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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第81回 教科教育学 教育学部 教育学科 小野 健太郎 教授

子どもが自律して学ぶ「オーセンティック」な授業とは

教育学部 教育学科 教授

小野 健太郎Ono Kentaro

立教大学文学部教育学科卒業。東京学芸大学大学院教育学研究科学校心理専攻修士課程修了。私立小学校、国立大学法人附属小学校で教員として勤務する傍ら、大学院でも研究。武蔵野大学教育学部教育学科講師、同学科准教授を経て、2026年4月より現職。専門は算数・数学教育。

近年、教育の世界では資質・能力を伸ばす学びのカギを握る要素として、「オーセンティック(=本物の、真正な)」という概念が注目されています。小野先生は、単に知識を詰め込むのではなく、知識を使って実際の問題を解決する力を高めるオーセンティックな学びをテーマに、算数科の教育実践に関わる研究に取り組んできました。自らの実践を通じて子どもが自ら学びを進める「オーセンティックな算数学習」を探究し、新しい算数の授業につながる知見を発信する小野教授の研究を紹介します。

研究の背景

「実践家であり研究者」を志向

最初に入った大学では、理工学部で数学と統計学を専門に学び、卒業後は一般企業に就職するつもりでした。その将来に漠然と疑問を感じて小学校の先生になろうと思い立ったのが、大学4年生の秋。その時まで教員になろうとは思っていませんでしたから、当然教職課程も履修しておらず、別の大学に3年次編入して教員免許を取りました。なぜそうしたのか、理由は今でも言語化できていないのですが、不思議と迷いはありませんでした。

教員免許を取得した後、私立の小学校と国立大学法人の附属小学校に勤務しながら、大学院で研究にも取り組みました。子どもに授業をすることを自分の到達点とするのではなく、より良い授業とは何か、子どもへの関わり方が育ちにどう影響するのかを追究したいという思いを持っていたからです。11年間、いわば“プレーヤー”として現場を経験した後、研究に軸足を移したいと考えたタイミングで武蔵野大学に職を得て、現在は、算数・数学の授業改善の指針になる研究や、教員を目指す学生への指導に力を尽くしています。

研究について

オーセンティックな学びとは何か

-「生活者」と「研究者」 2つの学びの方向性-

現在取り組んでいる研究の主なテーマは「オーセンティック」という概念に基づく算数・数学教育の授業実践です。オーセンティック(authentic)とは「本物の」「真正な」といった意味をもち、ある領域における正統性を示すような意味合いで用いられます。

「オーセンティックな学び」とは、おおまかに言えば「大人が実際に学ぶように学ぶこと」と解釈されています。私の専門である算数・数学の授業を例に取ると、たとえば道路の交通量を表とグラフで表すという単元で、実際の交通量を測定したデータを用いたり、「作ったグラフをポスターにして交通安全に役立てる」という目標を設定したり、大人が実際に算数や数学を使っている文脈を考え、それと同じような文脈学ぶことがオーセンティックな学びの一つの形です。このケースでは、教科書に載っている内容だけで学ぶよりも、オーセンティックな要素のある学び方の方が、有意に一部の学力が上昇した、という研究結果が示されています。

ただ、日常生活や実社会に本当にある問題に当てはめて考えていく考え方には、限界があります。たとえば、分数のわり算を使う文脈は、日常生活の中で見つけようとしても難しいでしょう。そこで、「大人が学ぶように」の“大人”を、“一般の大人”ではなく“数学者や数学を探究している人”に広げてみると、ほかの学び方が見えてきます。

たとえば、ある算数・数学の授業として、次のような過程がイメージされることもあるでしょう。初めに先生が例題を出して解き方を解説し、その後に生徒が練習問題を解く。生徒が問題を解いたら、それをまた先生が解説して、宿題を出す。一方、研究者としての数学者は、先生から問題を与えられることはありません。自ら問題を見つけ、過去の数学的手法と照らし合わせ、分析し、自分なりに問題を解いて学会や論文で発表し、フィードバックを得て次の研究につなげる、という営みをします。こうした営みも「大人が実際に学んでいる学び方」だと捉えることができるでしょう。つまり、オーセンティックな学びの方向性には、①一般の大人が生活者として算数・数学を使うシーンをイメージする方法、②数学の研究者や愛好者が数学を探究する方法の2つがあり、そのいずれかに学び方や学びの質を近づけていくことが、より良い授業や学びに繋がるのではないか。私はそう考えています。

-教師の役割はアドバイスと伴走-

「数学者のように学ぶ」と聞くと難しそうですが、もちろん子どもが研究者のように一から問いを見つけなければならない、という話ではありません。

たとえば、中学校では、連続する3つの整数の和は3の倍数になることを証明する、という教材があります。その授業が最終的に目標としているのは「連続する整数をn-1、n、n+1に置き換えてたし算をすると、-1と+1が打ち消し合って3nになるので、nがどんな数字でも3の倍数になる」と説明することです。そのために、オーセンティックな学びを意識した学び方では、まずいろいろな連続する3つの整数を足してみて、規則性を予測し、なぜそうなるのかを生徒たち自身が考えていきます。

この時、最初の「いろいろな連続する3つの整数を足してみよう」という問いかけは、生徒ではなく、しばしば教師から提示されます。その教師の言葉をきっかけに、生徒が考えを広げ、連続する3つの偶数だったらどうか、連続する4つの整数だったらどうか、と自ら問題を作り、自分の力で解決していくことが、オーセンティックな学びに繋がります。つまり、「数学者のように学ぶ」とは、「子どもが自律して学ぶ」ということにも繋がります。

オーセンティックな学びにおいて、教師の役目は、考え方のポイントをアドバイスして方向性を示し、伴走することです。たとえばこの問題では、真ん中の数字を「n」にしたことが考え方のポイントになるため、そこは教師がしっかりと明示する必要があります。子どもが自律して学ぶために注目すべき箇所や問題の発展の方向を教えてサポートすることが、教師に求められる役割だといえるでしょう。

これまでの研究では、こうした「オーセンティック」概念に基づく授業を私自身が実践し、学習者(児童)の学習効果を明らかにする研究や、学習者の学習過程の分析、学習観の変容を検討する研究を行ってきました。2022年にはその成果をまとめた『オーセンティックな算数の学び』(東洋館出版社)を出版し、現職の教員のみなさんに共有することができました。

▲「この手の本の中では一番かわいい表紙」と見せてくださった先生の著書。裏表紙もかわいらしい

今後の展望

算数の指導における図表の活用法に着目

これまでは子どもの思考過程に着目して現場の先生方と協働で授業をつくってきたのですが、その過程で、先生方が授業を構築する際の考え方への関心が高まってきました。そこで、研究の軸足を子どもから教師へシフトし、今後は現場の先生方がどのようにオーセンティックな算数科の授業構想や実践を行っているかに目を向けていきたいと考えています。特に、算数科の教科書に数多く掲載されている「図表」の活用法について、掘り下げていきたいと考えているところです。

図表に関心を持ったのは、現場の先生方の「教科書に載っているこの図は本当に必要なのか」「授業のストーリーにこの図をどのように組み込めばいいのか」といった声がきっかけでした。学習者(児童生徒)を対象にした先行研究では、図表の使い方には、有用感、スキル、学習観、コミュニケーションが大きく影響していることが分かっています。同じことが教師にも言えるのではないかと仮説を立て、今後研究を進めていく計画です。

教育

「完璧な教育方法」は存在しない

教育は、ほかの学問領域と異なり、学生自身が膨大な「教育を受けた経験」を抱えていることを前提としています。経験してきたことであるが故に、算数・数学の授業一つ取っても、自分が受けてきた授業を「当たり前」と考えている学生は少なくありません。学生に限らず、おそらく多くの日本人は「日本中の公立学校はどこでも似たような学習が行われているはずだ」と思っているのですが、実は地域や学校、授業者によって教え方・学び方は大きく違います。ですから、教員を目指す学生には、自分の「当たり前」は当たり前ではないことを自覚し、授業や学習方法のスタイルの多様性を意識するよう伝えています。

私が担当するのは、算数の教科内容や教育方法に関する授業です。そこでは、日本の学校現場で広く行われているトラディショナルな指導スタイルを教えているのですが、必ず「これが完全無欠の教育方法だとは思っていない」「この方法で教えれば必ず子どもが伸びる、という教育方法は存在しない」という点も強調して伝えています。学生には、“守破離”の精神で、大学で土台を学びつつ、自分が受けてきた教育を再生産するだけの教員になることなく、自ら批判的に教育方法を考え、実践していってほしいですね。

また、算数科の教員を目指していても、専門分野に閉じこもることなく、リベラルアーツを大切にしてほしいと考えています。「算数」「理科」といった教科の枠組みは、大人の都合で考え出されたものに過ぎません。たとえば、算数の問題を解く過程で、国語や社会の分野に含まれることを学ぶこともあります。専門性を高めるだけでなく、幅広い見識をもち、子どもの思考過程や認知の在り方に寄り添える教師になってほしいと願っています。

人となり

40代でトライアスロンに再挑戦

趣味は、大学時代に始めたトライアスロンです。水泳部だったのでスイムはできましたし、自宅から大学まで片道20㎞を自転車通学していて、バイク(自転車)もいける。あとはランに取り組めたらトライアスロンができるな、と思って大会に出たのが始まりです。就職してからはなかなか練習時間が取れなかったのですが、40歳を迎えてふと「人生でやり残したことはないか?」と考えた時、頭にトライアスロンが浮かび、もう一度チャレンジしています。

20年ぶりに練習を再開してすごいなと思ったのは、ツールの発達ですね。20年前にフルマラソンを走った時のタイムは4時間20分。ところが、AIやスマートウオッチで体調を管理してトレーニングした結果、今の予想タイムはそれより1時間も早い3時間25分なんです。20代の時より体は確実に衰えている。でも、テクノロジーを使って適切なトレーニングや正しい努力をすると、タイムが上がる。これはすごく面白い時代になったな、と思います。

時間が溶けるユニット折り紙

▲先生の作品

少し前のことになりますが、小学校教員時代にハマっていたものに「ユニット折り紙」があります。ユニット折り紙は、複数枚の折り紙を組み合わせて多面体を構成する折り紙作品なのですが、昔は500枚組の作品も作ったりしていました。繰り返し同じ形を折っていると、文字通り没頭してしまって、頭が無になるんです。同じことをコツコツ繰り返すことがゴールにつながっていく、という点は、トライアスロンにも相通じるところがありますね。ただ、一度始めるととにかく時間が溶けてしまうので、ほかのことが手につかなくなるのが難点です。最近は手を出さないよう自制しています。

読者へのメッセージ

昨今、学校教育に限らず、社会のあらゆる場面で、他者に言われたことを他者に示された一つの学び方で学ぶ、という受動的な「オーセンティックではない学び」の時代は終わりを迎えつつあります。しかし一方で、唯一無二の「本物の学びの方法」があるかと言えば、まったくそんなことはありません。予測不可能で困難な時代だからこそ、教育の厚みや多様性に目を向け、その面白さを感じていただけたらと思います。




取材日:2026年3月

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