学祖 高楠順次郎博士

高楠 順次郎(タカクス ジュンジロウ)
[1866(慶応2)年~1945(昭和20)年]
国際的仏教学者。仏教精神を根幹とした人格育成を理想に掲げ、武蔵野大学の母体である武蔵野女子学院を設立。女子教育の必要性と女性の社会進出を肯定的に考えた先覚者でもあります。1944年文化勲章受章。
経歴
広島県御調郡八幡村字篝(現三原市)の農家沢井家に7人兄弟の長男として生まれた。幼いころから祖父に漢籍を習ったが、旧家とはいえ進学するだけの余裕はなく、14歳で小学校教員として働き始めた。21歳の時、西本願寺が京都に創設したばかりの普通教校(現龍谷大学)に入学。その後、請われて神戸の裕福な高楠家の婿養子となり、その援助で英国に留学、オックスフォード大学でM.ミュラーに師事した。その後、ドイツやフランスにも留学。帰国すると東京帝国大学(現・東京大学)で教鞭をとり、1897年に梵語学講座を創設、自ら研究に励んだだけでなく、宇井伯寿、木村泰賢、織田得能、辻直四郎など多くの逸材を育てた。
受賞学術賞
1944年 | 文化勲章受章 |
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年表
1866年 | 広島県御調郡八幡村字篝で生まれる |
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1885年 | 普通教校(現龍谷大学)へ入学 |
1887年 | 反省会設立。『反省会雑誌』(後の『中央公論』)刊行 |
1889年 | 普通教校卒業 |
1890年 | 単身で英国に留学 |
1897年 | 帰国し、東京帝国大学にて梵語学の講師となる |
1899年 | 東京帝国大学教授となる |
1900年 | 文学博士を授与される。東京外国語学校の校長を兼任 |
1902年 | 中央商業学校を興す |
1922年 | 『ウパニシャット全書』の刊行を開始 |
1924年 | 武蔵野女子学院を設立。『大正新脩大蔵経』の刊行開始 |
1927年 | 東京帝国大学を退職。名誉教授となる。武蔵野女子学院高等女学校(現武蔵野大学中学校・高等学校の前身)の校長に就任 |
1931年 | 東洋大学第8代学長に就任 |
1935年 | 『南伝大蔵経』の刊行を開始 |
1938年 | ハワイ大学にて1年間、「仏教哲学」などについて講ずる |
1943年 | 千代田女子専門学校( 現千代田国際中学校・武蔵野大学附属千代田高等学院の前身 )の校長に就任 |
1944年 | 文化勲章を授与される |
1945年 | 逝去(80歳) |