第88回 ソーシャルワーク学・社会福祉学 通信教育部 人間科学部 社会福祉専攻 前廣 美保 准教授
家族の「物語」を読み解き、「しあわせ」を探求する
通信教育部 人間科学部 社会福祉専攻 准教授
アメリカ・南イリノイ大学ソーシャルワーク学部卒業。日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科社会福祉学専攻博士前期(修士)課程修了。龍谷大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程満期退学。 ソーシャルワーカーとして高齢者福祉や障害福祉、子育て支援などの現場に携わりながら、教員として教育・研究活動に従事。2012年より武蔵野大学通信教育部に着任。家族福祉とソーシャルワークを専門とし、障害のある子どもを育てる母親の幸福や家族支援に関する研究を続けている。近年は「しあわせ」をテーマに学際的な視野から人が自分らしく生きるための支援のあり方を探究。
「家族とは何か」「しあわせとは何か」。幼少期から抱き続けてきた問いを原点に、家族福祉や障害者福祉などの研究に取り組む前廣美保准教授。障害のある子どもを育てる多くの母親たちへの聞き取り調査を通じて見えてきたのは、「しあわせは自分で決める」というシンプルで奥深い真実でした。研究者であり、母であり、一人の生活者でもある前廣准教授が、自身の歩みと研究、そして学生たちに伝えたい思いを語りました。
研究の背景
“子どもの頃の自分”を助けたい!
今、振り返ってみると、私が「家族福祉と障害」や「しあわせ」を考える研究者となった最大の理由は「“子どもの頃の自分”を助けたかった」からかもしれません。
私は栃木県那須郡の専業農家の長女として育ちました。両親と妹弟のほか祖父母、曾祖父母と暮らす大家族で、当時は男尊女卑の古い家族観が残っていました。女性たちは休みなく働き、男性たちは毎晩お酒を飲みながら不満を口にする。そんな家庭環境の中で、子どもの頃から私は「家族とは何だろう」「なぜ女性ばかりが苦労するのだろう」という思いを抱いていました。
高校時代には、発展途上国の女性や子どもを支える仕事に憧れ、英語を学びながら海外留学を目指していました。家族からは猛反対されましたが、まず当時新潟県にあった南イリノイ州立大学日本校に入学。そこで成績優秀者となったので、さすがに家族もそれ以上は反対できず、晴れて米国の本校で学ぶことになりました。在学中はソーシャルワーク学を学びつつ、米国の多様な文化と価値観にも触れました。特に印象的だったのは、肌の色や人種の異なる親子や兄弟が自然に暮らす様子に接したことで「家族にはさまざまな形がある」ということを実感しました。
卒業後は大学院進学を希望していましたが、家族の都合で断念。地元の特別養護老人ホームに併設された在宅介護支援センターでソーシャルワーカーとして働きました。米国で学んだソーシャルワークと日本の高齢者福祉の現場で感じるギャップに戸惑い、日本の福祉を学ぶ必要があると思い、自分自身が抱えてきた「家族」というテーマを探究するために、仕事を辞めて国内の大学院へ進学。修士論文では特別養子縁組において子どもを託す側の母親への支援をテーマにしました。
その後、結婚後に、相次いで亡くなった両親を見送り、出産、子育てをしながら自分自身の家族の問題にも直面しました。子どもの頃からどうしても好きになれなかった父が抱えていた痛みに気づき、父は、口にできなかった思いや辛さを、お酒で紛らわせて生きていたことを理解できるようにもなりました。しかし「なぜ女性ばかりがしんどい思いをするのだろう」という思いは今でもずっと持ち続けています。
研究について
障害児のお母さんたちの「しあわせ」を探る
これまで述べてきたように私の研究は、自身の経験から生まれた問いが出発点です。しかし、その問いは決して個人の問題に留まらないはずです。家族のあり方が多様化する現代だからこそ、一人ひとりが自分らしく生き、幸福を感じられる社会の実現に向けて、研究と教育を続けていきたいと考えています。
現在、私が中心的に取り組んでいるテーマが、障害のある子どもを育てるお母さんたちの「しあわせ」です。聞き取り調査や座談会を通じて、多くのお母さんの人生の語りに耳を傾けてきました。
この研究を始めたきっかけの一つは、2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件でした。元施設職員が入所者19人を殺害したこのショッキングな事件後、「障害は不幸である」という加害者の考え方に対し、社会全体が十分に「それは違う」と言い切れなかったことに私は強い違和感を覚えたのです。
日本では今もなお、子育てや家事、家族の暮らしに関する責任が母親に偏りがちです。特に障害のある子どもを育てる家庭では、その負担がさらに大きくなっているのが実情でしょう。しかし私が出会ってきたお母さんたちの中には、困難を抱えながらも生き生きと暮らし、自分らしい幸せを実感している方が少なくありませんでした。
お母さんたちの話を聞く中で見えてきたのは、子どもの障害の重さや経済状況が、そのまま幸福感を決定するわけではないということです。同じような状況にあっても、人によって感じる幸せは大きく異なります。私はそこに、人が自らの人生をどのように受け止め、意味づけるのかという重要な視点があると考えています。
「しあわせ」を学問として読み解く
みなさんは「しあわせ」ってなんだと思いますか? 私はソーシャルワーク研究者として、福祉の現場で役立つ「しあわせ」の理論を構築したいと考えています。そのために社会福祉学だけでなく、仏教、脳科学、深層心理学、さらには量子力学など、多様な分野の知見を横断的に学び、そこからソーシャルワークの実践で使える「しあわせ」を学問的に読み解きたいと考えています。
日本語の「しあわせ」は、もともと「仕合わせ」や「居合わせ」と書かれ、良い・悪いという価値判断を含まない言葉でした。ところが現在は、「幸運」や「成功」といった意味も重なり、さまざまな概念が混在しています。私は、この複雑な「しあわせ」の正体を整理し、博士論文としてまとめたいと考えています。
近年の研究では、人は目の前の出来事そのものではなく、それをどう解釈するかによって現実を経験していることが示されています。私自身も、多くの当事者の語りを通じて、幸福とは外側の条件ではなく、自分自身が人生にどのような意味を見いだすかによって形づくられるものだと考えるようになりました。「しあわせは自分で決める」。障害のある子どもを育てるお母さんたちの人生の語りは、そのことを教えてくれます。
今後の展望
「ありのままのいのちをたのしむ」場をつくる
これまで私は、障害のある子どもを育てるお母さんたちの幸福や、生きづらさを抱える人々が自分らしく生きるための条件について研究してきました。その過程で強く感じるようになったのは、人が変わるためには、社会や周囲を変えようとするだけでなく、自分自身の内面を見つめ、自らの受け止め方やあり方を整えていくことも大切だということです。
もちろん、社会制度や支援体制の充実は欠かせません。しかし同時に、自分自身を変えることで、周囲との関わり方が楽になり、生きやすさを取り戻せる場合もあります。私は今後、そのような気づきを得られる場づくりにも取り組んでいきたいと考えています。
そんな「しあわせ」づくりの実践の場として、2022年に私は長野県安曇野市に土地を購入し、一般社団法人「ありあけ舎」を設立しました。ここでは「ありのままのいのちをたのしむ」をテーマに、人が自然とのつながりを取り戻し、自分自身の価値を再発見できる居場所づくりを進めています。
新しい「しあわせ」のかたちを求めて
私自身、研究者としてだけではなく、一人の生活者としてこの理念を実践したいと思っています。まずは自分自身が与えられた人生に感謝し、その日々を楽しんで生きること。その姿勢が周囲の人にも伝わり、新たなつながりを生み出していきます。今後は、ありあけ舎を拠点にさまざまな人々が集い、それぞれの得意なことや魅力を持ち寄りながら支え合う活動を広げていきたいと思っています。
私が目指しているのは、誰かを一方的に「助ける」社会ではありません。一人ひとりが自分らしく生きることを自らに許し、その生き方が自然と周囲の力になる。研究と実践の両面から、そんな新しい「しあわせ」のかたちを示していくことが、これからの私の挑戦です。
教育
多様な人生経験を持つ学生と学ぶ
通信教育部には、高校卒業後に進学した学生だけでなく、福祉の現場で働く人、異業種からキャリアチェンジを目指す人、子育てや仕事と両立しながら学ぶ人など、実に多様な学生が集まっています。普段はオンラインでの学習が中心ですが、演習や実習で直接顔を合わせると、それぞれが異なる人生経験や価値観を持ちながら学んでいることを実感します。私は、その豊かな経験そのものが福祉を学ぶ大きな財産だと考えています。知識や技術を身につけることはもちろん大切ですが、それ以上に、自分とは異なる背景を持つ人々と出会い、多様な生き方に触れることが、ソーシャルワークを学ぶ醍醐味だと思っています。
本来の自分に出会い直す学び
私が教育で最も大切にしているのは、「まずは自分自身を大切にすること」です。人を支援する専門職を目指すのであれば、まず自分自身を理解し、自分との良い関係を築くことが欠かせません。そのため学生たちには、自分を好きでいること、自分の感情を否定せずていねいに扱うことを伝えています。忙しい日々の中で見失いがちな本来の自分に出会い直し、自分自身の価値や可能性を再発見してほしいのです。自分を理解し受け入れることができる人ほど、他者の思いや苦しみにも深く寄り添うことができます。大学での学びを通じて学生一人ひとりが自分らしい生き方を見つけ、その経験を社会や誰かの幸せにつなげられる人へ成長してください。期待しています!
人となり
歌や踊りで人と文化の物語に触れる
高校時代は演劇部に所属し、大学時代には友人たちとバンドを組んで歌っていました。今でもボイストレーニングを続けており、舞台鑑賞にも足を運んでいます。
音楽は幅広いジャンルを聴きますが、近年特に関心を持っているのは、暮らしに根ざした作業唄や民謡、先住民族の伝統的な歌です。これまで沖縄民謡や三線を学び、現在はアイヌやホピ、マウイなどの歌にも触れています。今年は能登地方に伝わる「砂取り節」を習い、現地の祭りで歌い踊る予定です。歌や踊りには、その土地で生きてきた人々の歴史や祈り、暮らしの知恵が込められており、私にとって大切な学びの場となっています。
出会いを楽しむ旅が好き
私はじっとしているよりも、どこかへ出かけている方が好きなタイプです。時間が空くと誰かに会いに行ったり、新しい場所を訪ねたりしたくなります。ハイキングや里山歩き、神社仏閣や歴史的建造物の見学、温泉巡り、美術館や企画展の鑑賞など、興味の対象はさまざまです。本を読むことや裁縫などの手仕事も好きですが、やはり人や土地との出会いには特別な魅力を感じます。
知らない土地を歩き、人々の人生の物語に耳を傾けることは、私にとって研究や教育にも通じる大切な時間です。多様な生き方や価値観に触れるたびに、人が自分らしく生きることの豊かさをあらためて感じています。
最近ハマっているブランドは?
私はもともと熱しやすく冷めやすい性格で、その時々で夢中になるものが変わります。最近特に惹かれているのは、兵庫県西脇市発のブランド「tamaki niime」です。播州織の技術を生かした一点物の服づくりはもちろん、綿花を育てて糸を紡ぐなど、ものづくりの過程そのものを大切にする姿勢に強く共感しています。ブランドを立ち上げたファッションデザイナー玉木新雌さんの生き方に魅了され、直接お話を聞きに行ったこともあります。
振り返ると、私は単に商品が好きなのではなく、理念を持って丁寧に仕事を続ける職人やつくり手に惹かれるのだと思います。他にもバッグや衣類を展開する「マザーハウス」や、障害のあるアーティストの表現を社会につなげる「ヘラルボニー」も長年の愛用ブランドで、それらのブランドのイベントにも足を運んでいます。
読者へのメッセージ
私はこれまで、母として3人の娘を育て、研究者や大学教員として多くの学生や福祉の現場の方々と出会いながら歩んできました。しかし今でも、思い通りにいかないことや分からないことばかりです。だからこそ一人の人間として悩み、迷い、失敗しながら学び続ける姿勢を大切にしています。
私が研究を通じてたどり着いたのは、「しあわせは自分で決める」というシンプルな考え方です。人生の主人公は自分自身であり、同じ出来事や境遇でも、それをどのように受け止め、どのような意味を見いだすかによって見える世界は大きく変わります。
高校生のみなさんには、自分の可能性を決めつけず、可能な限りさまざまな挑戦をしてほしいと思います。世界は想像以上に広く、多様で、面白い場所です。ぜひ、自分らしい「しあわせ」のかたちを探しながら、人生という冒険を思いっきり楽しんでください。
取材日:2026年6月