学問の地平から
教員が語る、研究の最前線
第17回 看護学
本学の教員は、教育者であると同時に、第一線で活躍する研究者でもあります。本企画では、多彩な教員陣へのインタビューをもとに、最新の研究と各分野の魅力を紹介していきます。
第17回 看護学
看護学部 看護学科 坂上 明子 教授
親も子も幸せになる不妊治療を目指して
今後の展望
若い世代へのプレコンセプションケアが重要
高校までに学校で行う性教育では、避妊の方法は学べますが、不妊のことを学ぶ機会はほぼありません。避妊についてしか学んでいなければ、希望すればいつでもすぐに妊娠できると思い込んでしまうのは当然かもしれません。また、不妊を「女性だけの問題」と思っている男性は多く、男女ともに将来の妊娠について正しい知識を得る機会は決して多くないのが現状です。これからは、思春期から青年期の男女に将来の妊娠を想定して自分の健康やライフスタイル、ライフプランを考えてもらう「プレコンセプションケア」を充実させることが重要だと考え、本学をはじめいくつかの大学で授業を行っています。
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プレコンセプションケアは、子どもを持つことを推奨するものではありません。人の生き方は多様で、子どもを持つ人生も、持たない人生も等しく価値があり、どちらも尊重されるべきです。ただ、正しい知識を持った上で「子どもを産まない」という選択をすることと、子どもを望んでいたにもかかわらず、正しい知識を持たなかったために、結果的に「子どもを産むことができなくなる」ことは、まったく異なります。高年齢で不妊治療を受けて出産する方への支援はもちろん大切なのですが、一方で、そうなる前にできることもあります。プレコンセプションケアを通じて若いうちから今後のライフプランを考え、若い世代が人生の選択肢を狭めてしまうことがないよう支援していきたいと考えています。
教育
看護の楽しさ、厳しさを知る臨床家を育てる
学部では母性看護論やセクシュアリティ論などの講義や実習科目を教えていますが、授業では学生に看護を行う楽しさとともに、人の命を預かる厳しさ、責任の重さを伝えたいと思っています。看護の現場では、教科書に載っているような一般的な知識や技術では対処しきれないことがたくさん起こります。さらに、日々進歩する医療に対応するために一生涯学び続けることも求められます。女性や家族の背景、思い、考え、希望、価値観、生活に合わせた看護を行うため、大学時代に自ら考える力やより良い方法を模索する力を伸ばしてほしいと考え、日々授業を行っています。
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▲実習室

アメリカの哲学者ミルトン・メイヤロフは著書『ケアの本質‐生きることの意味‐』において、「一人の人格をケアすることとは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけることである」と述べています。とても深い言葉だと思います。ケアの対象者に深い関心をもち、成長や自己実現を助けるケアを提供することを通じて自らも多くの学びや喜びを得る、それが看護の楽しさでもあり、やりがいでもあると思います。しかし今、コロナ禍のため病院などでの臨地実習が少ない状況にあります。本来は患者さんとのやりとりや現場の看護職者から学べるはずの看護の楽しさや厳しさをどう伝えていけばいいのか、教員として難しさともどかしさを感じています。一方で、コロナ禍で本当に大変な思いをされている医療者の姿を見て「早く現場に出て社会の役に立ちたい」と話す学生たちもいて、とても心強く思っています。
人となり
家族の幸せを支援したいと助産師に
私は幼いころは病弱で、何度も入退院を繰り返していたので、医療者は常に身近な存在でした。成長するにつれ、私も誰かの健康の役に立ちたいと考えるようになり、看護の道を志して大学に進学しました。

私が高校生のころは、まだ看護系大学が日本に数カ所しかなく、大学の看護学部は看護学の教育者を養成する場所という側面が強かった時代です。私も大学進学当初は、数年間看護師として活動した後、教員になって看護師を養成することで社会に貢献したいと考えて、学びを進めていました。しかし、大学3年生の時に、人の命の誕生に関わる母性看護学領域の素晴らしさに触れ、助産師になることを決意。その思いを叶え、卒業後は助産師として大学病院の周産期センターで働くことになりました。

家族の幸せを支援しようと意気込んで働き始めたのですが、勤務先の周産期センターでは、生と死は隣り合わせであることを痛感することになりました。ハイリスクの妊産婦さんが多く入院されている周産期センターでは、流産・死産に終わってしまうことも、合併症で母体が重篤な状態になることも、早産や先天性の疾患で新生児が亡くなってしまうこともあります。すべての妊娠・出産が正常に経過するわけではなく、無事に妊娠や出産できることは奇跡だと強く感じました。いずれは看護学の教員になるつもりで、臨床現場で働き始めたのですが、このままずっと臨床家で居続けたいと思うほど充実した毎日でした。
人生を変えたある患者さんとの出会い
勤務していた大学病院には、不妊治療のために通院されている方もいらっしゃいました。ただ、私が勤務している病院では当時、高度生殖医療を行っていなかったため、私たち助産師が不妊治療に直接関わることはほとんどなく、日ごろの仕事の中で不妊の患者さんを意識する機会はそれほどありませんでした。

ある日私は、日曜日であるにもかかわらず、不妊治療の注射のために来院された患者さんに「大変ですね」と声を掛けました。当時は週末や夜間でも治療周期に合わせて注射を打つために通院する必要があり、患者さんは生活のほとんどが治療を中心に回っているような状態でした。それを労おうと何気なく発した言葉だったのですが、その方は、堰を切ったように自分がどれほどつらく大変な思いをしているかということを話し始められました。そのお話を聞くうちに、不妊治療を受けている患者さんはこれほど大変な思いをされていたのか、と大きなショックを受けたことをよく覚えています。この経験を通して、不妊の患者さんの看護に強く興味を引かれたことが、研究者としての私の出発点です。
―読者へのメッセージ―
医療者の中でも、看護職は「人」に深く関わる仕事であり、人に寄り添いケアする高度な専門性を持った職業です。さまざまな年齢、性別、社会背景をもつ人々の健康を支援するため、からだだけでなく、こころ、暮らし、家族や社会とのかかわりなど、私たち看護職者が学ばなければないことは多岐に及びます。これからも、健康に関する専門的な知識と技術を持っているだけでなく、豊かな人間性を兼ね備えた高度な実践者・研究者を一人でも多く、養成していきたいと思っています。
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取材日:2021年11月