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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第15回 経営学(マーケティング)経営学部 経営学科 古川 一郎 教授

商品やサービスを選択する消費者の心と行動を読み解くために

経営学部 経営学科 教授

古川 一郎Ichiro Furukawa

1979年東京大学経済学部卒業。1988年同大学院経済学研究科修士課程修了。一橋大学助教授、一橋大学大学院商学研究科教授を経て、2018年より本学経済学部教授。2019年より現職。2019年4月~2021年3月まで日本マーケティング学会会長を務める(現在は副会長)。一橋大学名誉教授。『マーケティング・リサーチのわな』『地域活性化のマーケティング(編著)』(いずれも有斐閣)、『「B級グルメ」の地域ブランド戦略』(新評論)など著書多数。

マーケティング活動が目指すのは、モノやサービスを創造・提供する組織(企業など)と、私たち消費者をうまくつないで、この社会に持続的な望ましい循環を生み出していくこと。古川一郎教授は、単に企業の収益を向上させることがマーケティング活動の目的ではなく、企業と消費者が良い関係を築いていく先に、豊かで幸せな社会を想定することが重要だと語ります。古川教授の研究と学生の教育への取り組みについて話を聞きました。

研究の背景

はじまりは人の心に対する興味

経営学部でマーケティングを教えている私ですが、実をいうと「個別の企業がどれだけ儲けるか」ということにあまり興味がありません。子どもの頃から私がずっと興味を抱いてきたのは「人」でした。自分や周りの人々が「なぜ、こんなことを考えるのだろう?」「どうしてそのように行動するのだろう?」と人の心の中で起こっていることが気になって、それを解き明かそうと人文科学や社会科学などの書物をたくさん読みました。 大学は東京大学経済学部に進学しました。それは育った環境が影響しているのだと思います。親を含めて周囲の大人に企業経営に携わる人が多かったのです。哲学や文学にも関心はありましたが、経済学にも「人」の心にアプローチできる意思決定の科学という分野がありました。最先端のゲーム理論なども大いに関心がありました。聖書のイエス・キリストの言葉に「人はパンのみに生きるにあらず」とありますが、自分はまずは「パン」の部分から考えたいと思いました。そして抽象的なゲーム理論などではなく、統計的な手法で多くの人々の声を集め、その消費行動を理解するマーケティングが自分には向いていると考えたのです。 当時は研究者になるつもりはなく、学部卒業後は東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に就職したのですが、大組織で働くのはつくづく私には向いていなかったようで「このままずっとここにいるわけにはいかない」と、あっさり大学院に戻ってしまいました。大学院2年目にタイミング良く、マーケティング・サイエンスの若くてカッコいい先生が東京大学大学院に移っていらっしゃって、その先生に師事しつつ消費者行動を数理的に分析するという現在につながるマーケティング研究を本格的にスタートさせました。

研究について

企業と消費者のコミュニケーションのカタチを考える

―サイエンスはどこまで人の心に迫れるのか?―

長年の研究者生活からわかったことは、結局、人の心というものはサイエンスの限界を遙かに超えているということです。物理学や化学、生物学など多くの自然科学分野に比べて、意思決定の科学というものはまだまだ入口に立っているに過ぎません。心の中を観測することが難しいからです。それでも様々な統計学などの手法を駆使すれば、表面に現れる消費者の意識と行動についてはかなりわかってきました。消費者がなぜお金を使ってモノやサービスを購入するのか? それを知ることは企業の収益に直結しますので、企業経営においてマーケティングの果たす役割は非常に大きなものといえるでしょう。 しかし私はマーケティング研究の目的は、単に企業の収益を上げるためのものではないと思っています。私たちはなにも企業を儲けさせるためにお金を使うわけではありません。自分たちの日々の暮らしやこれからも続く人生をより豊かに、充実したものにしたいと考えて、モノやサービスを手に入れようとします。いや、私たちは別に欲しくないモノをあえて買うこともあるでしょう。一体それはなぜなのか? そんなことを考えることもマーケティング研究のテーマになります。

―今よりもっと豊かで幸せな社会を実現したい―

私にとっての関心事はこの社会で生きているそうした消費者=人々の心と行動の関係です。そしてそれを解き明かすことができれば、今よりもっと豊かで幸せに暮らしていくことができる社会を生み出すためのヒントが得られるはずだと考えています。大切なのは企業収益のアップではなく、私たち一人ひとりの幸せ度のアップなのです。 実際、近年では消費者の幸せを無視したマーケティングなどあり得ません。たとえば今日では企業活動の中でSDGsを考慮することは必要不可欠となりました。持続可能な社会発展を阻害するようなビジネスを行っている企業に対して、消費者は厳しい目を向けるようになりました。自然や限りある資源にダメージを与えている企業がどれだけ機能的に優れた製品を作ったとしても、そのような製品には人々はなかなか財布のひもを緩めないでしょう。 現代人のそうした意識の変容を理解し、モノやサービスを提供する組織と消費者をうまくつなぐことで、人々や社会の課題の解決が進むように望ましい循環を生み出す。それこそ現代マーケティングが目指すものです。 2018年度から武蔵野大学で教えることになり、本学のブランドステートメントが「世界の幸せをカタチにする。」であることを知り、私はとても素晴らしいと思いました。まさに最先端のマーケティング研究が目指すところと同じなのですから。

今後の展望

「情報革命」がマーケティングを大きく変えた

▲古川教授の著書

この四半世紀で世の中は大きく変わりました。その原動力となったのはインターネットや情報デバイスの普及など「情報革命」です。 この20年あまりで私たちの身の回りの情報空間は1万倍近く膨張したと考えられています。あっという間に私たちの生活の隅々までIT技術が浸透し、誰もが簡単にあらゆる情報へのアクセスが可能になりました。スマートフォンが手放せなくなった今の私たちの生活を、20世紀に誰が想像したことでしょう。ここ数年でもSNSやAI技術の出現は企業と消費者のコミュニケーションのカタチを大きく変えました。 当然ながら、この情報革命の中で消費者の生活環境と意識も、そしてそれに向き合う企業のマーケティングの役割も大きく変わってきています。私は、情報革命がますます進む社会の中でマーケティングにどのようなイノベーションが起きてくるのか、とても興味があります。たとえば、限りある資源のなかで人口爆発が起こっています。このような中で、生活の中心である「食」分野にもさまざまなイノベーションが起こりつつあります。AI技術を取り入れた「ガストロノミー」、つまり食材の調達から消費・廃棄に至る食文化の世界に起こっている変革も、これからの私たちの食生活を大きく変えていくことになるでしょう。 これからも多くの人々にとって望ましい社会を創り出すという視点を大切にしながら、様々な分野に好奇心を働かせながら、時代が求めるマーケティングについて引き続き考えていきたいと思っています。

教育

理論と現実の対応をイメージするために

―東京の街は面白いことの宝庫―

学生のみなさんにマーケティングを教えることは私にとってはチャレンジと言えるかもしれません。今でも悩みながら授業を行っています。なぜならほとんどの学生は商品やサービスを送り出す側である企業活動の経験がないので、マーケティングを自分の問題として捉えて考えることが難しいからです。授業やゼミで学んだマーケティングの知識や理論が、現実のマーケットでそのような現象として現れているのか? 頭でわかってもなかなか実感できないでしょう。体験知の総量が絶対的に不足しているのです。

しかしながら東京の大学生はその点、とても恵まれていると私は思っています。ファッション、グルメ、アートなど、東京の街は面白いことの宝庫です。街を歩いているだけで人々の消費活動とマーケティングの関係を理解するヒントになるものとたくさん出会えます。

経営学部がある有明キャンパスから有名ブランドショップが軒を連ねる銀座もすぐ近く。立派な門構えで、正装した店員が恭しく客を迎えるブランドショップに足を踏み入れるのは、大学生にとって勇気がいることかもしれません。でも、ドキドキしながら思い切って入ってみると、有名ブランドがなぜ多くの人々の心を捉えるのか、その理由の一端が見えてくるかもしれませんよ。マーケティングを学びたいという学生には好奇心旺盛に身の回りで起きている消費活動をつぶさに観察して、マーケティングの理論と現実の対応をイメージするトレーニングをしていただきたいと思います。

―現実の企業から与えられたテーマに基づく商品企画―

マーケティングの専門知識と現実社会をつなげる試みとして、私のゼミナールの3年生は、実際の企業から与えられたテーマに基づいて、様々な大学生チームが商品企画を競う企画コンペティション(競技会)に毎年参加しています。全国約30大学から130近いチームが参加するこの企画コンペに参加することで、教科書的な知識を実際のマーケットに当てはめながら実践的にマーケティングを考える機会が得られます。学生たちは、消費者が求める商品やサービスを求めて学外での現場取材など積極的に行い、意欲的に商品企画に取り組んでくれています。このコンペに優勝すると、テーマを出した企業が実際に商品化してくれるので、いつの日か武蔵野大学経営学部発の新商品が市場に登場するかもしれません。

人となり

山梨と東京でたくさんの楽しみを味わい尽くす

―生活拠点は自然豊かな八ヶ岳の麓―

現在、私の生活拠点は山梨県北杜(ほくと)市です。東京に仕事場こそ置いていますが、オフの時間は八ヶ岳の麓にある自然豊かな環境で家族や友人、研究仲間に囲まれて充実したプライベートライフを楽しんでいます。ここは日照時間が日本一だそうで、良質の水源にも恵まれているので、近くにはサントリーの白州蒸留所や銘酒「七賢」など山梨が世界に誇る酒造メーカーがあります。甲州ワインも有名ですね。食材も豊かで、最近は東京で腕を磨いたシェフたちが開店したレストランもできており、食の楽しみが増えました。美味しいものを食べながら、人と話すことが何より幸せです。そのほか庭の手入れや家庭菜園、テニス、ゴルフ、山歩きなど、山梨でもやることは山ほどあります。

―進化するオペラに夢中―

性格的に一つの趣味に執着するのではなく、あれもこれも楽しむのが好きです。そういう意味では、面白いことの宝庫である東京からも目が離せません。 最近、ちょっとハマっているのがオペラです。特にクラシック音楽が好きだったわけではなく、むしろそうした高尚なものは敬して遠ざけていました。ところが機会があって新国立劇場でオペラの舞台を見て、強い感銘を覚えました。イメージしていた厳かで、古典的な雰囲気のオペラではなく、鉄パイプをそのまま使った前衛的・現代的な舞台装置に驚きました。古典芸術といえども時代と共に進化していくのですね。 世界的に評価が高いアーティストたちの演技を見ていると、変化していく時代の中で同じことを繰り返していては生き残れないという、彼らの気迫と覚悟がひしひしと伝わってきます。常にチャレンジをしている人が、世界的に評価され、生き残って行くのですね。その点、芸術表現も、マーケティングも同じだと思いました。 自分が元気なうちに、有名なオペラの演題はすべて見ておこうと、今では月に1回ほどのペースで観劇を楽しんでいます。

―読者へのメッセージ―

武蔵野大学の学生は、みんな誠実で優しい。他人のことを思いやることができるし、勉強でもあまり背伸びをせずに自分のペースで素直に取り組んでくれています。 でも、教える側からしたら、「もう少し背伸びをしてくれてもいいんだよ」と思うこともあります。もう少し背伸びをしたら、それまで見えなかったモノが見えてくるかもしれません。 経営学部では「響創的学び」というコンセプトを掲げています。「競争」や「共創」ではなく「響創」です。多様な価値観を持つ人たちが、学び合い、話し合い、刺激を与え合いながら、美しいアンサンブルを響かせるように新しい価値、モノ、社会を作り上げていく。そんな理想を掲げて教育・研究を展開しています。 これからの時代、自分たちだけが競争に勝ち、儲ける経営は、消費者に見放され、時代に取り残されていきます。多様な価値観が交錯し、変化の激しい時代の中で「世界の幸せをカタチにする。」を実現できるのは、「響創」ができる人々だと思います。学生の皆さんには、武蔵野大学経営学部の4年間で存分に「響創的学び」を体験し、新しい社会を創造する担い手となって巣立っていただきたいと思っています。

取材日:2021年9月