
第47回 創作・文学 文学部 日本文学文化学科 町田 康 特任教授
型にはめられた言葉の枠組みから、
いかに自由になれるか

文学部日本文学文化学科 特任教授
町田 康Machida Ko
1962年、大阪府生まれ。作家。1981年、パンクバンドINUとして『メシ喰うな!』でデビュー。1996年『くっすん大黒』で作家デビューし、Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。2000年『きれぎれ』で芥川賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞、2024年『口訳 古事記』で舟橋聖一文学賞など数々の文学賞を受賞。近年は『宇治拾遺物語』の現代語訳や『義経記』を翻案した『ギケイキ』など、古典の新たな解釈にも挑む。2023年度から本学特任教授。
日々ネットの世界ではさまざまな言葉が飛び交い、SNSの台頭で言葉の持つ力は正負あわせこれまでとは異なる様相を呈しています。そんな中、人々を惹きつける文学の言葉とはどのようなものでしょうか。日本のパンク勃興期にパンク歌手としてデビューし、その後、作家として唯一無二の表現を続ける町田 康特任教授に、ジャンルを横断する活動でつかんだ創作の極意を聞きました。
創作の背景
パンクの自作自演が創作の原点

子どもの頃から本を読むのは好きでした。子どもだから、意識的にこういう本を読もうということはなくて、ただその辺にあった本を手に取って読んでいただけですけど、小学2年生の時にたまたま書店で見つけて読んだ『物語日本史2』という本がすごくおもしろくて気に入ったんです。日本の歴史を年表のように羅列しているのではなく、人物の内面や情景の描写などを踏まえて物語的に書いている本で、子どもながらに引き込まれました。子ども向けとはいえ、池波正太郎が「信長と秀吉 関ヶ原の決戦」の巻を書いていたりして読み物としておもしろかったんです。これを全10巻読破したのが意識的に本を読んだ最初の体験だと思います。
中学生になると北杜夫や筒井康隆あたりを読み漁るようになって、物の見方や考え方の部分でもかなり影響を受けました。ただ、本を読むのがおもしろかっただけで、自分で小説を書こうなんていう気持ちはまったくなかった。自分で何かを創作しようという意識を持ったのは、パンクという音楽に出会ったことがきっかけです。16歳くらいから歌詞や曲を自分でつくって人前でパフォーマンスをし始めたんですが、創作や表現をするという行為のはじまりは、僕にとっては音楽でした。
自分で歌詞を書くようになると、たとえばロックの歌詞はロックらしい言葉、フォークの歌詞ならフォークらしい言葉、文学は文学らしい言葉というように、ジャンルごとに使う言葉が垣根で分けられているということに気づくんです。普段、小説を読んでいる人間でも、「ロックの歌詞だからこういう言葉を使わなければ」という感じで自分に制限をかけて、なんとなく「それらしい言葉」で書いてしまう。僕はそういう垣根をとっぱらって、それまで本を読むことで蓄積されていた語彙をパンクの歌詞に入れていった。狙ってそうしたということではなくて、「それが自分の中にある言葉なんやから、それをそのまま使ったらええやん」ということですね。その結果、パンクやロックでは使わないような言葉のつらなりから成る歌詞が生まれたんだと思います。
創作活動について
小説、詩、古典翻訳、音楽…ジャンルを横断する創作活動
編集者から「小説を書いてみませんか」と言われて初めて小説を書いたのが1996年、34歳の時です。特に小説だからこういう書き方をしようということもなくて、それまで書いていた歌詞や詩が地続きで小説にスライドしていったような感じでした。この小説『くっすん大黒』は97年にBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞したんですが、この賞は1人の選考委員が選ぶというもので、僕の小説は筒井康隆さんが選んでくれました。中学生の頃から読んでいて、ものの見方や考え方から言葉の使い方まで、自分の中に染み込んでいるというか、自分の人格をつくっているような作品を書かれている方が賞を与えてくださったというのは本当に信じられないような気持ちでしたね。
南方熊楠という学者がいますが、あの人は学位を持たない在野の学者でしたけど、ある時、海外の科学雑誌に英語で論文を発表したら、それまで無名だったのに一夜にして評価されるようになった。それから、いろんな場所に出入りできるようになったり、いろんな人から直接意見を聞くことができるようになったりして「学問の徳」みたいなことを感じたと書いているんですが、僕もその時、「熊楠が感じていたのはこういうことなんやろうな」と思いました。
これ以降、小説を書きながら、詩や随筆も書き、役者として映画に出たこともあれば歌と演奏をすることもある、という活動を続けて今に至ります。最近では、書き下ろしの全352首の短歌を収録した初めての歌集『くるぶし』、「こぶとりじいさん」や「舌切り雀」などを自分なりの言葉で翻訳した『宇治拾遺物語』などを刊行しています。

その時々、取り掛かっている仕事としては、仕上がるまでに5年掛かるものもあれば、場合によっては10年掛かるものもあるので、ずっと何かしら仕事をし続けている感じですが、自分の経歴の中に位置づけて「次はこういう作品をつくろう」というふうに考えたことはないですね。人から「やってみませんか」と言われて、「ほんならやろうか」と言ってやってみたら、そこから思いがけず何か新しいものが生まれることもあって、そういう偶然から生まれる化学反応みたいなものは大事にしたいと思っています。
今後の展望
今、あらためて小説と向き合う

今は、あらためて「小説をやりたい」と思っています。初めて短歌の歌集を出してみて、小説に対する刺激を受けたというか、小説のおもしろさみたいなものにあらためて気づかされるところがありました。1行、31音で終わる歌の世界をつくって、それを自分で読んでみると、こういうところにも「物語の種」はあるな、と思いました。歌というのは調子でパッと出てくることもあるので、思いもよらない発想が意表をついて出てくる。後から読むと、「この歌の中にはこういう景色があるな」とか「この歌の中にはこういう人が生きているな」とか「この人はこういう状況でこういうことを言うんやな」とか、そういう発見のようなことがあるんです。そういうものを小説にしていったら、また違ったおもしろさがあるんじゃないか、と。
それから、2023年度からこの大学で小説についての授業をするようになったことも、あらためて小説について考えるきっかけになりました。今までは自分の仕事として毎日書いていただけですけど、学生が書いてきた小説を読んだり、それについて説明したりすることは、自分が仕事として書いているのとは違う角度から小説というものについて考えることになります。「ああ、こういう考え方もあるんやな」とか、いろいろと気づくこともあって、自分の仕事に多少なりとも影響してくるだろうなとは思います。そういうことも含めて、今は小説ともう1回向き合ってみたいなと思っています。
教育
「どう書くか」より「どう読むか」

「創作基礎Ⅰ(小説Ⅰ)」という小説の創作についての基礎になるような授業と、「日文特別ゼミⅡ[小説]」というより実際の創作に特化した授業の二つを担当しています。創作基礎では、小説の技法を学びたいという学生もいるし、小説に限らず自分のやりたい創作や表現があって、その基礎として小説を学びたいという学生もいます。それぞれやりたいことも違うだろうし、得意不得意もありますから、こちらから何かを一方的に教えるというより、授業を通して学生がお互いに学び合えるような場所を設定している感じです。
身も蓋もないことを言うと、本来、小説は人に教わるようなものでもなくて、とにかく自分で書くしかないんです。書き方を教わるよりも街に出て、今だったらトー横あたりにでも行ったほうがよっぽど小説のネタになります。ただ、その一方で大事なのは「読み方」です。他の人の書いた作品を「君はどう読んだか」ということ。それをみんなの前で話してもらうことは大事ですね。どうしても最初は「面白かったです」とか「面白くなかったです」とか、そういう話になるんですけど、「いや、そんなんは聞いてない。おもろいとかおもろないとかいう話ちゃうねん。その作品をどういうふうに思うかっていうことをちゃんと人に説明できるようにせなあかんのやで」っていう話をしたりしています。そういう考え方を磨いていくことが、自分の創作にも生きてくるんだと思います。
人となり
「自分にしか書けないもの」を書くために
「小説の書き方は人に教わるものじゃない」と言いましたけど、学生から自分が書いた小説を読んでほしいと言われたら読みますよ。読んで、「この内容だったらこの形じゃない方がいいんじゃないか」とか「ここの文章はハズいよ」とか「ここは間違っているから直した方がいい」とか、そういう話はしますね。僕の授業を受けたくてこの大学に入ったという学生もいるし、引き受けたからには責任があるので、授業の準備に時間は掛かるんですけど、そこは真面目に取り組んでいます。
今の若い人は、まあ若い人に限らずですが、何かを表現したい、自分のことを知ってほしいという気持ちはあるものの、そこに寄せる手持ちの文章が伴っていないことが多いんです。そこら辺に流布しているマスコミ言語のようなものに染められてしまって言葉の枠組みを作ってしまっている。そういうプリセットされた言葉を自動的に使っていると何となくそれっぽくはなるんですけど、創作ってそういうことではないんです。誰かの文章を模倣してみるのはいいんですけど、自分が思ってもいないようなことを書いても、筆が乗っていないというか、やっぱりおもしろくはならないんですよ。つまり「自分にしかできないことをやってくれ」ということなんですけど、そこに自分で蓋をしてしまっていることが多い。単に「着崩せ」とか「乱せ」と言っているわけではなくて、誰に着せられた服じゃなくて、「自分でちゃんと着られるようにしておけ」ということ。それから、「何がダサいのかをわかってくれ」っていうことは学生にきちんと伝えていかなければと思っています。
―読者へのメッセージ―
「普通」や「型」に抗うのが文学の言葉

僕は、小説を書いたり、古典の翻訳をしたり、最近では歌集を出したり、言葉での表現に全般的に携わっている人間です。「普通の読者に向けておもしろいものを書く」ことを実践している立場から、言葉について「普通はこうするもの」という考え方を解毒するというか、「型通りにやらなくていい」ということを伝えたいと思います。
授業を通じて、世の中にあふれているパターン化した言葉に抗うのが文学の言葉だということを説明したい。しかも、そうした陳腐化した言葉すらも取り込んで、相対化し茶化して、自分の文章にしていくこと。一つ一つの言葉はしょうもないものでも混ぜてバランスをとっていけばすごい文学になるんだということを伝えたいですね。ジャンルごとにある「〇〇らしい言葉」の垣根を取り払ってミックスする、言ってみればDJのようなものです。古い言葉も、ネット言語も、いろんな言葉を自由に使えばいい。例えば中原昌也の小説は、そういう言葉だけで書いているのにとてつもなく面白かったり批評的だったりしますが、あえて言えばセンスだけで書いている。ぜひセンスを磨いていただきたいと思います。
「小説の書き方を教えてください」と聞かれたら、いつも「とにかく本をたくさん読んでくれ」と言うのですが、「それだけは勘弁してください」という顔をされることが多いんです。不思議な話ですが、「小説は読みたくないけど小説を書きたい」という人が多い。たとえばラーメン屋を始めたいと思ったら、美味いものから不味いものまで、ありとあらゆるラーメンを食べて自分が求める味を探すしかないんです。ラーメンの作り方だけ教わったところで、そこに自分の味はない。まずラーメンを食べまくってラーメンの魂を知ってくれ。小説も、そういうことです。
取材日:2024年5月