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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第67回 観光学 グローバル学部 日本語コミュニケーション学科 岩崎 比奈子 准教授

観光へのアプローチはさまざま 多様な学生が集う環境で研究・学びを深める

グローバル学部 日本語コミュニケーション学科 准教授

岩崎 比奈子Iwasaki Hinako

東京女子大学文理学部社会学科卒業。東洋大学大学院国際観光学研究科国際観光学専攻博士前期課程修了。公益財団法人日本交通公社(JTBF)で観光に関する調査研究・コンサルテーション業務に従事した後、2020年4月に本学に着任。観光庁主催「専門課程観光行政初任者研修」講師、富岡市総合戦略検証委員、草津町総合戦略推進委員会専門委員、温泉まちづくり研究会(事務局:JTBF)相談役等を務める。専門は観光学。

コロナ禍を経て日本の観光産業は回復し、2024年には、国内旅行消費額や訪日外国人旅行者数は過去最高を記録しました。一方で、出国日本人数の低迷や休日に旅行が集中する旅行需要の不均衡、人材不足といった課題が顕在化しています。こうした観光地の実態を学術研究に連結し、学生への教育を通じて諸課題の解決と観光産業への貢献をめざす岩崎准教授にお話をうかがいました。

研究の背景

若手時代に温泉地活性化の現場に携わる

「観光学」は、観光に関するさまざまな事象を研究対象とする裾野の広い学問です。ビジネス、歴史、文化、地域社会などさまざまな側面から捉えることができますが、現代の社会経済に関わる領域としては、「観光産業の振興」と「観光による地域振興」の2つに大きく整理できるかと思います。私の前職は旅行・観光を専門とする学術研究機関(JTBF)ですが、若手だった時期に群馬県の草津温泉をはじめとする全国のいくつかの温泉地の活性化に携わる機会に恵まれました。その時の経験や人的ネットワークを糧として、近年は特に旅館業界における人材の確保・定着・育成についての研究を行っています。

研究について

旅館業界の人材を安定的に確保するために

-人材不足には業界特有の要因も-

今、日本国内では多くの産業で人材不足が叫ばれ、旅館業界でも人材確保は喫緊の課題となっています。

旅館業界における人材不足の背景には、ほかの産業とは異なる業界特有の要因があります。まず1つ目に挙げられるのが「特殊な働き方」です。これは観光産業全般に言えることではありますが、年末年始や5月の大型連休など、多くの人が長期休暇を取る時期が観光産業の繁忙期に当たり、利用客が多い土日はなかなか休むことができません。また、多くの旅館では、前日の宿泊客がチェックアウトしてから当日の宿泊客がチェックインするまでの間に休憩を取る「中抜け」という働き方が採用されています。こうした特殊な労働環境が、人材不足の大きな要因だと考えられています。

2つ目に考えられる要因は、そうした特殊な働き方であるにも関わらず、観光産業は全般的に「給与水準が低い」という点です。厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」によると、令和6年の「宿泊業、飲食サービス業」の賃金は全産業の中で最も低くなっており、このことが人材難に拍車を掛けているといえるでしょう。

旅館業界の人材不足の3つ目の要因として、最近、私が強く感じているのは「旅館に泊まったことがない若者の増加」が旅館業界への入職者減少の遠因になっているのではないかということです。大学教員に転身して学生と接する中で、「今まで一度も旅館に泊まったことがない」「知らない人と一緒に温泉に入りたくない」という学生が少なくないことに驚きました。旅館に滞在してその魅力を知ったり、そこで働く人と接したりする経験がなければ、「自分のサービスを喜んでもらえた」「お客様から感謝の言葉をもらった」といった旅館の仕事の魅力を知ることが難しく、自らの就職先の選択肢に挙がりにくいのも当然でしょう。

-業界・地域としての取り組みも必要-

産業間で人材の獲得競争が激しくなっている現在、旅館業界も一層、働き手の待遇改善を進めることが重要です。宿泊料金は価格競争が激しく、物価が上がっても料金水準は据え置かれる傾向にありました。しかし、近年の物価高はもちろん、充分な人件費を確保する観点からも、サービスの品質に見合った適正な宿泊料金をお客様に求めていくことも業界として重要な取り組みだと思います。

その一方で、旅館業界の人材不足の解決は、個々の旅館経営者の努力だけでは難しいようにも思います。旅館業界の人材不足の3つ目の要因である、旅館での良質な宿泊体験を多くの人々にしてもらうためには、旅館についてある種の憧れを抱いてもらえるような取り組みを業界全体で推進していく必要があるのではないでしょうか。

さらに、これまでは「来訪者が訪れたい観光地、観光しやすいまち」であることが重視されてきましたが、これからは「働くひとが暮らしたいまち」という視点が一層大事になってくることでしょう。生活の便利さだけを求めるのではなく、例えば質の高い教育や温かい地域コミュニティといった、充実した人生を過ごせる場が、人々から訪れたいと思われる観光地にこそ形成されるといいなと感じています。

一大学教員として私にできることは限られていますが、JTBFが2008年に設立した温泉まちづくり研究会の活動に参加することなどを通じて、さまざまな地域の事例を調査して旅館業界の現場の状況をきちんと理解し、観光地全体のマーケティングやマネジメントの旗振り役を務める「観光地域づくり法人(DMO)」をはじめ、旅館経営者や従業員、行政の担当者など、地域の観光に関わるさまざまな人と議論を重ねることで、旅館業界の人材不足についての解決策を見出していきたいと考えています。

今後の展望

人々の幸せのため、観光産業の発展のために、体験格差の縮小、旅育の推進を

これまで温泉地の活性化や旅館業界の人材不足といった問題に取り組んできて、最近、思い至った考えがあります。それは、旅館業界への入職者を増やし、観光産業を今後一層発展させるためには、良き旅人、国内外の観光についての良き理解者を増やすことが重要だという、ごくシンプルなことです。

豊かな旅行経験は、人々の人生を豊かにすることでしょう。旅行を通じて子どもたちがさまざまな学びを得られる「旅育」の取り組みに関心がありますし、近年話題になっている「子どもの体験格差」にも注目していきたいです。

旅行とは単なる移動ではありません。旅先で日常とは違う時間を過ごし、その土地の歴史や文化、風土に触れることで、新たな気付きや興味関心の広がりが生まれます。少し大上段からの話になりますが、幼い頃に豊かな旅行経験を重ねることは、新しいアイデアやイノベーションを生み出す人材の誕生を後押しすることにつながるはずです。

こうした今後の展望を持ちながら、私は学生たちが観光についての知識とそれを活用する力、いわば「旅人としてのリテラシー」を身につけられるような授業を行っていきたいと思っています。

教育

観光学はどの学科の学びにもつながる

観光は実社会に密接に関わる活動ですから、担当する授業では毎回講義の冒頭で、観光に関するトピックについて報道記事などのファクトと私の見解の両方を紹介するようにしています。私自身が国内外を旅した時の経験も話すようにしているのですが、講義後のリフレクションから「自分もそこに行ってみたい!」と学生たちの気持ちが動いている様子が伝わってきます。私が経験したちょっと怖かった失敗談なども若いみなさんへの何か参考になるといいですね。

私が所属する日本語コミュニケーション学科以外の学生も履修可能な「日本研究」の授業は、留学生を含めて、学年、学科を問わず多様な学生が集まります。学生の専攻が多岐にわたるため、授業中のディスカッションで飛び出す意見や提案はさまざまで、私の方がはっとさせられることもあります。こうした環境こそが、裾野が広い観光学を学ぶ最良の教室かもしれません。

▲先生が執筆を一部担当した書籍

観光学は、本学のどの学科の学びとも結びつく可能性を持っているように思います。例えば、観光学で研究対象になる「ホスピタリティ」と、「ホスピタル(病院)」は、どちらも「客をもてなす」という意味のラテン語を語源としていますから、看護学科や社会福祉学科の学びとの親和性が高いと思います。旅館や観光施設の運営には経済学や経営学など社会科学系の学科の学びが活かせますし、観光地の街並みや景観は建築デザイン学科、観光政策は政治学科の学びとつながるでしょう。私の授業がきっかけとなって、より多くの学生が各自の視点で観光に関心を持てるよう、観光の魅力を伝えていきたいです。

人となり

その土地を訪れたからこそ、手に入れたくなるもの

▲先生が旅先で出合った輪島塗(左)と白薩摩(右)

前職時代から出張がとても多く、日本各地のおいしいもの、美しいものに触れる機会に恵まれました。その土地を訪れたからこそ叶う買い物も楽しく、お菓子やお酒、地場産の果物・野菜、漆器や磁器など特産品をよく買ってきました。旅先で手に入れたものの中でも、白薩摩(薩摩焼)の茶碗や輪島塗のお椀は、私のお気に入りです。白薩摩は、鹿児島県へ行った際に著名な工房「沈壽官窯(ちんじゅかんがま)」で買いました。輪島塗は、輪島市の旅館で手に入れたものです。

品物そのものに魅力があることはもちろん大事ですが、地元の方に「こんな風に作られたものですよ」「今ではもうなかなか手に入らないんですよ」と教えていただくと、余計に「手に入れて連れて帰りたい!」と感じるのです。お取り寄せもいいですが、地元の人々とのこうしたやり取りは、旅をより想い出深いものにしてくれますね。

旅を豊かにする、地酒とおしゃべり

▲清水清三郎商店(三重県)の「作」と
萩野酒造(宮城県)の「日輪田」

私は幼い頃からおしゃべりでしたが、食いしん坊になったのは観光の仕事をするようになってからだと思います。地元の方と一緒におしゃべりしながら地場産のものを食べたりお酒を飲んだりすることが好きです。もうずいぶん昔のことになりますが、静岡県の焼津市で地元の人が集まる居酒屋で隣り合わせた遠洋漁船の機関長さんと話が盛り上がり、翌日、マグロを丸ごと1本いただく事態になりました。そのマグロは新幹線の座席の下に横たえて持ち帰ったのですが、その時の光景や自宅で大きなマグロの解体に悪戦苦闘したことは、思い出す度に笑いがこみ上げてきます。

お酒はほぼ何でも美味しくいただきますが、旅先の土地で造られた日本酒は格別です。地酒は、地域の伝統的な料理や神事になくてはならないものであり、その地域のプライドが表れると思うのです。そのプライドをいただくと考えるとなんだか特別な気持ちになります。

新型コロナウイルス感染症の流行が少し落ち着いた2023年から、また海外旅行へ行くようになりました。若い頃に比べて体力が落ちたのか、旅先で美術館や教会、ビーチなどを歩き回ると、すぐにカフェや公園でのんびりしたくなります。そうした時は、店員さんとの注文のやり取りや、一緒に旅をしている友人家族とのおしゃべりも楽しいものです。旅先の地元の人たちはゆっくり、そして賑やかにおしゃべりしながら食事を楽しんでいますよ。

世界中から観光客を受け入れているパリやミラノでは、以前にも増して日本人を歓迎してくれているように感じました。少し変わったかなと感じたのは、「コンニチハ」や「アリガトウ」という日本語に加えて「カワイイ」がそのまま通じるようになっていたこと。パリの空港で若い男性から丁寧に「オサキニドウゾ!」と言われた時には、驚きと嬉しさとが入り混じった気持ちになりました。海外でたくさんの人が日本語に関心を持ち、学んでいることがとても嬉しかったです。

▲パリといえばクロワッサンとカフェ(エッフェル塔にて)
▲イタリアン・パスタは期待を裏切らない(ミラノにて)

読者へのメッセージ

全国の宿泊観光地でチェーン系の宿泊施設が増えてきましたが、老舗の温泉地で長年、お宿を営んでいる旅館、家業として続いている旅館に滞在することも楽しいものです。代々の館主の個性やこだわりが感じられる旅館には独特の魅力があります。旅館の料理では地元の食材、お米、お酒がいただけますし、地元で作陶された器で供されることもあるなど「地域のショーケース」としても大きな役割を果たしています。海外のオーベルジュやワイナリーを訪ねる旅も素敵ですが、ぜひ日本中で輝きを放っている特色ある旅館にも足を運んでいただけたらと思います。




取材日:2025年8月

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