第71回 精神保健福祉学 人間科学部 人間科学科 岩本 操 教授
ソーシャルワークの理念と実践をつなぐ基盤づくりのために
人間科学部 人間科学科 教授
立教大学社会学部社会学科卒業。大正大学大学院人間学研究科福祉・臨床心理学専攻博士後期課程修了。博士(人間学)。大学院修士課程を修了後、大学病院でソーシャルワーカーを経験。国際医療福祉大学医療福祉学部医療福祉学科専任講師、武蔵野大学人間科学部人間科学科准教授を経て、2014年4月より現職。専門はソーシャルワーク、精神保健福祉。
うつ病や認知症をはじめとする精神疾患は、誰でも罹りうる病気です。精神科病院等で患者の相談支援を行い、退院後の生活環境を整えるソーシャルワークの専門職・精神保健福祉士は、近年国内でニーズが高まっています。一方、現場では、自らの理念と現実の間で矛盾や葛藤を抱える精神保健福祉士も少なくありません。あるべき姿と現実の乖離を埋める実践モデルを探り、ソーシャルワーク実践の基盤形成に力を注ぐ岩本教授の研究を紹介します。
研究の背景
人と環境に働きかけるソーシャルワーカー
ソーシャルワークとは、人と環境の相互作用に働きかけ、人々のウェルビーイングを目指す実践プロセスです。「仕事がうまくいかない」「学校に馴染めない」といった生活課題は、その人自身に問題があるのではなく、その人とその人を取り巻く環境との不具合によって生じています。ソーシャルワーカーは、困難を抱える人の周囲の環境に働きかけ、問題の改善に取り組みますが、その実践の基盤がどうあるべきかに関心を持ち、特に精神科病院で働くソーシャルワーカー(精神保健福祉士)に焦点を当てた研究を行っています。
研究について
ソーシャルワーク実践のより良い基盤形成をめざす
-理念と実践の乖離に葛藤-
ソーシャルワーク実践の基盤形成に向けた研究において、私が無視できないと考えているのは、理念と現実の乖離です。
ソーシャルワークには、支援を求めるクライエントの権利擁護と自己決定の尊重、エンパワメント(抑圧からの解放)、ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)など、決して見失ってはならない理念があります。この理念は、当然実践においての基盤になるものですが、多くのソーシャルワーカーが現場で直面するのは、それとはずいぶんかけ離れた現実です。中でも精神保健福祉士は、患者さんの権利と自己決定を尊重することを理念としながら、その理念とは相容れない長期入院や非自発的入院に関与しているという実態があります。
精神科病院での長期入院の実態は、日本の精神医療が長年抱えている課題です。その背景には、精神疾患に対する差別や偏見、患者を入院させ続けることで病院経営を成り立たせていたかつての精神医療システムの在り方、さらに精神障害が「福祉」の対象とされるまでに時間がかかり、「医療」が抱え込むしかない状況が続いていたことなど、さまざまな要因が絡み合っています。
また、精神科の入院形態の中でも、非自発的入院である「医療保護入院」は、医師の診断と家族等のいずれかの同意によって患者を入院させることができる制度です。本人の意思によらない強制入院が法律で認められていることになり、その是非は長年にわたって議論されてきました。国は2004年、今後の精神保健医療福祉のビジョンとして入院医療中心から地域生活中心に転換する方針を打ち出したのですが、それから20年が経った今も実態が追いついていない現状があります。
現場でこうした実態と向き合う精神保健福祉士は、専門職としての理念に忠実であろうとすればするほど、深刻な葛藤や自己矛盾を抱え込んでしまうことになります。この理念と実態の乖離は、あまり日の当たらない問題ではありますが、とても重い課題だと私は考えています。
-ベテランの対処から「第3の道」を探る-
ソーシャルワークは、実践現場でも教育現場でも、「理念の大切さ」を説き、「理念に基づく実践」を強調します。しかし、それだけでは現実的な矛盾や葛藤への対処法を示すことは難しいと感じます。現場には医療機関という組織や経営者の理論があり、ソーシャルワーカーが自分の理念を強調しすぎれば、組織や周囲との関係が崩れて良い仕事ができなくなり、結果的に患者さんの不利益になりかねません。逆に、組織の理論に迎合して自らの理念を手放せば、ソーシャルワーカーとしての専門性を見失います。そのどちらでもない「第3の道」を探るため、現場で働く精神保健福祉士へのインタビューを実施してきました。
インタビューの中では、ベテランの精神保健福祉士たちが、病院経営の課題や経営者の関心事がどこにあるのかを押さえた上で、「患者の権利や自由の尊重」と「組織の利益」は決して相反するものではないことを、専門職ではない相手にも伝わる言葉で説明していたことが印象的でした。理念と現場の乖離を埋めるこうしたプロセスを、実践モデルとして示していくことができればと考えています。
現場に寄り添った業務指針づくり
この10年ほどは、理念と現場の乖離を念頭に置きながら、ソーシャルワーカーの職能団体のプロジェクトに参加し、現場が使いやすい業務指針の策定、ソーシャルワークの理念に当たる倫理綱領の改定などに携わってきました。
また、地域における精神障害者福祉の在り方に目を向け、「精神障害にも対応した地域包括ケアシステム」に関する協議などにも参画しています。国が市町村を中心に構築を促している「精神障害にも対応した地域包括ケアシステム」は、精神障害の有無や程度に関わらず、すべての人が自分らしく安心して暮らせる地域を目指すものです。各自治体が自らの地域特性に合った計画をどのように策定していくのか、どのような地域づくりが求められているのかに関心を持ち、協議や検討に携わっています。
今、社会の流れは、ソーシャルワークが掲げる理念とは逆の方向に動きつつあるように思えてなりません。だからこそ、最前線で働くソーシャルワーカーが自信を持って仕事に取り組めるよう、研究と教育を通じてお手伝いできればと思っています。
今後の展望
志高く働き続ける精神保健福祉士の支えになる研究を
研究を通して私が目指すのは、ソーシャルワーカー、特に精神保健福祉士のエンパワメントです。現場で感じる矛盾や葛藤に対して、適切で合理的な対処の方法を知らなければ、自分の実践に自信が持てなくなり、バーンアウトに繋がりかねません。また、精神科病院に限らず、ソーシャルワークの仕事は実に多様です。クライエントのニーズに応じて流動的な性格を持つため、なかなか自分の専門性を認識しづらく、周囲にも理解されにくい側面もあります。
以前、病院実習に行った学生に「精神保健福祉士は何をしていた?」と尋ねると、「(クライエントと)雑談をしていました」という答えが返ってきたことがあります。そう見えるのは仕方のないことで、精神保健福祉士の専門性は、「手術をする」「注射をする」といった行為と比べて、とても目に見えにくいのです。ソーシャルワーカーは、ただ話しているように見える時も、頭の中で状況分析やアセスメントを行い、言葉の交わし方にさまざまなスキルを使っています。そうした専門性を業務指針という形で可視化・概念化することで、精神保健福祉士自身が専門職の自覚と自負を高め、実践力を向上させる後押しをしたいと考えています。それは、結果的にクライエントに対する支援の充実にも繋がります。
近年、精神保健福祉士が不足し、供給が需要に追いついていない状況が続いています。教員として大学での養成に取り組むとともに、すでに現場に出ている精神保健福祉士を研究を通じて支え、一人でも多くの精神保健福祉士がモチベーションを維持しながら志高く働き続けられるよう、さまざまな形で力を尽くしていきたいと考えています。
教育
見えにくい排除や偏見に気付きを促す
私の授業は、精神保健福祉士の資格取得を目指す学生はもちろん、それ以外の進路に進む学生もたくさん受講しています。どちらの学生に対しても、ソーシャルワークが取り扱う事象を身近な問題としてとらえてもらいたいと考え、社会的排除や差別、偏見への気付きにつながる授業を意識しています。
差別や偏見は、社会を構成する私たちが暗黙のうちに、無自覚に持っているものです。多数の人々(マジョリティ)にとって便利な仕組みや環境は、マイノリティにとって不便で抑圧的であることが多く、そうしたことは実は日常の至るところで起きています。身の回りで差別や偏見はないと感じるのは、自分がマジョリティの側にいて、見えていないだけかもしれません。そうした話を通して、社会の一員として気付かないうちに精神疾患の患者さんや特定のマイノリティの方を排除している可能性がある、という視点を持ってもらえたらと思っています。
一方、ゼミは、精神保健福祉士志望の学生がほとんどです。ゼミ生をいくつかのグループに分けたサブゼミをつくり、自主的に課題に取り組んでもらうのですが、少人数で真剣なディスカッションをすることが、学生の理解を深めているようです。他者の意見を聞き、合意形成を図ることは、ソーシャルワークに不可欠なスキルでもあります。学ぶ内容はもちろん、学ぶ過程でもソーシャルワーカーになるための土台が身に付くゼミになっていると思います。
人となり
おいしいものへの飽くなき探究心
これまでの人生でいろいろな趣味がありましたが、5~10年ごとに変わってしまうので、なかなか「これ」というものがありません。強いて言えば、昔から食には貪欲で、とにかくおいしいものを食べることが大好きです。おいしいと評判のお店に行くのも楽しいですし、おいしそうな料理やレシピを見つけると自分でつくってみたりします。
以前ハンガリーに行った時は、レストランで出てきたグヤーシュというスープにすごくハマりました。パプリカパウダーを使った赤いスープなんですが、同じ料理でも店によって味が違うので、滞在中にいくつかお店を食べ歩いたりして。ほかにも、ニューオリンズではオクラが入ったスパイシーなガンボスープ、フィリピンでは家庭料理のアドボにハマりました。海外の食べ物にハマると、帰国した後もしばらく家で作り続けるんです。現地の味を再現したくて、あれこれ試しては家族や友人に食べさせて「今日のはどう?」と聞いていました。食べ物に対する探究心は研究と同じくらい……、いやそれ以上かもしれませんね(笑)。


▲ご自宅でふるまった先生のお料理
休日はテーマを決めて散策
休日は、日帰りで行けるところを散策して過ごしています。それも、何かしら自分なりにテーマを設定して、それに合わせたルートをとにかく歩きます。私はおいしいものを食べるのが好きなので、まず食べに行きたいお店を決めて、その店の周辺でルートを考えるんです。奥多摩や秩父方面は、自然や季節の変化を気軽に楽しめるのでおすすめです。都内でも面白い散策ルートはあって、等々力渓谷や神田川沿いを歩くルートも、いろいろな発見があって楽しいですよ。散策は何の道具もいらないし、思い立った時にすぐ行けるので、無理なく体を動かすのにうってつけだと思います。
読者へのメッセージ
精神疾患は、がんや糖尿病と同じように多くの日本人が罹患している病気の一つであり、みなさんご自身やご家族、親しい方が罹りうる身近な病気です。精神疾患になっても必要な治療や支援を受けながら自分らしい生活を送ろうとすることができる社会は、誰にとっても安心できる社会ではないでしょうか。また、社会を構成する私たち一人ひとりの精神疾患やメンタルヘルスに対する理解、意識の向上が、精神疾患の患者さんを排除しない社会づくりにつながっていきます。精神疾患やメンタルヘルスは、当事者や家族、専門家や支援者だけの問題ではないことをぜひ理解していただけたらと思います。
取材日:2025年9月