佐藤教授はこんな人


この自己紹介の所要時間は、約8分です。

同年代の有名人
カッコ内は誕生日
 女性 :
松任谷由実(1月19日)、林真理子(4月1日)、檀ふみ(6月5日)、秋吉久美子(7月29日)、 南沙織(7月2日)、水沢アキ(12月5日)、庄野真代(12月23日)
 男性 :
古舘伊知郎(12月7日)、石田純一(1月14日)、デーブ・スペクター(5月5日)、 カルロス・ゴーン(3月9日)、安部晋三(9月21日)、ルー大柴(1月14日)、 片岡鶴太郎(12月21日)、清水アキラ(6月29日)、小倉久寛(10月26日)、 中畑清(1月6日)、坂崎幸之助・高見沢(ジ・アルフィ)
性別不明:
ゴジラ(東宝映画公開)


出典:YAHOO!人物名鑑

出身・星座・血液型
出 身   福岡生まれ
星 座   いて座(12月18日生まれ)
血液型   O型
六星占術 木星人(+)
生まれ順 長男

これまでの人生

・小学生の時代
 親父が保険会社に勤めていて転勤が多かった。2、3年おきに引越しをしていた。 そのお陰で、小学校は3か所に通った。転校は子供心にとても嫌だった。 それまでの友達と別れて、まったく勝手のわからない学校の、 まったく知らないクラスに入れられてしまうのだ。 6年生に進級するときに東京に転勤になり、3つ目の小学校は、 小田急線経堂駅の近くにある経堂小学校に通った。

・中学生の時代
 幸い中学校では転校を経験しないで済んだ。中学校は世田谷区にある 緑ヶ丘中学校に通った。バレーボール部と卓球部に入った。
 この頃は、鳩を10羽ほど飼っていた。

純真だった中学1年生の頃

・高校生の時代
 高校は同じ世田谷区にある千歳高校に行った。この高校は学校の統廃合のため 、今はもうない。高校2年から3年に進級する時に、 父は仙台(宮城県)に転勤になった。普通ならば受験生になる子供のために、 親父が単身赴任をするところだろう。ところが、親父は家族全員を連れて行くと 言い出した。高校は義務教育ではないので、転勤だからといって無条件に 仙台の高校に移れるわけではない。仙台で入試(編入試験)を受け直して、 仙台第三高校の3年生に編入した。ここは男子校だった。おかげで、 共学と男子校という2つの高校を体験することになった。 男子校の異性感はゆがんでいた。
高三で転向してひねくれた頃

・大学浪人の時代
 大学受験に失敗して浪人生活に入った。英語、数学(数VCまで)、国語(現代文、古文、漢文)、 理科(物理、化学)、社会(世界史)を毎日8時間勉強した。英語は学者が書いた論文を原書で読んだ。 世界史は参考書を丸ごと頭に入れた。年を明ける頃には、もう勉強することがなくなっていた。

一浪の時の受験票
 受験が迫った正月にゴッホを特集したTV番組を見て、急に絵を描きたくなった。 追い込みをしなければならない受験直前なのに、キャンパスに向かって油絵を描き始めた。 自画像だ。鏡を見ながら毎日描いた。家族は似ていると絶賛していた。 完成間近だったけれども、入試が始まったので、絵を一時中断した。
 受験を終えてから、自画像の続きを描こうとしたが、もう描けなかった。 描きかけの自画像の自分は、鬼気迫る殺気立った厳しい顔をしているのに対して、 鏡に映る自分は戦いを終えて安堵した顔をしていたからだ。
浪人の時に描いた自画像

・1974.04〜1978.03 東北大学---- 大学生の時代
 1浪して東北大学に入学した。クラブは空手部に入ろうと思った。 なぜかというと、ちょうどその頃、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」を見て、 空手にあこがれていたからだ。 4月にさっそく、空手部が練習をしている道場に見学に行った。 先輩達の練習を見ていたら、休憩時間に主将らしき人が近付いて来た。 「入りませんか?」とにっこり笑ったその顔の、前歯が4本なかったのだ!  こんな顔になってはかなわないと思い、空手部をあきらめた。
大学4年生の頃


 ふと横を見ると、その道場の半分を使って合気道部が練習をしていた。 合気道ならば経験者が少ないので、みんな同じスタートラインで始められるぞ、 と考え、合気道部に入部した。しかし、合気道部は腐っても体育会系で、 練習は半端じゃなく厳しかった。26人の1年生が入部したが、練習が辛くて、 1年で半分が辞めて行った。
 それでも4年間、辞めずにがんばった。おかげで、入社面接では 胸を張って「4年間、合気道をやりました」とアピールできた。 卒業が近付いたある日、4年生の学友がぽつりとつぶやいた。 「もうすぐ卒業か。あっという間だった。オレは4年間、 何をやっていたんだろう」。それを聞いた時、自分には少なくとも 合気道があったと思えた。
合気道で明け暮れた日々


・1978.04〜1986.03 富士通(株)---- 技術者の時代
 大学を卒業して、富士通(株)に入社した。当時の富士通は、国内第2位の コンピュータメーカーで、1位の日本IBMを追いかけて燃えている会社だった。 めちゃくちゃに忙しい会社で、徹夜・残業・休日出勤が普通だった。 女性を含めた全社員の残業時間は、月平均55時間だった。
 自分はシステム・エンジニアとして、赤坂にあった全国オンラインのセンターを 担当し、よく徹夜をした。週2回の徹夜を3カ月続けるということが、毎年あった。 それでも、全国オンラインシステムが自分の肩にかかっているという誇りと、 お客様に頼られているという喜びがあったので、やりがいのある仕事だった。 とにかく、がむしゃらに働いて情報技術の基礎とビジネスの基礎を学んだ。 だが、技術進歩の早い会社の中では、自分が消耗品であるような気がしてきた。
新入社員の頃

 ある日、教師になろうと決意した。ところが、大学時代は教師になる気なんか 全然なかったので、教員免許どころか、教職単位も取っていなかった。 そこで、大学から単位取得証明書を取り寄せ、それを持って文部省 (今の文部科学省)免許検定課へ行き、自分が教員免許を取るためには 何の単位が足りないのかと尋ねた。すると、救う神がいるもので、 教職も教育実習も取っていなくても特例があって、多くの単位が読み替えられ、 あと1科目を履修すれば高等学校「工業」の教員免許が取得できる ことがわかった。
 それから必要な単位を取るために、会社に内緒で新宿の工学院大学に通い始めた。 月曜から金曜までは仕事をして、本当は朝寝をしたい土曜に、大学に通って授業を受けた。 足りない単位を取得し、教員免許を取った。教員採用試験にも見事合格し、 12月に会社に退職を申し出た。転職が当たり前の時代ではなかったので、 何度も会社からの説得を受たりして辞めるのは大変だった。
工学院大学の聴講生の頃

・1986.04〜1990.03 東京都教諭(工業)---- 教育者の時代
 教員になって赴任した先は、定時制高校だった。そこで、金八先生さながらに 生徒たちと苦楽を共にした。暴力あり、家出あり、窃盗あり、妊娠ありの学校で、 とても貴重な経験をした。
 クラスの生徒の半分は、バイクをバリバリ乗り回す連中だった。 警察署に生徒を引き取りに行ったり、事故を起こして入院した生徒に病院まで課題を 持って行ったり、けんかで怪我をした生徒を親代わりになって病院に連れて行ったり、 今から思えば、教育よりも生活指導の方にほとんどの時間を費やしていた。
 ちょうどこの頃、NTTが民営化されて株式会社になった。そして、NTTの データ通信事業本部という部署が、そのまま分社して(株)NTTデータができた。 研究スタッフが足りないということで、人材を探していたらしい。大学の先生経由で NTTデータからハンティングを受けた。高校では担任も持っていたし、 正直言ってそんなに乗る気ではなかったが、せっかくだから話を聞くだけならと、 新宿パークタワーにあるオフィスに行った。
 ところがそこで、「学校の教育は他の先生にでもできる。だが、ここでの研究は 君にしかできない」と口説かれ、NTTデータに行く気になった。
高校教員の頃


・1990.04〜1997.03 (株)NTTデータ 担当部長---- 研究者の時代
 NTTデータに中途入社して、システム科学研究所という部門の研究員となった。 研究部門で仕事をしているうちに学位の必要性を感じ始めた。国際会議に出席すると、 発表プログラムに他の博士達はDr.○○と記載されているのに、自分だけはMr.Satoなのだ。 教育をするためには教員免許が必要で、自動車を運転するためには運転免許が必要なように、 研究界で活動するには学位(博士号)が必要だと実感したのである。
 自分は大学の時に勉強が大嫌いだったので、学部を出てからすぐに就職した。 だから、「学士」の資格しか持っていなかった。ちょうどその時、 英国ブライトン大学から博士過程に迎え入れるとの召喚を受けた。しかし、 会社に留学を申し出たところ「君は管理職だから、だめだ」と拒否された。 とてもくやしかった。

入社当時


 それから2年後、会社に内緒で東京大学大学院の試験を受けて合格した。 そして、会社に内緒で通学を始めた。週に1回昼休みに会社を抜け出してキャンパスで授業を受け、 夕方に何食わぬ顔で帰社して残業をするという生活を続けた。2年間で必要単位(20単位)を取った。 だが、学位を取得するためには博士論文を書かなくてはならない。博士論文は仕事の合間に 書けるほど甘くない。論文に専念するために会社を辞める決意をした。
 当時は部長になっていたので、当時でも額面で毎月80万円、夏のボーナス200万円、 冬のボーナス200万円、3月に期末手当50万円をもらっていた。不景気で就職難だし、 有名企業の部長という地位と収入を捨てるのはもったいないと止める人もいたけど、 「お金よりも大切なものがある」とはっきりと思った。そして、大学院に専念するために、 再就職のあてのない無謀な退職に踏み切った。
社会人大学院生の頃


・1997.04〜現在    (株)情報文化総合研究所 代表取締役---- 経営者の時代
 NTTデータを退職すると同時に、自分で会社を設立して社長になった。 会社を作るためにNTTデータを辞めたわけではなかったが、活動するには 肩書きが必要だと痛感していたからだ。 自分が社長なので、博士論文の執筆に専念できた。 その1年後に武蔵野女子大学(今の武蔵野大学)から教員になることを求められた。 現代社会学部(今の政治経済学部)を創設するので教員が必要だという。
 まだ、博士論文は完成していなかったが、研究は大学の教員の重要な仕事のひとつだから、 授業をやりながらでも論文を書けると判断して、武蔵野女子大学へ行くことを決めた。
 現代社会学部の1期生と同時に、私のむさじょでの仕事がスタートした。
会社設立の頃


・1998.04〜現在    武蔵野大学 助教授(2002.04から教授)
 武蔵野女子大学(今の武蔵野大学)の助教授(いまの准教授)となり、東京大学の大学院生と掛け持ちとなった。 授業をしながら博士論文を書くのは、実際はとても大変だった。何度、徹夜したまま寝ないで 朝1限の授業に行ったかわからない。徹夜は、1年で50回はやったと思う。 その甲斐があって、博士論文が完成し、審査にも合格し、1999年4月に博士号を取得した。
武蔵野女子大学の頃



現在の肩書
(1)株式会社 情報文化総合研究所 代表取締役
(2)武蔵野大学 教授
(3)早稲田大学 大学院 非常勤講師
(4)総務省 自治大学校 講師
(5)西東京市 情報政策専門員(非常勤特別職)
(6)東久留米市 個人情報保護審査会 会長
(7)東村山市 情報公開運営審議会 会長
(8)東京都人権施策に関する専門家会議 委員
(9)京都府・市町村インターネットによる人権侵害対策研究会 アドバイザー
(10)オール京都で子どもを守るインターネット利用対策協議会 アドバイザー
(11)西東京市 社会福祉協議会 情報対策専門員
(12)NPO法人 市民と電子自治体ネットワーク 理事
(13)大阪経済法科大学 アジア太平洋研究センター 客員研究員
(すべて現職)

持っている資格・免許
No資格・免許備 考
情報処理技術者認定 特種(通産省国家資格) 大型コンピュータでのシステム設計に関する国家資格の最高位
マイクロコンピュータ利用者認定 1級 小型コンピュータでのシステム設計に関する認定試験の最高位
英語検定 2級 1回の受験で合格した。でも、準1級は落ちた。
日本語文書処理技能(ワープロ検定)3級 2級試験の申込み期間を逃してから、いまだに未受験
高等学校教諭 二級普通免許(工業) 大学卒業後に取得。在学中に取っておけば、苦労をしなかった。
普通自動車 一種免許 フィットハイブリッド(スマートセレクション)に乗っています。
初級アドミニストレーター 今度は上級を受験する。
福祉住環境コーディネーター 3級 一夜漬けで受験したら合格してしまった。
インターネット検定 ドットコム・マスター 勉強をしなかったが、シングルスターに合格した。


武道・スポーツ
・合気道(本部道場・初段)−大学時代から
・空手道(練心館・初段)−富士通時代から
・柔道(講道館・初段)−教員時代から
    以上、3本の黒帯を持っている。歯向かうヤツは潰すっ!
・水泳(スポーツクラブ会員)−10年前にマラソンから転向
    クロールでノンストップ800m泳げるようになった。


身体データ
・身長 : 175cm、体重 73kg、体脂肪率 14%、視力 0.04(裸眼)
・3サイズ : 不明。肺活量、背筋力、握力 不明
・髪の毛 : 黒、天然パーマ、自毛(ヅラではありません)
・眉毛 : 薄い(すね毛は濃いくせに)
・親知らず : 2本なし(抜歯した)
・空手ダコ : 両手の拳(こぶし)にある。病気ではありません。

好きなもの
・よく聴く音楽
    ケツメイシ、MISIA、チャゲ&飛鳥、特にバラード曲が好きだ。
・よく行く街
    新宿、渋谷、横浜がテリトリー。
・好きな食べ物
    現在は、つけ麺にハマっている。
私のエリア別つけ麺No.1
・田無「ヒムロク」 ・高田馬場「ひまわり」 ・渋谷「櫻坂」
・新宿「麺や 百日紅(さるすべり)」
・池袋「前略。まるっきゅう」 ・目黒「づゅる麺」
・京都「吟醸らーめん久保田」
・好きなTV番組
    「ホンマでっか?!TV」「マツコの知らない世界」「しくじり先生」
・よく見るサイト
    新聞サイト、Amazon、facebook
・尊敬する人物
    ブルース・リー:今でも自宅の部屋には、等身大のブルース・リーのポスターが2枚飾られている。
・心に残る映画
    『燃えよドラゴン』−ブルース・リーは自分の師である。
    『レオン』−あんな死に方をしたい。ジャン・レノみたいに。
    『シコふんじゃった』−あの切なさは何とも言えない。

出典:http://www.flickr.com/

私生活
 私生活はまったく謎。尾行してみるといい。どこで何をしているのかがわかったら、 きっと腰を抜かすよ。
・麻布台でクラブを経営しているというウワサ
   就職できなかった卒業生を使っているらしい(^_^)
・歌舞伎町で白い粉を売っているというウワサ
   最近は、ドリンク瓶に入れたトルエンも売っているらしい(^_^)
・横浜でホステスと同棲しているというウワサ
   先生自身、ホストでのバイト歴があるらしい(^_^)

乗っている車
ホンダ フィット ハイブリッド(スマートセレクション)

2011年秋に購入。即金で買いたかったので、損を承知で外貨を売った(T_T)

出典:ホンダ ホームページ

好きな女性のタイプ
 女性の好き嫌いは、基本的にない。ひたむきで素直な人には弱い。 映画やドラマですぐに泣ける人、すぐに感激する人、お化け屋敷をマジ怖がる人に、 なんか惹かれる。
 顔立ちでは、和久井映見、原日出子、持田香織、 小池栄子、はしのえみ、中野美奈子アナが好きだ。これって、どちらかと言えば観音顔ってことかな。
 逆に、どうしても受け付けないのは、梨花、工藤静香、高見恭子、浅丘ルリ子みたいな ガイコツ系のヤセ過ぎ女性です。だって、ハグしたら小骨がささりそう(^_^)

出典:YAHOO!JAPAN人物名鑑

授業のモットー
(1)For the student(学生のために)
(2)授業は楽しく、学問は厳しく
(3)役に立たないことは教えない。
  年間100万円の授業料を取っておいて、役に立たないことを教えたら詐欺だ。

私はその辺の教員とは、ちょっと違うよ。よろしく!