第87回 異文化コミュニケーション学・応用言語学 グローバル学部 グローバルコミュニケーション学科 アルバート R. チョウ 教授
異なる言語と文化の交流から生まれるグローバル社会の未来
グローバル学部 グローバルコミュニケーション学科 教授
上海外国語大学英米言語文学部卒業。ブリティッシュ・コロンビア大学大学院教育研究科博士課程単位取得退学。浜松大学ビジネスデザイン学部(現・常葉大学経営学部)准教授を経て、2016年4月より現職。専門は言語学、外国語教育、中国研究。
日本で使われている漢字は中国から伝わったものですが、逆に「日本語から中国語になった言葉」もたくさんあることを、皆さんはご存知でしょうか。私たちが生きる世界では、異なる言語と文化が互いに影響を与え合いながら共存しています。言葉は単なるコミュニケーションの道具ではなく、文化やアイデンティティの核心をなすもの。そう考えるチョウ教授は、異文化コミュニケーションを言語学の側面から捉え、現代中国語に見る日本の影響、グローバル社会における中国語の国際的影響力などに関する研究を進めています。
研究の背景
言語と文化の深いつながり
私は、言語と異文化コミュニケーションの関わりに興味を持っています。この分野について研究するきっかけは、大学時代、英米言語文学を専攻しながら、異なる言語同士がいかに接触し、影響し合いながら発展しているか、特に現代中国語がいかに外国語から影響を受けて形成されてきたかに興味を持ったことにあります。さらに、カナダの大学院への進学後はバンクーバーに長く滞在し、多言語多文化社会における人々の言語習得・使用の権利保障、社会の統合の象徴としての言語、言語政策の確立などにも注目するようになりました。
グローバル社会において、異なる文化の人々とコミュニケーションを取る上で、言語は大きな役割を果たしています。グローバル化に伴い、多くの人が母語以外の言語を勉強していますが、本来「言語を勉強する」とは、「言語だけ」を勉強することではなく、言語を学ぶことでその言語で発信される文化や知識をインプットすることにほかなりません。そうした言語と文化の深いつながりへの関心を出発点に、異文化、アイデンティティといったキーワードと絡めながら研究に取り組んでいます。
研究について
「日本語由来の中国語」に見る日中文化交流
-改革開放後の1980年代に着目して-
私の研究の柱の一つは、1980年代以降の中国語の「日本語に由来する外来語」を通して見る日中文化交流です。
中国では1978年に改革開放政策が始まり、社会全体が大きく変化しました。その変化に大きな影響を与えたのが、日本の文化でした。日本の電化製品やサービス、さらに歌やドラマなど、さまざまなモノやカルチャーが中国社会に広がり、それに伴って日本人の生活様式や考え方も中国の人々に浸透していきました。その結果、日本語に由来する中国語の語彙、つまり「日本からの外来語」が数多く誕生し、定着していったのです。
当時生まれた日本語由来の中国語の一つに「宅急送」があります。宅急送は「家までモノを配送してくれるサービス」を表す言葉で、日本の「宅急便(※ヤマト運輸の商標)」のサービスが中国に入ってきた際に生まれました。「便」が「送」に変わっているのは、日本では「便」に運ぶという意味がありますが(例:郵便)、中国語の「便」にはそのような意味がないからです。その代わりに、運送という意味を持つ「送」を使うことで、「家まで急いで送る」という意味がより伝わる形で定着しました。これは、日本の企業やサービスが中国の人々の暮らしに入り込んで新しい語彙ができた分かりやすい例です。
こうした日本語由来の外来語について、1980年代以降に中国で刊行された外来語辞書を元に、どのような分野の言葉がどのくらいあるのか、日本語以外の言語に由来する外来語と比べてどうか、といった調査研究を行っています。過去の調査では、80年代、90年代の辞書には日本語由来の生活様式に関する言葉がかなり多く、当時の日本からの影響の強さが現れていると考えられます。一方、2000年代以降は日本語からの外来語が減少しており、これは政治・経済における日中関係の冷え込みが背景にあるのかもしれません。
-第一波は20世紀初頭の近代化-
実は、日本語由来の外来語が中国語に急増したのは、1980年代が初めてではありません。日本語からの「最初の波」は、日本の明治・大正期、中国では清王朝が倒れ、中華民国が建国された20世紀初頭にやってきました。この時も日本から大量の表現が中国に“輸入”されたのですが、その多くが、西洋からの近代的概念を日本人が漢字に翻訳した言葉でした。例えば「教室」「民主」「科学」「法律」といった言葉は、単に言葉だけでなく概念や考え方を含めて中国に取り込まれ、その浸透・定着とともに中国社会は近代的な体制へと変容していきました。ある研究では、現代中国語の“2つの漢字でできている表現”の7割が日本語由来とされるほどです。余談ですが、今の日本では、外国由来の新しい概念を漢字に翻訳することがなくなりましたね。カタカナにするだけというのも、少し残念な気がします。
「英語が使えると有利」への批判的視点
もう一つの研究テーマは、言語帝国主義と英語覇権の問題を批判的に捉えつつ、21世紀における中国語の国際的影響力の現状と課題を考えることです。
言語帝国主義とは「ある言語によってほかの言語が支配される」ことを意味し、今の世界では「英語帝国主義」と言い換えることができます。日本では、多くの人が当たり前のように「英語は世界の共通語」と信じていて、国は「グローバル社会で活躍するには英語が必須」と英語教育に多くの予算を使い、親もまだ日本語も上手に使えない時期から子どもに英語を勉強させようとします。もちろん英語を勉強するのは悪いことではありません。ただし、「英語ができると有利になる」と何の疑問も持たずに認知されている現状は、本来あってはならないものだと私は考えています。
言語帝国主義の問題は、単に英語が多くの人に広く使われていることにあるのではなく、「使える人は有利、使えない人は不利」という不平等を生じさせていることにあります。言語は本来平等なものです。そして言語とは、その言葉を使う人々の文化であり、アイデンティティです。英語が便利だからという理由だけで、疑問を持たずに一極集中が進むことは、自分の文化を手放すことを意味するのではないでしょうか。
一方で近年、グローバル化と経済発展を背景に、中国語の有用性や存在感が高まり、中国語を学ぶ人が増えています。母語話者人口の多さ、海外の華僑コミュニティ、移民社会における継承語としての需要などを含め、中国語が国際的に広がる条件が整いつつあるのではないかと思い、その影響力を研究テーマとしています。中国語が新しい覇権を握るべきだということでは全くなく、ただ、政治や経済の状況に応じて「影響力が強い言語」は当然存在しますから、中国語が英語に対抗する言語になるのか、現状と課題を検討していきたいと考えています。
今後の展望
グローバル時代の外国語教育の在り方を考えたい
今後は、特に英語覇権に対する批判的視点と言語政策の議論を、より積極的に発信していきたいと考えています。言語アイデンティティという視点から考えると、外国語学習は、その言語を話している人々の歴史や文化に関心を持つことを出発点として行われるべきです。「グローバル=英語」と簡単に考えてしまうのは、教育の在り方や仕組みにも問題があるのではないかと考え、外国語教育政策についてもあらためて考えを深めていきたいです。
また、グローバル学部では英語と中国語が必修ですが、学生には「まず母語を確立してほしい」と繰り返し伝えています。母語と自文化を土台にしたうえで他言語を学ぶことが、結果的に本当の意味での多言語・多文化理解につながると信じているからです。最近、日中の関係は少し厳しい状況にありますが、長い歴史の中では、常に言語接触と文化交流という人間活動を通して両国の人々が共存してきたことを忘れてはいけません。言語の側面からその事実を広く発信し、学生への教育を通じて異文化間の人間関係づくり、また国と国の交流を深めることができたらと願っています。「言葉と文化の交流」という切り口で、過去を丁寧に読み解きながら、未来の言語教育や相互理解に貢献できる研究を進めていきたいと思います。
教育
多言語多文化の環境で個の経験から学び合う
武蔵野大学でも多言語多文化の背景を持つ学生が増えていることは、学習環境としてとても有益であり、学生たちの異文化の人間関係の構築が期待できると考えています。授業では、日本人学生と留学生が一緒にグループワークを行い、お互いに言語を教え合ったり、意見を共有したり、多言語を使う展開を心掛けています。学生がさまざまな言語に触れること、そしてその言語を使う他者と交流し、お互いを知る異文化コミュニケーションの経験は、彼らの将来に多いに役立つものと信じています。
3年次からのゼミでは「Language and Intercultural Communication in the Globalized World」をテーマに、「言語」「異文化」「グローバル化」の3つをキーワードに学びを深めています。学生に求めているのは、大学2年次までの学びを、過去の自分の異文化体験とリンクさせて見直し、理解を深めて発表してほしいということです。学生たち自身の経験に基づく発表が“教科書”となり、体験の共有によってほかの人に新しい気づきや学びが生まれます。ですから私も、先生であると同時に“学生”です。授業では、「皆さんの発言が教科書ですよ。私は皆さんから学びたい。講義が終わった時、私が皆さんからそんなに学んでいないなと感じたら、その講義は失敗ですよ」とお話ししているんです。
人となり
日本文化とともに過ごした青春時代
研究の紹介でもお話しした1980年代、私は高校生、大学生で、日本文化にどっぷり浸かっていました。山口百恵の歌を聞き、高倉健や栗原小巻の映画を観て、松本清張や山崎豊子の小説を読みながら青春時代を過ごしました。特に松本清張が好きで、とてもエキサイティングな物語でありながら、昭和や戦後の歴史とリンクした社会派ならではの重厚感がいいですね。清張の小説を原作としたドラマや映画も大好きで、『砂の器』などはリメイクされた作品も含めてずっと観ています。新しくリメイクされると、前の作品と比較してみたり、原作との違いを調べてみたりするのも面白いんです。
俳句のマジシャン・夏井先生に感動
ここ数年ハマっているのが俳句です。と言ってもまだ自分で作るところまでは行かず、もっぱら「プレバト!!(TBS)」というテレビ番組を見て、夏井いつき先生の俳句の添削に感銘を受けています。夏井先生の添削はマジックみたいですね! たった1文字変えたり、語順を入れ替えたりするだけでこんなに違いますよ、と先生が教えてくれるたびに「本当だ!すごい!」と感動しています。最近は、出演者の俳句が発表されてから先生が添削するまでの時間を使って、自分でも添削してみるようになりました。夏井先生の意見と一致することが増えていて、私も上達してきたな、と実感しています。
プレバトからのつながりで、番組でよく句を詠んでいる内藤剛志さん主演の旅人検視官 道場修作シリーズも見るようになりました。ドラマでは毎回俳句に縁のある土地が舞台になっているので、妻と「そのうち行ってみたいね」と話しているんです。句碑を巡りながら観光して“ロケ地巡り”をするのは楽しそうですね。
読者へのメッセージ
普段私たちは「自分と他者の違い」に目を向けます。それは自分のアイデンティティを確立するために大切なことで、違いという壁を作らなければ自分が何者かを知ることはできません。ただ、その壁が厚くなりすぎれば、異文化の壁を越えられなくなります。言葉の交流や相手の文化を知ることは、壁を乗り越える力になります。言葉は、その言葉を使っている人々の生き方を知る扉です。たとえ文化が違っても、人間には共通点が多いもの。人間の活動において言葉がどのような役割を果たしているかを知り、文化の違う人々と共存する前向きな未来をつくっていきましょう。
取材日:2026年5月
- グローバル学部グローバルコミュニケーション学科
https://www.musashino-u.ac.jp/academics/faculty/global_studies/global_communication/