第89回 経営学(イノベーション) 経営学部 経営学科 平野 貴士 准教授
社会の「当たり前」が生まれるイノベーションの過程をたどる
経営学部 経営学科 准教授
早稲田大学商学部卒業。一橋大学大学院商学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(商学)。武蔵野大学経営学部講師を経て、2026年4月より現職。専門はイノベーション、経営史、技術経営。
私たちは今、たくさんの便利な道具や機器を当たり前のように使って生活しています。しかし、新しく誕生した技術や製品が「当たり前」になるまでには、開発者や企業のさまざまな戦略があり、それが社会の変化に影響を及ぼしています。経営学の分野からイノベーションを研究する平野准教授は、そうした変化の過程に注目し、開発されたものがいかに社会に受容されていくかを多角的に分析する研究に取り組んでいます。
研究の背景
優れた技術もそのままでは広まらない
スマートフォンは、日々の生活に欠かせないアイテムとして社会にすっかり定着しています。しかし、2000年代後半に本格的に注目され始めた当初は、「需要はあまりないだろう」とささやかれ、最初からその価値が認められていたわけではありませんでした。スマートフォンに限らず、新しい製品やサービスは、たとえ技術的に優れていたとしても、“おもちゃ”のように見なされて、すぐに社会に受け入れられるものばかりではありません。使う人が増え、企業が改良を重ね、社会の見方が変わっていくうちに、いつの間にか生活に欠かせない当たり前のものになっていくのです。
私がイノベーションに興味を持ったのは、「最初は価値が認められていなかったもの」が、人々に受け入れられ、当たり前になっていく過程が面白いと感じたからです。イノベーションと聞くと、多くの方は革新的な技術が発明されることをイメージすると思います。もちろんそうした“理系的”な側面もありますが、経営学を専門とする私が注目するのは、新しい技術が開発された後の広がりです。新しいアイデアや優れた技術が生み出された後、それがどのように社会や人々に認められ、企業に利益を生み出すものに育つのかに関心を持ち、現在は「つくる人」「つかう人」「広める人」の3つの視点からイノベーションについて研究しています。
研究について
「つくる」「つかう」「広める」 3つの視点から
-「つくる」 ネオジム磁石の歴史に注目-
第一に、「つくる側」から見たイノベーションとして、ネオジム磁石という強力な磁石の誕生から普及までの歴史に関する研究に取り組んでいます。
ネオジム磁石は1980年代に発明された永久磁石で、発明の翌年に日本企業によって製品化されました。それまでの永久磁石よりも極めて強い磁力を持つことから「世界最強の磁石」と言われ、スマートフォン、自動車、家電などに欠かせない部品として、私たちの生活を支えています。この磁石はとても優れた特性を持っていますが、それだけで自然に普及していったわけではありません。製品化した企業の戦略、会社同士の競争など、さまざまな要素が絡み合い、影響し合いながら社会に広がっていきました。
優れた新しい技術が社会に広がるまでには、それをどう育てて事業化するか、ライバル企業に勝ち続けるための戦略をどう設計するか、といったさまざまな戦略的判断が必要になります。例えば、ネオジム磁石を製品化した企業は、当初、ネオジム磁石のライセンスを業界の上位メーカーに絞って提供し、市場を拡大しながら自社が業界トップに立つという戦略を立てました。しかしこれに対抗し、ライセンス外の企業が力を合わせ、別の新しい技術を成長させるという想定外の動きが起こります。当初は合理的と思われた企業の戦略的判断が、実は敵に塩を送るような効果を生み、意図せざる結果につながることもある、というわけです。
こうした過程に着目し、研究ではネオジム磁石の歴史の中で実際に起きた技術開発や戦略の連鎖を、経営学的な戦略論、イノベーション論の視点で読み解いています。
-「つかう」 家電を進化させた主婦の声-
第二の視点として、戦後日本の家電産業をテーマに「つかう側」から見たイノベーションを研究しています。
高度経済成長期の日本では、技術革新によって家電製品の普及が進みました。当時、家電製品の開発に携わっていた技術者の多くは男性でしたが、日常的に家事を担い、家電を使っていたのは主に女性でした。そこで、実際に家電を使っていた主婦たちの声が製品の改良にどう関わったのかに注目し、調査を行いました。
技術者はどうしても「技術的に優れた製品」をつくろうとしますが、必ずしもそれがユーザーにとって「使いやすい製品」になるとは限りません。研究を通じて、女性たちの不満、工夫などの声がメディアによって発信され、家電メーカー側が技術的に優れているだけでなく、使いやすさにも配慮した製品開発に方向性をシフトしていったことが見えてきました。新しい技術が生まれ、使う人によって改良され、日常に受け入れられていくというイノベーションの一つの過程を明らかにしたこの研究は、海外の学術誌『Business History Review』に掲載されました。
-「広める」 流行の裏側にある価値創造を追う-
さらに最近、第三の「広める側」の視点から、フィットネス、サウナ、ASMRに着目した研究をスタートさせました。
近年、私を含め、たくさんの人が日常的にフィットネスジムに通って運動をしています。ただ、ランニングや筋トレは近所の公園や自宅でもできますし、その方がお金もかかりません。ではなぜ私たちは、本来ならどこででも無料でできることを、わざわざ施設に行って料金を払ってやっているのでしょうか。そこには、「ジムに行って運動することは価値のあることだ」と人々に思わせる戦略があるはずです。
また、ASMRとは音と映像によって心地良さを感じる動画のことをいい、YouTubeやTikTokで一大ジャンルを築いています。ASMRの中でもよく知られているのが、揚げ物や氷を食べる時の「サクサク」「ガリガリ」といった音ですが、人が物を食べる時に出る「咀嚼音」は、不快とされることも多い音として認識されていました。それが今や心地良い音という認識に変化し、広告収益や新しい市場を生み出しています。
このように、フィットネスやASMRの社会的普及の過程では、価値の創造や反転が見られます。それがどのような戦略のもとで起きたのかに興味を持ち、現在、研究を進めているところです。
今後の展望
国際学会や実務家に研究成果を発信したい
研究を通して成し遂げたいことが、大きく二つあります。
1つ目は、日本の研究者として、日本で生まれた事例を国際的な議論につなげていくことです。そのために、国際学会での発表、国際誌への投稿を積極的に進めています。経営学の研究は、欧米の方が日本に先んじていますが、欧米でのデータに日本のデータを加えることで、これまでにない新しい理論やメカニズムが見えてくる可能性があると思っています。ネオジム磁石や高度成長期の家電の事例を“日本だけの特殊な話”で終わらせることなく、新しい価値がどのように生まれ、人々に受け入れられ、社会に広がるのかを考える材料として発信していきたいと考えています。
2つ目は、研究成果を実際にイノベーションに挑戦する人たちに役立ててもらうことです。私たち研究者は、どうしても研究成果を発表して満足してしまう傾向があるように思います。料理に例えるなら、「これは包丁です」「これは鍋です」と道具を並べはするものの、それをどう使ってどんな料理を作るかには、なかなか結び付かないようなものです。そうではなく、実務家の皆さんに研究成果という道具を提供し、より良い生かし方をしてもらえるような発信ができればと思っています。これまでお伝えしてきたように、新しいアイデアは、その価値を誰に、どのような言葉で伝えるのか、どう理解してもらうかが重要です。これからも研究を通じて、起業家や新しい価値を社会に届けようとする人たちの手掛かりとなる知見を示していきたいですね。
教育
ゼミを「ばかもの」が自由に育つ場に
よく新しい価値を生み出すのは「よそ者、若者、ばかもの」と言われます。私のゼミでも「ばかもの」をコンセプトに掲げ、学生たちが優秀な成績を求めて王道を歩むのではなく、未熟なところはあっても、自分だけの“光る一点”を思い切り伸ばせるような指導を心掛けています。これは私が研究テーマとするイノベーションと地続きの考え方で、イノベーションには、自分だけの視点に立って新しく何かを生み出す人が必要ですが、そういう人は往々にして組織の中で孤立してしまうことが少なくありません。型破りな発想を新しい価値に変えるには自由に動ける場が大切で、ゼミがそうした場になればと考えています。
また、授業で学んだことを踏まえてビジネスプランを作り、学問を実社会に生かす道筋を経験してもらうことも重視し、毎年「産学連携ビジネスコンペティション」にも参加しています。ゼミでは学生たちがチームで議論を重ね、一見ふざけているようにみえるアイデアを大真面目に形にしていきます。その過程では、教員である私が学生から学ぶこともたくさんあります。世代や経験、価値観、目指すものが違う学生たちが「こう思う」「こうした方がいい」と積極的に語り、形にしてくれるので、とても勉強になっています。
人となり
プールで泳いで生まれた研究のタネ
趣味というほど特別なことではありませんが、ジムのプールで泳ぐことは続けています。
私は曜日や時間に関係なく大学に来て、研究、授業準備、資料整理などをしていることが多いんです。それだと「頭は疲れているけど体は元気」という状態で夜を迎えるので、なかなか寝られないんですよ。これは体を動かさないといけないな、ということで、自分を疲れさせるために泳いでいます。泳いでいる間はリラックスしますし、「今、自分で“快眠のため”“リラックスのため”と意味付けをして、泳ぐという原始的な動きに価値をプラスしているんだな」と思ったりして。実は、3つ目の研究テーマは、そんなきっかけで発想したものなんです。
生成AIと一緒に何ができる?
今、個人的にハマっているのは、生成AIですね。ChatGPT、Claude、Geminiなど、各社からさまざまなサービスが登場し、企業同士が競争しながら新しい使い方が次々と生まれています。イノベーションの研究者として、新しいテクノロジーが社会の中で議論を巻き起こしながら浸透する様子を、リアルタイムで観察できるのが面白いです。
大学で生成AIをどう使うかにはさまざまな議論がありますが、私の授業では課題などでも積極的にAIを使ってもらい、有効な使い方を考えることを含めて学びにしています。ゼミのビジネスプラン発表でとても見やすい資料が出てきたり、簡単にCM動画を作成していたり、価値のある使い方ができているようです。授業では、学生の回答をその場で集め、AIですぐに分析をして、結果をフィードバックすることにより、身近な出来事と経営学の考え方を結びつけて楽しく学べるようにしたこともあります。
生成AIも最初は「人類の敵」みたいな言われ方をしましたが、今では「どう使っていくか」を考える方向にシフトしていますよね。これは個人的な感覚ですが、日本にはロボットやAI技術に親しみを感じやすい土壌があるような気がするんです。アメリカのターミネーターは人間を攻撃してきますけど、ドラえもんや鉄腕アトムは、人間の隣にいてくれるパートナーじゃないですか。AIと一緒に、人間の頭だけではできない新しいことをしていきたいですよね。
読者へのメッセージ
イノベーションは、特別な天才だけが起こすものではありません。大切なのは、身の回りの「当たり前」を少し違う角度から見つめ、自分なりの問いを持つこと。特に高校生や大学生には、全部が平均的にできる優秀な人にならなくてもいいから、自分の中に「ここだ!」という光る部分を見つけて、伸ばしてほしいですね。そして、もしそういう人が身近にいたら、周りの方は頭ごなしに否定するのではなく、その人を「推し」として応援してほしい。その応援が、社会全体に貢献するようなイノベーションを育てる力になるかもしれません。
取材日:2026年6月