でしたから、受け入れ可と先方(Alan Battersby教授)から返信の手紙が届いた時のうれしさと感激は、今でも忘れられません。

留学先の研究室は、生物学や遺伝子を専門とするフランスのチームと共同で、チーズづくりにも利用される細菌が生産するビタミンB12の生合成研究をしていました。有機化学を専門にしてきた当時の私にとって、遺伝子は未知の領域です。しかし、共同研究が進むにつれ、遺伝子レベルの生合成研究を実施したいと強く思うようになり、インターネットもない当時、英語版の遺伝学のテキストを必死に勉強するようになりました。そのころ、勤務地のCambridgeから80㎞ほど離れたNorwichに、遺伝子レベルの天然物生合成研究で大きな成果を挙げていたDavid Hopwood教授が勤務する研究所がありました。イギリスに渡って2年近くがたって、ビタミンの研究課題も一段落したある時、若さ故の無鉄砲さで、この研究所を訪問したところ、日本人研究者との幸運な巡りあわせもあってHopwood教授とお話しする機会をもつことができました。私の遺伝学への思いをBattersby教授からもご理解いただき、結果的に翌年からこの研究所で仕事をすることになりました。私の放線菌の研究は、このHopwood教授との出会いからスタートしています。研究をはじめて伺ったことですが、教授も化学のセンスをもった研究人材を求めていたことわかり、合縁奇縁としか言いようがないチャンスに恵まれたとのだと思います。
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▲王立化学会正門にて(ロンドン)

今後の展望
研究と教育は薬学部の両輪。学生の研究マインドを育てたい

ヒトに対するさまざまな治療薬の開発は、究極的には、有効な化学物質を手に入れるかどうかがカギを握っています。生合成の反応をつかさどる酵素のこれまで知られていなかった機能を一つでも解き明かし、生物のモノづくりをヒトに役立つモノづくりに応用していきたいと思っています。また、私の研究は分野横断的で、共同研究が欠かせません。私の研究室にはスタッフ2名が所属していますが、他大学や公的研究機関に所属する外部の共同研究者も含めて、研究の進捗はチーム力にかかっています。定期的に共同研究に関する会合を開いていますが、時間の経過を忘れるくらい白熱し、私には至福の時間です。

薬学部の学生の多くは薬剤師資格を取得して、ライセンスを活かした仕事につきます。私の研究は、いわゆる薬剤師の現場からは遠い基礎的な分野ですが、研究室での課題に対して、学生には研究マインドを持って取り組んでほしいと考えています。実験系の研究活動は、綿密な仮説に基づいて実験計画をたてて行いますが、日々の実験は失敗の繰り返しです。ただ、試行錯誤から身につけた、問題に取り組む姿勢は大変重要で、これが研究マインドに相当します。失敗は、裏を返せば「絶対に成功しない方法」が一つ分かるということでもあります。次は別の方法でやってみればいいし、それを積み重ねていけば、いつか成功への突破口が開けてくるのです。このような経験から獲得した「智」はどのような職種についても必ず役立つと思います。

本学では、2003年に薬学研究所が設立されています。翌年に設置された薬学部は、学部に直結した薬学研究所と車の両輪のように研究と教育を担当しています。研究マインドを日々研鑽している薬学研究者が学部教育に携わることが非常に重要だと考えています。微力ながら私はその所長として、研究環境の充実につとめるとともに、学生の研究マインドを引き出し、伸ばす責任があると思っています。
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▲薬学研究所の超高速液体クロマトグラフィー質量分析計

―読者へのメッセージ―
2019年の薬機法(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)が改正により、これからの薬剤師の仕事は、対物業務から対人業務によりシフトしていくことが鮮明になりました。薬局機能の強化も改正方針の柱で、薬の服用期間を通じた継続的な薬学的管理と患者支援も義務化されました。また、対物業務の中心にあった調剤業務の一部をロボットが担うシステム(ロボット調剤)の導入も始まっていますので、これからの薬剤師に、「人間にしかできない業務」が求められるのはある意味では当然のことです。では、対人業務において、薬剤師に求められることとは、何でしょうか。私は2つの点を挙げたいと思います。1つ目は、対物業務で培った医薬品の取扱いに関する高度な専門知識、特に薬学の「強み」である化学センスを活かして業務を考えることにほかならない、と私は思っています。医療従事者で、化学に一番強いのが薬剤師のはずです。2つ目は、分野横断的な基礎的な科学力だと思います。複雑な現代社会においては、想定を超える問題が日々発生し、マニュアルでは対応できない状況になっています。複数の選択肢が可能な問題に対して、客観的な事実を積み上げて、最善、次善と方策を提案できる力、まさに研究マインドを活かすことです。私は、大学での研究活動を通じて、自らの強みを活かして考えられる力を持った人材を育てていきたいと思っています。そして、本学が送り出した創造力豊かな薬剤師が、社会のみなさまの健康や幸せのために活躍してくれることを願っています。
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取材日:2021年4月