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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第61回 比較文化学 グローバル学部 グローバルコミュニケーション学科 欒 殿武 教授

日中両国の架け橋として文学研究と翻訳・通訳者育成に力を注ぐ

グローバル学部 グローバルコミュニケーション学科 教授/国際センター長

欒 殿武Ran Hirotake

中国天津市出身。南開大学大学院で日本語と日本文学を専攻。1994年に来日し、千葉大学大学院で修士課程・博士後期課程修了。博士(文学)。2012年より現職。国際センター長とランゲージセンター長を兼任し、中国語翻訳・通訳者としても活動する。研究者としての専門領域は「日中近代比較文学」「比較文化論」で、『漱石と魯迅の伝統と近代』や『日華学堂とその時代-中国人留学生研究の新しい地平』(共著)などの著書多数。また村上龍など日本の文学作品の中国語翻訳を手掛けている。

『阿Q正伝』や日本の国語教科書に掲載されている『故郷』などで知られる中国の作家、魯迅(ろじん・1881~1936)。中国出身の欒 殿武教授は魯迅の作品に見られる夏目漱石の影響に関心を抱き、日本に留学していた時代の魯迅の生活、さらに魯迅と同じ時代に日本に留学していた中国人留学生の生活を研究テーマとしています。また日本語と中国語の翻訳、通訳者としても活躍しており、武蔵野大学では留学の促進や海外からの留学生受け入れなどを担当する国際センター長も務めています。

研究の背景

夏目漱石が魯迅に与えた影響に興味を抱く

日本文学との出会いは大学時代に読んだ夏目漱石の代表作『坊っちゃん』でした。たいへん面白い小説で、私は漱石という作家に深く関心を抱くようになりました。さらに中国近代文学の父とも呼ばれる魯迅が少なからず漱石の影響を受けていることに気付きました。魯迅は自分にとっての「文学」を追い求める過程で東洋の伝統と西洋近代文学の狭間で悩み、同じ東洋の知識人としての漱石に自分との共通点を感じ取っていたように思われます。ただし魯迅と漱石が直接会ったという記録はありません。しかし漱石から受けた影響の痕跡は魯迅が書いた作品の随所に残されていると私は考えています。
大学入学後に日本語を学びはじめ、大学院時代は明治文学を専攻。博士論文は『漱石と魯迅における伝統と近代』という比較文学の研究でした。以後、私は魯迅という作家を通して日本と中国、二つの文化の関わりに関する研究に取り組んできました。

研究について

魯迅を中心とした中国人留学生の生活史

魯迅はもともと医学の道をめざしていました。1904年、彼は仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)に初めての中国人留学生として入学しますが、学業半ばで退学してしまいます。その理由は諸説ありますが、魯迅自身の文章の中で日露戦争に関するスライド写真でロシアのスパイだった中国人が処刑されようとしている場面を見たことが一因と語られています。彼はこれからの中国で必要なのは、身体を治す医学より人々の精神を高める文学だと考えたのです。その後、魯迅は東京で外国文学の翻訳や出版を手掛けましたが、結局1909年、中国に帰国。学校教師などを経て小説家としてのデビュー作『狂人日記』が発表されたのは、それから9年後の1918年のことでした。中国ではその頃、伝統的な古文の書き言葉から話し言葉をつかって文学作品を書こうという「文学革命」が盛り上がっており、魯迅もその代表的な作家として華々しくデビューしたのです。

実は私も高校生の頃は魯迅と同じように生物学や薬学といった理系分野に進もうと考えていました。しかし当時の中国政府の改革開放政策によって、以前より海外の情報が多く入ってきたことで、先進国である日本語や日本文化に興味を持つようになったのです。仙台時代の魯迅については多くの資料が残されていますが、東京に移ってからの生活は日記が残されておらず、いまだに詳しいことはあまりわかっていません。そのため魯迅の弟である周作人(しゅう さくじん)の回想録や国内資料をたどりながら、日本での魯迅の生活を解明する研究を進めてきました。限られた資料でかなり難しい作業になりますが、これまでの魯迅像の空白を埋める新しい発見を期待して研究を進めています。

日中翻訳・通訳エキスパートの育成

次世代の日中翻訳・通訳者の育成も私の重要な研究テーマです。
武蔵野大学グローバル学部グローバルコミュニケーション学科のカリキュラムでは英語・中国語・日本語の3カ国語を必修とし、それぞれの言語の実践的な能力を身につけた国際人材の育成を目標としています。学部の専門科目としては翻訳と通訳の実践スキルを教える講義が設けられており、私が中国語翻訳演習という講義を担当しています。

▲先生が翻訳された書籍の一部

私は大学院時代から産業通訳などを数多く経験しましたが、近年中国の大手メディアのテレビ番組の制作で同時通訳を務めると同時に、日本語の書物の翻訳を手掛けてきました。 近年では芥川賞作家でもある村上龍氏の小説『コインロッカー・ベイビーズ』などを翻訳し中国に紹介しています。そのほかには学生時代に著書を読んで「日本にはこんなすごい人がいるのか!」と感銘を受けた博物学者・生物学者・民俗学者など多彩な分野に大きな足跡を残した“知の巨人”南方熊楠の『十二支考』なども翻訳、出版しています。こうした経験を生かして学部では実践的な翻訳、大学院では翻訳と通訳の授業を行い、翻訳・通訳のプロを目指す大学院生の指導も行っています。

今後の展望

「日華学堂」で学んだ中国の若者たちの生活史

近年は魯迅と同じく明治時代の終わり頃から大正時代にかけて来日した中国人留学生の日記や日華学堂の学生たちの留学生活も調査しています。「日華学堂」というのは、中国人留学生が日本の大学に入学するための一種の“予備校”のことで、実は武蔵野大学の学祖・高楠順次郎博士によって設立された教育機関です。日華学堂の出身者たちはやがて中国の近代化に大きく貢献するのですが、彼らが日本の留学生活で何をどのように学んでいたかについて日本の外務省「アジア歴史資料センター」の公文書と『日華学堂日誌』などを読み解きながらその実態を明らかにしています。これまでの成果については2022年に出版した『日華学堂とその時代-中国人留学生研究の新しい地平』にまとめました。

翻訳・通訳分野でのAIと人間の協力を考える

今後、翻訳や通訳の分野では飛躍的な進歩を遂げているAI(人工知能)と人間がどのように協力していくかが大きな課題となってくるでしょう。そこで私の新たな研究課題として、特に同時通訳におけるAIと人間の協力の可能性を探っています。人間とAIそれぞれの「強み」はどこにあるかを見極めて、新しい翻訳・通訳者育成教育のための新しいツールの導入や教育モデル構築など、専門家のご意見もうかがいながら人間の弱点をAIで補う新しい時代の翻訳・通訳教育の方法を検討していきます。

教育

語学学習に近道なし!

グローバル学部の学びの基本は語学学習です。語学学習に決して近道などありません。私自身も大学入学後にコツコツと日々の鍛錬を積み重ねることでコミュニケーションと研究のために必要な日本語力を身につけることができました。こうした語学学習の姿勢は学生が卒業後に取り組む「仕事」にも活かされますし、社会での高い評価にもつながることでしょう。そして翻訳・通訳を仕事にしたいと考えている学生にはいつも「プロ意識」をもってほしいと伝えています。プロに求められるレベルをクリアするための努力を決しておこたらず、プライドを持って社会で活躍していただきたいからです。

比較文化の面白さを知ってほしい

外国語を学ぶということは単に文法や語彙を覚えることだけではありません。その言葉を使う人々の考え方、価値観、日常の暮らしに触れることでもあります。同じ言葉でも文化が違えば、その言葉の意味や使われ方も異なることがあります。そうした違いを知ることは、驚きと発見に満ちたワクワクする体験です。

私が担当するグローバル学部の専門科目 中国研究(文化文学)初級は、日本と中国の文化の共通点や異なる点にスポットを当てます。両国の文化がお互いにどのように影響し合ってきたのかを、「なぜそうなのか?」という問いかけとともに学生と一緒に考えています。私が長年興味を持って取り組んできた魯迅の日本での生活や漱石からの影響に関する研究で感じてきた「比較文化」の面白さを学生のみなさんにも味わっていただくことがこの授業の大きな目標といえるかもしれません。

人となり

インドア&アウトドアの楽しみ

趣味はいろいろあります。たとえば映画や音楽を楽しむこと。映画は米国のハリウッド作品が多く、日本映画では高倉健さんの主演作が好きです。音楽もマーヴィン・ゲイやケニー・ロジャースなど米国のポップスをよく聞いています。
外出するのも好きで仲間と一緒にハイキングなどに出かけることもあります。また一人でカメラを持って神社仏閣を巡ったり、都内の青山霊園、谷中霊園、雑司ヶ谷霊園など歴史的人物のお墓を訪ねたりすることも趣味の一つです。墓石を見ながら生前はどのような人物だったのかを想像するのは楽しいですね。谷中霊園には新一万円札の渋沢栄一のお墓がありますが、たいへん立派な造りで感心しました。

▲ハイキングで訪れた奥多摩の白丸湖の景色
▲西本願寺の阿弥陀堂門
▲谷中霊園の桜
▲渋沢栄一のお墓

読書は趣味か?仕事か?

図書館・資料館通いや読書も学生時代からの趣味ですが、今はむしろ仕事の一部。研究テーマに関連する歴史資料などを読みはじめるとすぐに夢中になってしまいます。時には寝る時間を削って明け方の4時ぐらいまで夢中で読んでしまうこともありますが、まったく疲れを感じません。特に現在の研究テーマである明治・大正期の中国人留学生に関する新しい発見などがあればとても興奮して眠さなど吹き飛んでしまいます。
最近は楽しみで日本の経済小説をよく読んでいます。その中から次に翻訳する作品を見つけるつもりなので、これもやがて仕事になってしまうかもしれませんね。

▲日本人大学生の訪中団と一緒に訪れたHUAWEI研究センターの図書館
▲中国広州にある陳家祠(ちんかし)

読者へのメッセージ

学生の皆さんには、外国語を学び、使うことを通して世界とのつながりを感じてほしいと願っています。言葉を通して、世界はもっと近くなる――そんな学びの楽しさを、これからも多くの方と分かち合っていきたいと思っています。 ご家族の皆さまにはそんな学生たちが、外国語を通して世界へ、未来へ視野を広げ、挑戦する姿をぜひ温かく見守り、応援していただければと思います。




取材日:2025年4月