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5歳だった私はいま―3.11の支援を次の支援へ

No.025

教育学部 幼児教育学科 1年

岩槻 佳桜 さん

※所属・内容は取材当時(2025年1月)のものです。

活動について

私は宮城県気仙沼市出身で、5歳の時に東日本大震災を経験しました。そして、中学生の頃からは、震災の語り部活動に取り組んできました。震災当時、多くの支援を受けて生活が成り立っていましたが、幼かった私はその支援が「当たり前」だと思い、十分に感謝の気持ちを伝えることができませんでした。成長する中でそのことに気付き、震災時に受けた恩を行動で示すため、大学進学後は能登半島地震の被災地を訪れ、子どもたちの居場所支援を中心に活動を行っています。

能登では、震災当時自分が受けていた支援を実践しています。小学校や仮設住宅の集会所、地域のサードプレイスを活用し、子どもたちが安心して過ごせる空間を提供しました。また、遊びや学びを通じて子どもたちの心のケアに努めるとともに、復興の第一歩となるよう活動を続けています。さらに、能登の高校生を気仙沼に招待するキャンプを企画しました。この活動では、震災直後の能登と震災から13年を経て復興した気仙沼の姿を見せることで、被災地の高校生たちに復興への希望と可能性を感じてもらえるようにしました。当時の私が、支援を当然と思ってしまった背景には、絶望の中でも「支えられている」ことを自然と感じとる環境があったからだと今では理解しています。

この活動は、「ありがとう」を伝えられなかった自分への戒めでもあり、次世代にその感謝と希望を繋ぐ「恩渡し」の実践です。支援を受ける側がいずれ支援する側へと循環する社会を目指し、未来を担う子どもたちや地域の人々と共に歩んでいます。

今後の目標

これまでの活動を通じて、東日本大震災当時にお世話になった方々と再会し、改めて直接「ありがとう」を伝える機会を得られたことは、予期せぬ副産物でした。当時、私は鶴見大学のお兄さんやお姉さんたちにたくさん遊んでもらい、そのおかげで大きな恐怖心やトラウマを抱えることなく成長することができました。「あの時、なんか楽しかったな」と思える記憶が、震災を単なる嫌な思い出として残さなくてもいいのだと、自分の経験から実感しています。

自分がしてもらったことを子どもたちに提供する中で、同じ境遇を持つ者として寄り添えることに強みを感じています。震災の辛さや怖さの中にも、楽しい記憶が救いとなることを伝えたいと思います。これからも、子どもたちが震災をただの悲しい過去としてではなく、「未来に向かう力」に変えられるよう、何ができるかを考え続けていきたいです。

私の目標は、子どもたちが前を向いて成長できるような環境をつくり、支援の輪を未来へ繋げることです。支援を受けた経験を「恩渡し」として還元し、同じような思いを持つ人々と協力しながら、より良い社会づくりに貢献していきます。

関連URL

「石川県珠洲市立正院小学校」
学びーばの最終日に子どもたちから「離れていても心は繋がっているよ」と記された心のこもったお手紙をもらった

「のと復耕ラボ ボランティアBASE三井 茅葺庵」
ボランティア同士の交流が深まる場所。食事をみんなで作ってみんなで食べるのが当たり前の日常!

「宮城県気仙沼市 唐桑御殿つなかん」
問いストーリーCAMPに参加してくれた能登の高校生たちと。つなかんの女将が元気に送り出してくれます

「宮城県 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」
問いストーリーCAMP 2024秋に参加してくれた能登の高校生に語り部を聞いてもらった