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2023.03.07

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【第1弾】全国46校 総勢1,000人の元球児が開催を待ち望む「あの夏を取り戻す」プロジェクト~コロナ禍で中止となった甲子園の実現に向けて~

8月の風物詩とも言える「全国高等学校野球選手権大会(以下、甲子園)」。高校野球ファンでなくてもテレビ中継に夢中になる人も多いのではないでしょうか。しかし2020年5月、新型コロナウイルス感染症の流行により、甲子園が戦後初めて中止となりました。当時の高校球児たち、特に3年生にとっては「甲子園」という夢の舞台が失われた瞬間でした。
あの夏から2年余り。悔しさを忘れられない一人、大武 優斗さんは当時の甲子園を実現するため「あの夏を取り戻せ 全国元高校球児野球大会」というプロジェクトを発足し、責任者を務めています。今、SNS、HP、メディアへの掲載・出演を通して全国から関心が集まるこのプロジェクト。その全容を大武さんに伺いました。
 
今回は第1弾として、これまでの野球人生とプロジェクト立ち上げに至った経緯に迫ります!
【第1弾】幼少期から夢だった甲子園への想い

大武さんTIMES①_1

大武 優斗(おおたけ ゆうと)
アントレプレナーシップ学部 アントレプレナーシップ学科2年生。城西大学附属城西高等学校卒業。「あの夏を取り戻せ 全国元高校球児野球大会」運営責任者。
 

野球との出会い

———野球を始めたきっかけを教えてください

大武さんTIMES①_2

父の影響で小学校1年生の時に野球を始めました。父はもともと甲子園を目指していた高校球児で、僕に「甲子園に行ってプロ野球選手になってほしい」という想いがあったのだと思います。サッカーをやりたいと思った時期もありましたが、「やってもいいけど応援しないよ」と父に言われ、野球を続けました。(笑)

———高校入学前の野球生活について教えてください

僕は中学時代、各小学校から区や県で活躍した選手ばかりが集まる、東京で一番強いクラブチームに入っていました。僕自身も小学校で野球の練習を頑張ってきたので、このチームでやっていける自信はありました。しかし1年生の秋頃に、世界優勝したチームのスタメン6人が加入し、レベルの差を感じるようになりました。また、かかとを疲労骨折して半年間練習ができなくなり、当時は正直野球をもうやめたいと思っていました。

甲子園を目指して練習に捧げた高校3年間

———どのような高校生活を送っていましたか

小・中学校で野球ばかりやっていたので勉強で進学できる高校がなく、野球推薦で城西大学附属城西高等学校に入学しました。所属していたCSクラス(Culture&Sportsの略)は午後がすべて部活動で、体育祭や文化祭にも出られないくらい練習漬けの日々でした。入学前に憧れていた高校時代の青春とはかけ離れたものでしたね。(笑)

———高校球児として甲子園にかけていた想いについて教えてください

大武さんTIMES①_3

プロ野球選手になる夢は中学校の時から正直無理だなと感じていましたが、甲子園なら出られるかもしれないと思い、練習を続けていました。しかし、入学直後に今度は膝を怪我してしまい、2年生の秋まで大会に出られませんでした。3年生の春にやっと復帰し、背番号をもらって春の甲子園に臨みましたがコロナで中止となり、残すところ夏の甲子園大会のみとなりました。僕の復帰を両親も喜んでくれていて、甲子園に行くことでやっとこれまでの恩返しができるという気持ちで毎日練習に励んでいました。

———甲子園中止の第一報を知った時どのような感情でしたか

まず、春の大会中止後に感染者が拡大したことで全体練習がなくなり、部員はそれぞれ自宅で練習を行っていました。僕は夏の甲子園も中止になるというニュースを見て、正直、現実味がないというか、一瞬で目標がなくなってしまい、すぐには信じられませんでした。

———甲子園中止について監督や部員とはどのような話をしましたか

中止を知った次の日に学校で部員と話し、自分の中で甲子園の中止が現実味を帯びました。その後は部員同士、なるべくその話題に触れないように生活していた気がします。後日、改めて監督の口から甲子園の中止と代わりとなる独自大会の話がありました。独自大会に向け、集大成として、もう1度みんなで頑張ろうと励ましていただきましたが、僕は甲子園だけを目指していたので野球に対するやる気がなくなってしまいました。

———その後の野球に対する気持ちについて教えてください

翌年は甲子園が開催されたので、それを見て単純にうらやましいなと思いました。感染者数は去年より多いのに何で僕たちの時だけって思いましたが、当時の悔しい思いを後輩にさせなくて良かったなと思います。その反面、うらやましいという嫉妬みたいな感情を抱き、その後はしばらく野球を避けて生活していました。

野球以外の道へ挑戦

———アントレプレナーシップ学部を進学先に決めた理由について教えてください

甲子園が中止になった時、若者の声でなく大人の一声で甲子園がなくなることを実感して、若者がもっと意見を述べ、挑戦することによって世界や日本が動くような社会を作りたいと思いました。その時にアントレプレナーシップ学部の存在を知り、この学部で自分が社会に対してできることを学び、実現したいと思って進学しました。

「あの夏を取り戻せ 全国元高校球児野球大会」の実現に向けて

———プロジェクトについて詳しく教えてください

2020年、甲子園の代わりとして行われた各都道府県での独自大会優勝チーム、49校(東京・北海道各2校)を集め、阪神甲子園球場(以下、甲子園球場)で甲子園を実現するというプロジェクトです。甲子園球場を利用できる期間が短いため、当日はセレモニーの実施やノックなどの練習を予定しています。別日程・別会場では各チームの交流戦の実施も検討しています。

———プロジェクトを立ち上げた経緯について教えてください

1年生の時に、同学科の友人と合同会社VELを設立しました。会社を起業して上手くいくことばかりではなかったことが、自分自身を振り返るきっかけとなり、プロジェクトの立ち上げに繋がりました。まず僕は起業を振り返った時に、自分のやっている事業は他の人もやっているし、正直同じような会社もたくさんあるなと気づきました。そして自分が本当にしたいこと、自分にしかできないことは何かを改めて考えた時、高校3年生のあの夏のことが頭をよぎりました。不完全燃焼に終わった「あの夏」を取り戻したい。同じ思いを持つ仲間とともに「高校野球をやり切った!」と実感したい。そう思ってこのプロジェクトを立ち上げました。

———プロジェクトを発足する際、一番難しかったことは何ですか

一番難しかったことは、社会的信用を得ることです。僕が大きなプロジェクトを立ち上げることには様々な声がありました。「そもそも大学2年生にプロジェクトが実現できるの?」と言われたこともあります。そんな中、僕は野球を続けた12年間で出会った友人を辿り、全国の元高校球児に連絡を取りました。最初に応募してくれたチームがいたからこそ、去年10月までに46チーム総勢約1,000人の選手を集めることができたと思います。

———プロジェクトの現状と今後の課題について教えてください

現在は甲子園球場の利用可否の抽選結果待ちをしています。3月の結果次第で、開催までのスケジュールが確定します。今後の課題は当初の開催予定から約1年延期となった開催日まで、参加者や開催を楽しみにしてくれている方のモチベーションを維持・アップすることと、大会運営費用を集めるクラウドファンディングです。

———最後にこのプロジェクトを通して伝えたいことを教えてください

大武さんTIMES①_4

2つあります。1つ目は元高校球児たちへ「甲子園への想いを成就すること」を伝えたいと思います。僕を含めた当時の高校球児が甲子園中止への想いを消化して、次のステップに進めるようなきっかけ作りとしても、プロジェクトを実現したいと思っています。2つ目は社会に若者の「力」を伝えたいと思います。高校まで野球しかやってこなかった、ただの大学2年生が大きなプロジェクトを動かして実際に成功することができれば、社会的に大きなインパクトを与えられると思っています。「私も声に出して夢語って挑戦し始めたらできるんじゃないかな」と同世代に思って行動してもらえれば嬉しいなと思います。

【次回】

プロジェクトの進行状況に注目しつつ、大武さんがプロジェクトを進める中で学んだこと、社会の反応についてお話を伺います。
(⇒【第2弾】「あの夏を取り戻せ 全国元高校球児野球大会」が阪神甲子園球場で開催決定! 2023.04.25公開しました)

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