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Vol.15

「死ぬのが楽しみになってきた」

ウェルビーイングについて語る時に避けては通れないのは死の問題です。いや、死を意識すると生が鮮やかになるとも言われるので、あえて考えるべき題材だとも言えるでしょう。私が衝撃を受けた、二人のお坊さんの言葉を紹介しましょう。

一人目は、浄土真宗の住職で、武蔵野大学学長でもある西本照真先生の言葉。「幸せというのは、生きてよし、死してよしじゃないかな」。二〇二一年のshiawaseシンポジウムのオープニングでの言葉でした。どういう意味なのでしょうか。

親鸞聖人が始めた浄土真宗では、光り輝く存在である阿弥陀仏がどんな人でも救ってくれると説きます。「南無阿弥陀仏」は、私なりに意訳すると「ああ、阿弥陀様、こんな未熟な私を救ってくださるなんて、ありがとうございます。あなたについていきます」のような願いだと思います。人は死ぬのが怖いですが、大丈夫、阿弥陀様が救ってくださるのだから、恐れなくても良いですよ。阿弥陀様が大きな慈悲の心で浄土に連れて行ってくれますから、安心してこの世を精一杯生き、安心して終えて行っても良いんですよ。そんな意味だと思います。

三月二十一日はお彼岸。この世とあの世がつながる日です。この世もよし、あの世もよし。すべてを阿弥陀様の力に委ねて本当の願い(他力本願)に身を委ねましょう。そんな意味で「生きてよし、死してよし」とおっしゃったのだと思います。

その時の西本学長の言葉は、YouTube(shiawase2021 [オープニング] 前野隆司氏∞西本照真氏)で見られます(26分の動画の22分くらいから)。幸せな人生だったなあ、と思いながら死んでいく人生を目指すことがウェルビーイングではないかとおっしゃっていました。

もう一人は、臨済宗円覚寺派総本山円覚寺管長で花園大学総長の横田南嶺さんの言葉。数年前に円覚寺を訪問した際に何人かで対話をしていたら、「最近、死ぬのが楽しみになってきたんですよ」とおっしゃった、その言葉です。

横田さんは、子供の頃から死ぬのが怖かった。死ぬとは何かを知りたかった。座禅をするとわかるような気がして禅宗(臨済宗)の僧侶になった。で、死ぬのが怖くなくなるかと思ったら、そうではなく「死ぬのが怖い」のままでいいのだということがわかるようになった、とおっしゃっていました。次にお会いした時、考えてみたら、どうなるのか想像もできない死を怖がるのも良いけれども、楽しみにしても良いということに気づいたんですよ。来週遠足という時には楽しみにするのに、もっと先に来る未知の死を楽しみにしない理由はないと気づいたんです。そうすると、楽しみになってきました。そうおっしゃいました。また次にお会いした時には、死ぬのが怖いという問題は解決しなくても良いのだともおっしゃっていました。

一般人にとって禅問答は難しいと言います。まさに禅の大家の言葉は禅問答のようでもありますが、何千年も生と死を見つめてきた仏教には、人類のウェルビーイングの知恵が込められていると感じます。あなたはどのように生きますか?
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