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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第93回 開発経済学 経済学部 経済学科 那須田 晃子 講師

発展途上国の電化が個人の働き方に及ぼす影響を探る

経済学部 経済学科 講師

那須田 晃子Nasuda Akiko

静岡大学人文学部経済学科卒業。一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得後退学。修士(経済学)。大東文化大学経済学部現代経済学科助教を経て、2022年4月より現職。専門は開発経済学。

発展途上国の人々は、先進国が当たり前に持っているモノやサービスがない中、仕事、住む場所、教育などさまざまな選択をしています。そうした個々の人々の生活に目を向け、世帯調査や国勢調査などで得られる「マイクロデータ」を用いて政策の効果を分析しているのが那須田講師です。現在は、「電力」を切り口に個人の働き方や家計の変化について解明を進める那須田講師の研究を紹介します。

研究の背景

貿易から家計まで扱う「開発経済学」

私が専門とする開発経済学とは、発展途上国の経済発展をメインターゲットとする学問領域です。開発経済学は「途上国を研究対象とする経済学の総称」とも言え、「経済学」と聞いて多くの方がイメージされる貿易、経済政策、企業の動向といったテーマを扱う研究者もいますし、よりミクロな家庭生活や労働に関心を持つ研究者もいるという、とても幅の広い学問でもあります。その中でも私は、人々の暮らしに近い「家計」に焦点を当てた研究に取り組んでいます。

私が発展途上国に興味を持ったのは、中学2年生の時にメキシコを訪れ、日系企業の工場を見学したことがきっかけです。当時メキシコは貿易自由化やNAFTA(北米自由貿易協定)発効を背景に、産業や人々の暮らしが大きく変化していた時期でした。アメリカから陸路で国境を越えた時に、その経済的な差の大きさを感じ、強い衝撃を受けました。こうした差がなぜ生まれるのか、それが政策や仕組みによってつくられているのだと気づき、政策が国の産業や人々の暮らしをダイナミックに動かしていくということに興味を持ちました。

さらに、私が大学で経済を学んでいた頃、発展途上国でも個人の生活や家計を分析する「マイクロデータ」の整備・活用が急速に進みました。それまでマクロな指標や理論で語られることの多かった途上国の経済を、実際のデータを用いて科学的に分析できる環境が整い始め、政策が家計や個人に及ぼす影響を定量的に分析する現在の研究をスタートさせました。

研究について

農村の電化は個人の暮らしをどう変えたか

-カンボジアの村のマイクロデータを元に分析-

現在、主にインフラ整備、特に「電力の普及」が人々の生活にどのような影響を与えるのかを、研究しています。特に現在は、カンボジア南東部スバイリエン州の農村地域をフィールドの中心にしています。
カンボジアは、1970年代後半のポル・ポト政権下から、その後の1990年代初頭まで続いた内戦により、国中の発電施設や送電網が破壊されました。近年は各農村の電化が急速に進んでいますが、送電線への接続費用や電力料金の高さから、送電線に接続している世帯ばかりではなく、ソーラーパネルとバッテリーで最低限の電力をまかなっている世帯も少なくありません。また、頻繁に停電が起こるため、送電線に接続していても、安定して電気が使えるとは言い難いのが実情です。

▲カンボジアでの調査の様子
▲送電線を引くことができない地域で、ソーラーパネルを使って電気を使っている姿

他方、ポル・ポト政権後の電力の復興において、カンボジアは隣国のタイやベトナムから高圧送電線で電気を輸入するという政策を採りました。そのため、大都市よりも、国境に近い地方から電力網が整い始めたという事情があり、ベトナムとの国境にあるスバイリエン州にある一部の地域は、比較的安定的に安く電力を利用できる地域でもあります。

そこで私は、スバイリエン州の農村部で、世帯調査や国勢調査などで得られる「マイクロデータ」とさまざまな統計データの分析を行い、電力が人々の生活に与える影響を多面的に理解しようと試みています。研究で用いる「マイクロデータ」とは、集計された統計データではなく、個人や世帯単位で記録された個票データのことです。例えば、個人の時間の使い方、働き方、収入、教育水準、家族構成といった情報が含まれます。そうした個人レベルのデータと、企業や工場の立地、従業員数など産業に関するデータを使い、電化によって家計や雇用がどう変化したのか、複数の角度から影響を捉えたいと考えています。

-現地でのフィールド調査が重要-

私が関心を持っているのは、工場など大きな雇用の増加だけではありません。電気が使えるようになったことで、小さな商店やレストランなどを含めた地域全体の経済活動がどう変わるのか、農業に従事している人の働き方は変わるのか、子どもたちの学習時間や進学率など教育面にはどんな影響があるのか。そしてそうした変化を経て、人々が農村にとどまるのか、それとも都市部へ移動していくのかにも関心があります。雇用の変化から生じる波及的効果も含め、電化が人々の生活、地域の暮らし全体をどう組み替えていくのかを見ていきたいと考えています。

研究では、マイクロデータなどを用いた定量的分析と同時に、現地でのフィールド調査も重視しています。開発経済学は、「経済が進んでいる国が発展途上国に何かを教えてあげる」という学問ではありません。また、途上国の課題を先進国の尺度で捉えても、正しく理解することはできません。実際、カンボジアで調査を行う度に、私が日本で考えていた仮説とは全く違う現実が見えてきます。日本の価値基準では想像できないことも、現地の方にお話を伺うと「なるほど、そんな状況だったらこの選択肢を採るのが自然だな」と納得できることが多く、現地に繰り返し足を運び、現地の研究パートナーと協力しながら調査を進めています。

今後の展望

成果が政策設計に役立つことを願って

経済学の研究は、目の前の誰かを直接助けたり、すぐに金銭的に豊かにしたりすることはできません。現地調査へ行っても、お話を伺った方々の生活に対して、私がその場ですぐにできることはなく、そのことにはいつも歯がゆさを感じています。ただ、電化が生活に与える影響のメカニズムを分析することが、いずれ間接的にでも政策設計に役立ち、人々の生活に貢献できると期待して研究を続けています。

そうした思いを強くしたのは、カンボジアで、ある男性にインタビューした時でした。その男性は以前、自分の専門知識や技術を生かせる仕事を求めて都会に働きに出ていましたが、送電線が通ったことで故郷でも働けるようになり、離れていた家族とまた一緒に暮らせるようになった、と嬉しそうに話してくれました。 このお話を聞いて私が感じたのは、電化の効果を「収入の変化」という視点だけで分析してしまうと、見落としてしまうことがあるかもしれないということです。

例えば、電化によって学んだ知識を生かせる場所が地元に生まれるかどうかは、大人の生活だけでなく、子どもたちの学ぶ意欲にも影響を与えるかもしれません。さまざまな可能性があることを踏まえ、雇用や収入、教育や暮らしの変化まで、多角的に影響のメカニズムを分析していきたいと考えています。

教育

フィールド・スタディーズで学生とカンボジアへ

経済学は、本当は毎日の生活と深くかかわっているのですが、どうしても難しい専門用語のイメージが強く、遠い世界の話として捉えられやすいと感じていました。そこで授業では、現実世界や自分の身近な問題と経済学のフレームワーク(考え方の枠組み)がつながっていることを意識してもらえるよう、発展途上国に関する雑誌の記事などを読み解きながら、それが経済学の考え方とどうつながっているのかを学生と一緒に考える時間をつくっています。

ゼミでは、途上国が抱える問題について、過去に行われた政策がどのような効果をもたらしたのか、データ分析を通して学んでいます。学外での学びも積極的に取り入れ、新大久保の「イスラム横丁」を散策したり、ケニアのスラムで支援活動を行う方のお話を伺ったりしながら、人々の生活と経済学が地続きだと感じてもらう機会をつくっています。さらに、1年生が全員参加する基礎フィールド・スタディーズの中で、カンボジアの歴史や教育を学ぶプログラムを企画しました。

私自身、カンボジアとの最初の接点が大学院時代に参加したスタディーツアーだったこともあり、ぜひ学生にも同じような体験をしてほしいと思ったからです。現地では、教育施設や養護施設、水上村、胡椒農家などを訪問するほか、アンコールワット遺跡群、地雷博物館、キリングフィールドなどを巡ります。カンボジアが持つさまざまな面に触れながら、都市と農村の暮らしの違い、歴史と現代社会のつながりを肌で感じてほしいですね。

▲アンコールワットを背景に
▲現地の小学校で学生たちが折り紙を教える様子

人となり

旅とは「当たり前じゃない」に気付くこと

まとまった時間がある休日は、行ったことのない新しい街へ出かけます。外国人コミュニティがあるエリアを普段からチェックしていて、時間を見つけてはそこへ足を運び、街並みや雰囲気を楽しんでいます。多様な人々との触れ合いや街巡りは、趣味やライフワークでもあり、「自分の当たり前から離れる」という姿勢が研究にもつながっているような気がします。

海外旅行に出かけた時は、いわゆる“観光”も一応しますが、それよりも郊外や農村部へ行ってその土地の暮らしに触れ、その土地の人のお話を聞くことの方がずっと楽しいです。異なる文化に触れて「自分の当たり前は全然当たり前じゃない!」と気付くことが、心の底から面白いです。例えば、日本ほど便利ではない国や地域へ行くと、「ちょっと出かける」の“ちょっと”の言葉の重みが、日本とは全然違ったりします。そういう発見から、自分の普段の生活や価値観に疑問を持ち、想像力を膨らませるプロセスが楽しいなと思っています。

▲カンボジアの伝統芸能「影絵芝居(スバエク)」の技法で作られた牛革製品
▲伝統的な機織りのショール

-20℃のモンゴルでゲル生活を体験

直近の海外旅行は冬のモンゴルへ行きました。ゲルでホームステイをさせてもらったのですが、-20℃を下回る寒さの中、電気のないゲルでの生活は新鮮で、驚きの連続でした。
私はモンゴル語が話せないし、ホストファミリーのお母さんはモンゴル語しか話せません。コミュニケーションは、もっぱら持参した指さし会話帳とジェスチャーで。「牛の乳搾り」だったら、顔の両脇に角のように人差し指を立てて「牛」、手を縦にして指を握って「搾る」みたいに。でもその時間が本当に楽しかったですね。

言葉が通じない国へ行くのは不安だ、という方もいますよね。その気持ちも分かるのですが、私はいつも言葉のことは全く気にせずに行き先を決めています。「どうして私は怖くないのだろう」と考えてみたのですが、多分、これまで研究や旅行で訪れた国々で、言葉が通じない地域を訪れた時の経験が大きいのだと思います。
もちろん、治安についての知識や事前の準備、対策をしっかり取ったうえでのことですが、ありがたいことに、どこへ行っても怖い経験はあまりしたことがなく、現地の人たちは基本的にとても親切でした。むしろ言葉が通じない私に対して気にかけてくれる、温かい人ばかりでした。

読者へのメッセージ

開発経済学は、日本にいると気付かない視点、忘れてしまう視点が得られるという点で、勉強していてとても面白いジャンルです。研究で発展途上国の方々のお話を聞いていると、文化や環境は違うけれど「同じ人間だな」といつも思います。「私もここに住んでいたらこうなったと思う」と感じることが、とても多いのです。国や文化が違うと、どうしても「自分とは違う人」と区別して考えてしまいますが、置かれた環境や場所によって行動が変わっているだけで、人間としてのベースは変わらないのでしょう。私たちも、日本の環境にいるから日本人らしくなっているだけ。世界に対して、そんな視点で考えてみることも大切かもしれません。




取材日:2026年7月

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