館長あいさつ (平成28年4月4日)
小西和信

~~ 図書館の蔵書を読み尽す?! ~~

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。あわせて新しくこの学び舎と縁を結ばれた皆さんとの出会いを喜びたいと思います。
一年次生全員が通うことになる武蔵野キャンパスの大学図書館は、昭和47(1972)年に竣工されました。 当時図書館長をされていた国語学者で歌人の土岐善麿先生は、歌集『斜面送春記』に収められた「図書館起工式」で新図書館とそこに学ぶ学生たちに愛情と期待をこめて詠じておられます。

新館の建つ日にわれはあらずとも次の世代を思うたのしさ
教科書のほかには何を読みしやと語りあいつつ過ぎゆく秋か
世に奉仕のよろこびを身に知らんため司書の課程も学びゆくべし
わが新作も秘すれば花とおさめゆく能楽資料センターの中
落葉あかるくイチョウ並木顧みて校門に立てばまたあすのあり

 土岐先生がこう詠まれてから44年経ちます。建物は時の経過に抗うことはできませんが、今の季節には三階の閲覧室の窓いっぱいに広がるソメイヨシノが見事です。 閲覧室の大きな窓枠が切り取った風景は一幅の絵画のようです。花が終わった後は新緑が、利用者を癒してくれます。 図書館は、ここ数年の学生数の増加に手狭の感はいなめませんが、天井の高い一階閲覧室(辞書室)を愛用してくれる利用者もいます。 ぜひ新入生の皆さんには、自分の好みの「席」を見つけ、豊かな本の世界との出会いを味わっていただきたいと思っています。

 昔から、図書館の蔵書を全部読んでしまおうと「無謀な」企てをした人たちがいます。 古いところでは、芥川と同世代の作家菊池寛(1888-1948)が図書館の本をたくさん読んだ筆頭とされています。 旧制中学時代、郷里の高松に出来た教育会図書館(現香川県立図書館)に毎日通って、その蔵書2万余冊のうちの「少しでも興味のあるものはみんな借りた」(「半自叙伝」)とし、 上京後は帝国図書館(上野図書館)、大橋図書館、帝大文科図書室、日比谷図書館等に通い詰め、読書に打ち込んでいます。 同級生の図書窃盗罪をかぶって東大を退学になり、京大に転学後、そこでも「とにかく、京都大学三年の間、教室で学んだものは、 何もなかった。ただ私は研究室にあった脚本は、大抵読んだ」(同上)そうです。 家からの仕送りが途絶えバイトの傍ら早稲田に通っていた江戸川乱歩(1894-1965)は、「大学在学中の内職を算えて見ると、 活版小僧、写字生、政治雑誌の編集部員、市立図書館の貸出し係り、英語の家庭雑誌などが主なものであったが、講義は余り聴かず、誰やらのように、 早大図書館卒業という方がふさわしいような勉強の仕方であった」(「探偵小説四十年」)と書いている通り、所属の大学図書館をはじめ、上野、大橋、日比谷の各館も頻繁に利用したようです。

 こうした有名なエピソードの他にも、全共闘世代の必読書と言われた『悲の器』『わが心石にあらず』『邪宗門』を書いた高橋和巳(1931-1971)は、「友人の家の蔵書を片っぱしから読んでいった。 それはまったくの無選択読みであって、その癖は後年まであらたまらず、大学時代にも、図書館の開架室の書物をアイウエオ順に自棄くそに読んでいったことがある。 翻訳の『アインシュタイン全集』といったものが、割合早い順位に並んでいたから、それも蚕が桑の葉を齧ってゆくように読んでいった。 だから、相対性理論についても、アインシュタインの通俗講演筆記を通してではあるが、文学者としては相当高度な理解があるつもりでいる」(「私の読書遍歴」)と乱読時代を振り返っています。 この図書館は、京都大学の図書館ですが、本部の附属図書館なのか旧制三高の蔵書を引き継ぐ吉田南総合図書館なのか分かりませんが、開架図書室とありますので、蔵書数は数万冊規模だったと推察されます。 こんな時突っ込みをいれてはいけないのでしょうが、一般に図書館の蔵書は何らかの分類順排架が採用されていますので、「アイウエオ順に」読んでいったというのは、カード目録を介したということでしょうか? ただ、そうだとしても大学図書館の著者名は原綴りで並ぶので「ア」ではないなどと詰まらないことを考えてしまいます。 いえ、作家高橋和巳が蔵書を読み尽そうと挑んだ話でした。 京大つながりでもう一人、日本を代表するSF作家小松左京(1931-2011)も、三高図書館で「図書館にこもってとにかく手あたり次第に読んだ」(「やぶれかぶれ青春記」)とあります。

 学生時代の読書からは離れますが、英文学者の高山宏氏の『超人高山宏のつくりかた』を読んでいましたら、東大英文学部の助手をされていた時代の記述がありました。 助手として、駒場の第一研究室外国語科書庫の蔵書の整理を担当されたそうで、「ふむ、たしかにこれが致命傷だったかも。 少しクリーム色の入った一二×七・五センチ、手の切れるような蔵書カードがびしっと百枚入った紙ケースが事務室から、急に大量に助手室に来るようになった。 ここからひとつの伝説が始まる。(略)」。 「おわかりだろう。要するに五万五千冊にひと通りすべて目を通している以上、三分の一は全巻通読、さらにその三分の一は全巻精読という結果になる他ないのである。(略)」(「書庫修験」)。 これはすごいと思います。 これらの蔵書はおそらく大部分が洋書だったはずで、本人の申告通りとしますと、「通読」以上(ふつうこれを「読んだ」といいますが)が3万6千冊くらいになります。 なお、日々図書館の目録データを作成している図書館員の皆さんは、高山氏のように「通読」やまして「精読」などをしているわけではありませんので誤解のないように。

 「蔵書を読み尽す」という場合、図書館の蔵書規模にも左右されます。 作家絲山秋子氏は、「どんなこども時代だったか」問われて「末っ子で背のびがしたかったんでしょうか、嫌な子供で、ワザと難しい本を読んで得意になっているところがありました。 自宅から、自転車でいける場所にいくつも区立図書館があったので通っていました。 今は全然及びませんが、小学生の頃は1年に500冊くらい読んで、読書帳もマメにつけていましたね」。(本当に幅広く読まれていますねえ。) 「・・・・・・それと、子供の頃は、図書館にあるものを洗いざらい読まないと気がすまない性格だったんです。 区立の図書館だったからよかったけれど、国会図書館だったら大変なことになっていました(笑)」(『作家の読書道』)と答えています。

 人はどれくらいくらい本を読めるのか?という問いに応えるのは難しいのですが、河合塾の人気国語講師だった牧野剛氏は、中学以来1日1冊読むことを自らに課したとしていますし、 駿台予備校の英語講師だった表三郎氏がこれまで10万冊読んだという事例を挙げています(『人生を変える大人の読書術』)。 身近な例では、本学司書課程の在学生の方が、年に300冊読み、今年は400冊を目指していると授業のコメントに書いていました。

 さて、冊数にこだわって書いてしまいましたが、本学の蔵書は残念ながら少ないのですが、 それでも40万冊に届くところですので、さすがに「読み尽すこと」は現実的な目標にはならないでしょう。 ですが、せめて「背文字だけでも読み尽す」つもりで、図書館にお越しください。 かならずたくさんの発見があり、稔り多い学生生活につながることと思います。

武蔵野大学図書館長小西和信

過去のあいさつ (平成20年8月1日付け)