学問の地平から
教員が語る、研究の最前線
第24回 日本文学・和漢比較文学
本学の教員は、教育者であると同時に、第一線で活躍する研究者でもあります。本企画では、多彩な教員陣へのインタビューをもとに、最新の研究と各分野の魅力を紹介していきます。
第24回 日本文学・和漢比較文学文学部 日本文学文化学科 楊 昆鵬 准教授
和と漢の文学が響き合う和漢聯句(わかんれんく)の世界
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Profile
名古屋大学大学院文学研究科日本語日本文学専攻修了。博士(文学)。日本学術振興会外国人特別研究員、関西学院大学言語教育研究センター講師、武蔵野大学文学部日本文学文化学科講師を経て、2017年4月より現職。2019年に第28回柿衛賞を受賞。
古くから日本の文化人は、中国の文学や思想を受容し、咀嚼し、日本固有のものと結合させて新しい文化を創造してきました。そうして生み出された文芸の一つに、中国発祥の聯句と日本の連歌を融合させた和漢聯句があります。歴史の中に埋もれていた和漢聯句に光を当て、中国と日本の文化や伝統の違いから生まれる魅力を追究している楊昆鵬准教授の研究をご紹介します。
研究の背景
中世から近世の「座の文学」を研究
私が研究しているのは、日本の中世から近世にかけての韻文、特に連歌、聯句、和漢聯句、和漢俳諧といったジャンルの作品です。

これらの文学には、一つの共通点があります。それは、複数の作者が共同で創作する「座の文学」であるという点です。連歌は、短歌の上句(五七五)と下句(七七)を複数人で詠み連ねていくもので、鎌倉時代初期に成立しました。聯句は、中国発祥の文芸で、連歌と同じように何人もが交代で句を連ねて一篇の漢詩を作っていきます。漢の武帝時代に君臣の融和を図るために作られたといわれ、日本でも平安時代には貴族の間で盛んに聯句の会が催されていました。和漢聯句や和漢俳諧は、連歌や俳諧と聯句とが結びついて生まれた文芸様式です。私は、中国から日本へ留学していた大学時代、日本で生まれた和漢聯句や和漢俳諧のユニークさ、和文化と漢文化の違いから生まれる面白さに強く惹かれました。爾来、和漢聯句を研究テーマの中心としてこれまでさまざまな研究に取り組んできました。
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研究について
日本文学史の中に埋もれていた「和漢聯句」
和漢聯句の始まりは鎌倉時代後期ごろだと考えられていますが、はっきりしたことは分かっていません。しかし、連歌の世界に漢詩の表現や発想を取り入れた和漢聯句は、新たな創作のスタイルとして、当時の宮廷や貴族の間で大いに盛り上がりました。特に、室町時代には、歴代天皇と臣下たちが盛んに会を催して楽しんでいたことがわかっています。また、五山の禅僧や武家の教養人にも長く愛好され、たくさんの作品も残されました。それほど盛んだったにも関わらず、近世後期以降は次第に忘れられてしまい、近年まで文学史の中でも取り上げられることはほとんどありませんでした。

和漢聯句が一つの研究分野として開拓されたのは、30数年前のことです。18年前から、京都大学文学部で和漢聯句の共同研究プロジェクトが始まり、当時大学院生だった私もこの研究会に参加して資料の収集や翻刻(くずし字を現代の文字に変換すること)、作品の解読などに取り組んできました。

後に日本学術振興会のPD研究員として京都大学国語学国文学研究室に所属していました。そこで10数年にわたって多くの先生方や仲間と共同作業を続け、これまでに4冊の作品資料集を刊行し、また数冊の注釈書も世に送り出すことができました。研究会の活動と並行して、私個人として和漢聯句の作品に対して「ここが興味深い」「こう解釈すべきだ」と考えた点を掘り下げ、論文にまとめて発表しています。
教養の連帯感を楽しむ日本の「座の文学」
同じ「座の文学」として共通する点の多い日本の連歌と中国の聯句ですが、実は大きな違いがあります。それは、聯句が最初から最後まで一つの主題に沿って句を連ねていくものであるのに対し、連歌は次々と場面が変化していくという点です。たとえば、聯句が目の前の風景を一人一人独自の描写で詠み連ね、あわせて一つの大きな風景を創り上げるものだとするなら、連歌は最初の主客二人が目の前の風景を題材にしても、第三句目以降の人は前の句から連想した別の風景も詠んでいくようなイメージです。この基本的なルールの違いに、個人の創造、オリジナリティを重視する中国と、その場のつながりを重んじる日本の文化の違いが表れているように思います。
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連歌に参加した人々が、連想によって場面を変えながら句を連ねることができるのは、全員が共通の教養や知識を持っているからです。今の感覚で言えば、クラウドで知識やルールを共有しているようなものですね。日本の座の文学は、「その場にいること」の連帯感というより、「共通の教養を持っている」という連帯感、いわば同じクラウドにアクセスできることを楽しむという側面が大きかったのだろうと私は考えています。これは、よく話題に上る日本の「空気を読む文化」にも通じるものがあります。
 
伝統的な教養やルールを重んじ、その場にいる誰もが暗黙のうちに理解できる要素を句に入れ込んで楽しむ。そうした連歌の特徴は和漢聯句にも受け継がれ、日本独特の文芸の形式が作り上げられました。また、和漢聯句はただ連想して句を連ねていけばいいというものではありません。連歌と漢詩のルールに則って詠んでいく必要があり、たとえば偶数句目の漢句は、五文字目で決まった韻脚を守らなければなりません。一見煩雑に思えるルールを守りつつ、その上で発揮される作者の創意工夫や自由な発想を作品から読み取ることも、和漢聯句の面白さの一つです。日本古来の和歌や物語、中国の典籍に由来する故事や典拠が一篇の中に凝縮された和漢聯句には、和の文学と漢の文学の伝統が響き合って生まれた独特の味わいと面白さがあると思っています。