このページの本文へ移動
学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第25回 経済学・経済史学経済学部長・経済学部 経済学科 馬場 哲 教授

現代社会につながるヨーロッパの都市経済史

経済学部長・経済学部 経済学科 教授

馬場 哲Baba Satoshi

東京大学経済学部経済学科卒業。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。東京大学大学院経済学研究科教授などを経て、2019年4月より現職。東京大学名誉教授、早稲田大学大学院経済学研究科非常勤講師。社会経済史学会顧問。

産業革命を終えた19世紀のヨーロッパは、都市に人口や商工業が集中し、やがて経済活動の中心地となりました。その一方で、生活環境の悪化など新しい問題も生まれたことから、それへの対応として現在の都市行財政や都市計画の原型となる考え方が登場します。そうした時代に着目し、都市にまつわる諸問題を経済史の観点から考察している馬場哲教授の研究をご紹介します。

研究の背景

近現代の独英の都市にまつわる諸問題を研究

私の専門は、大きく言えば経済史、経済思想史という分野になります。現在は、ヨーロッパ近現代都市経済史、具体的には19世紀末以降のドイツとイギリスを中心に都市経済や都市計画など、都市の諸問題とその思想的背景を研究しています。

近代資本主義成立の起点は中世の都市と思われがちですが、実は中世末に始まった農村での工業生産にさかのぼります。食料、原料、労働力の供給地でもあった農村と都市の経済関係の変化を追うことは、経済史研究の基本的テーマです。大学院時代から最初の著書を出版する1993年ごろまでは、東部ドイツの農村経済史を中心に研究しました。この間、都市との関係は付随的な研究対象でした。その後、19世紀の工業化の過程を研究する中で都市の位置付けが重要になり、北西ドイツの都市ビーレフェルトの工業化過程を事例とする研究を行いました。20年ほど前からはさらに時代を下り、工業化以降の都市を対象として研究を進めています。

研究について

経済的事象に焦点を当てて都市史を捉える

今日大多数の人々が暮らす「都市」の成立や変化を捉える都市史は、さまざまな側面から考えることが可能な領域です。経済史をはじめ、政治史、行政史、文化史、建築史などからもアプローチすることができ、どの領域もほかの領域と全く切り離して研究することはできません。私が取り組む「近現代都市経済史」の研究は、都市工業、都市計画、都市交通、都市行財政などに加え、市民生活や貧困層への政策といった周辺領域を含め、広く社会経済的事象に焦点を当てた研究ということになります。

ヨーロッパ近現代都市経済史の研究では、まず1900年前後のドイツ・フランクフルトにスポットを当てました。当時のドイツ国内には、中規模の都市が点々と存在しており、都市同士が政策や面積を盛んに競い合う競争関係の中で都市に関する制度やインフラを充実させていきました。中でもフランクフルトは、そのころ世界で最も先進的な都市行政を行っているといわれた都市でした。

▲馬場教授の著書

帝国自由都市として古い歴史を持つフランクフルトは、19世紀半ばの普墺戦争に際してプロイセンに併合されますが、その後、積極的な都市政策を展開して都市としてのランクを上げていきます。特に、1891年に市長に就任したフランツ・アディケスの手腕と、アディケスのもとで成立した土地区画整理法(通称アディケス法)をはじめとするフランクフルトの都市政策は、大きな成果を挙げました。このアディケス法は、工業化の進展によって人口流入が続く都市で道路や市街地を整備するために、公的な権限で土地の収用を可能にするものです。アディケス法による土地収用の手法は、その後、ドイツ国内はもちろん世界中に広がり、日本の都市計画の在り方にも影響を与えました。その成果をまとめる過程で、ドイツの制度がイギリスに与えた影響に注目するようになり、最近はイギリスに重心を移して都市計画法の成立過程などに関する研究を続けています。

時代によって変化する農村と都市の関係

また、近年は都市と農村との関係にも再び関心が戻っています。かつて人間は、そのほとんどが農村で暮らしていました。イギリスの都市人口が農村人口を上回るのは19世紀半ばのことであり、それ以前の経済史では農村の比重が高かったと言ってもいいでしょう。産業革命を境に都市に工業が集中して、経済のメインステージが都市に移るわけですが、農村がただ侵食されるだけの場所だったかといえば必ずしもそうとは言えません。

20世紀に入って都市圏が拡大すると、農村は「郊外」として再編されます。交通手段が発達して週末に都市から農村に出掛けたり、周辺の農村から都市に通ったりすることが可能になり、再び都市と農村の関係が強まりました。1920年代ごろには、農村にレジャーや田園的な景観を求める動きや、農村の自然や価値観を保存しようとする田園都市構想のような動きが都市住民の中から生まれています。そうなると、「都市計画」は周辺の農村を巻き込んで「地域計画」へと拡大し、昔とは異なる形で都市と農村の関係が再構築されていくことになります。こうした都市と農村の関わりの変化に目を向けた研究も、今後取り組んでみたいテーマの一つです。

今後の展望

史料分析と計量分析を結びつけて新たな発展を

近年、経済学では数量化やデータ分析を重視する傾向が強まり、経済史の領域でも経済理論や計量分析を積極的に用いた研究が増えています。

しかし、その国特有の歴史的文脈や個性など、数量化や数値化が難しい問題は依然としてあります。史料に基づいて研究する歴史学的経済史と数量経済史の間に、いかに相互補完的な関係を構築していくかが、今後の経済史学界の課題です。一人の研究者が両方の手法に精通することは容易ではないため、どちらかにウェイトを置いた研究者同士が協働し、または分業して研究を進め、経済学と歴史学の境界領域という特性を生かした経済史学の発展につなげることが望ましいと考えています。

歴史学研究の基本は、関連文献と史料の渉猟と批判的な解読です。合計すると5年ほどヨーロッパに滞在しましたが、その多くの時間は各地の公文書館や図書館に通って史料・文献を収集することに費やしました。オリジナルな史料から史実を整序し、先行研究や他の文献・統計と突き合わせながら、ひとつのまとまった歴史像を造形していく作業はやはり歴史研究の醍醐味と言えます。

また、日本ではこれまで西洋、特にヨーロッパ経済史の研究が盛んに行われてきました。その理由は、西洋との比較を通じて日本の経済発展の特徴を明らかにするというコンセプトが共有されてきたことにあり、私自身も日本経済史の先生方との共同研究をとても大切にしてきました。近年、経済史の領域ではアジアに注目した研究が増えていますが、世界全体の経済の成り立ちを考える上でヨーロッパ文化が重要であることに変わりはありません。日本経済史やアジア経済史との比較や交流をしながらヨーロッパ経済史の研究を進めていくという伝統は、これからも途絶えずに続いていってほしいと願っています。

教育

今を理解するには歴史の学びが不可欠

経済学は大きく「理論」「応用(政策)」「歴史」の3分野に分けることができます。経済学部ではまず基礎理論や数学的な分析手法を学び、それを土台に金融、財政、産業、労働、貿易、環境などの現実の経済問題を学びます。人間の経済社会は長い歴史を経て形成されてきたため、経済史、経済思想史といった科目も大事です。

歴史学の世界では、過去の事実が現代あるいは未来から問い返され、それによって歴史像が塗り替えられることがしばしばあります。例えば、かつて産業革命はその前と後で世界が劇的に変化した、文字通り「革命」だったと考えられてきました。ところが、当時のイギリスの経済成長率を再推計してみると、その後の時代と比べてそれほど高くなかったことが分かり、最近では、産業革命が経済史上の大きな分水嶺であることは間違いないとしても、前後の変化は、かつて言われていたほど劇的なものではなかったという見方が主流になっています。ジェンダーや児童労働に着目した新しい研究も現れています。

産業革命のような大きなテーマであっても、時代が下り、研究が積み重ねられるうちにその見方が大きく変わることがあります。近年の経済学では実利的な分野への関心が高まる一方、歴史家として大変残念なことではありますが、「外国の昔のことを知って何になるのか」と考える学生もいます。しかし、歴史は決して現在と無関係ではありません。そうしたことも言い添えながら、授業を通して経済社会を理解する上では歴史的なアプローチが不可欠であることを学生に伝えています。

人となり

住んでいた街のかつての姿に思いをはせて

▲イギリスの古城廃墟

ヨーロッパへの憧れは、中学生ごろから持っていたように思います。街の風景がどんどん変わってしまう日本とは異なり、昔ながらの街並みをできるだけ残そうとするヨーロッパの考え方には深く共感しています。 イギリスやドイツの古い街並みを写した写真集や古地図を集めるのが好きで、気に入ったものを見つけては購入しています。都市計画や住宅政策の研究に役立つこともあるのですが、基本的には個人的な趣味ですね。特に惹かれるのは、やはり半年以上住んでいたハンブルク、フランクフルト、レスター、ロンドンのもの。この4都市に関しては、地区レベルのものまで含めたかなりマニアックなコレクションになっていると思います。

休日は歴史を感じさせる場所巡り

▲フランクフルトの市公文書館

休日には、ときどきカメラと地図を持って街歩きをしたり、坂や階段を巡ったりするのを楽しんでいます。ヨーロッパにいたころは、人里離れた場所にある古城や修道院の廃墟を回るのが好きで、付き合ってくれる家族には少々いやがられていました(笑)。東京は坂道好きの方々の団体や本もあるほど坂の多い土地で、特に前任校がある文京区は坂や階段の宝庫でしたから大学の周りをよくブラブラ歩き回っていました。 最近はコロナ禍の影響もあり、自宅から徒歩や自転車で行ける範囲を散策しています。自宅の近くにも意外に坂や階段が多い上に、6~7世紀に造られた小さな古墳まであることがわかって驚きました。1500年前に人が生活していた場所に今自分も暮らしている、という感覚は、ちょっと面白いですね。坂や古墳を回るのも、ヨーロッパの廃墟巡りも大元にある気持ちは同じで、要するに「歴史を感じさせる場所が好き」ということなのだと思います。

―読者へのメッセージ―

現代社会では、マスメディアやインターネットを通して、絶えず膨大な情報が入ってきます。しかし、さまざまな情報が入り乱れ、何が真実なのかがにわかに判断できないことも少なくありません。数十年後に公開される史料によって、はじめて真実が明らかになることもあるでしょう。つまり、私たちはその時代を生きた人々よりも過去を客観的に理解することができるし、そこから現代を理解し、未来を展望するための教訓を得ることもできるのです。また、現代の私たちの生活の根底には、100年前のヨーロッパで生まれた制度や思想も流れ込んでいます。歴史学は、決して今と無縁の学問ではありません。歴史と今の繋がりを感じ、その面白さや重要性にぜひ目を向けていただきたいと思っています。

取材日:2022年7月