学問の地平から
教員が語る、研究の最前線
第27回 真宗学
本学の教員は、教育者であると同時に、第一線で活躍する研究者でもあります。本企画では、多彩な教員陣へのインタビューをもとに、最新の研究と各分野の魅力を紹介していきます。
第27回 真宗学通信教育部 人間科学部 人間科学科仏教学専攻 前田 壽雄 教授
生き方として活かされる親鸞の教え
今後の展望
仏教が学びや生き方のヒントになる発信を 
仏教や浄土真宗の研究は、経典と向き合い、読み込んでいくことを基本としています。経典を「文献」としてとらえ、客観的に読み解いていくという研究方法もありますが、私自身は研究と信仰を切り離すような研究姿勢は取っていません。そうではなく、親鸞やほかの門弟が法然の教えを自分の生き方に重ねて教義を構築したように、私の生き方が問われるような研究の仕方こそ、真宗学を正しく学ぶことにつながると考えています。また、法然から門弟たちへの教えの継承は、私の真宗学の学びと重なるところがあります。私も真宗学において先生方から教えをいただき、その教えを自分で再構築して表現していくという営みを続けてきました。さらに現在は大学の教員となり、これまで学び研究してきたことをどう伝え、表現していくかも問われていると感じています。
これまで、研究成果を活かして、一般の方向けの書籍を何冊か刊行してきました。その際に意識してきたのは「仏教との出あいになるような本を作る」ということです。教えを正しく深く伝えることはもちろん、誰もがわかりやすく、手に取りやすい本にするよう常に心掛けています。また、研究者としてこれまで論文で発表してきたことを研究書として刊行することもめざしています。私の学びの成果が、みなさんがどう学び、どう生きていけばいいのかを考えるよりどころとなるよう、多くの方に伝わる発信を続けていきたいです。

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教育
通信教育部で多様な学生に指導
武蔵野大学通信教育部は、通信制大学では唯一、仏教学、特に浄土真宗を体系的に学べる大学です。私は現在、通信教育部人間科学部仏教学専攻と大学院仏教学研究科の授業を中心に担当し、通学制でも建学の精神に基づく必修科目「生き方を考える」の講義を行っています。また、広く市民を対象とした生涯学習講座も担当しています。

通信教育部では、社会で働いている方、定年退職後の方など、さまざまな立場の方が学生として学んでいます。自ら学費を納め、時間を作って学ぼうと決意された方々ですから、みなさん学びへの意欲が高く、仏教の教えを人生の指針にしたいという思いも持っています。そうした学生への授業で特に意識しているのは、仏教や浄土真宗の教えに出あう意義、いのちの尊さについて伝えることです。たとえば、阿弥陀仏の「必ず救って見捨てることがない」という摂取不捨のこころが私たちに向けられていると知ることは、新しい人生観や世界観を持ち、物事がそれまでと違って見えるきかっけになると思います。また、摂取不捨のこころが「誰一人取り残さない」というSDGsの理念とも重なるように、仏教の教えをヒントにいまを理解することもできるでしょう。学生が想定していた以上の学びが得られるよう、レポートの添削にも時間をかけています。時には私の添削がレポートの字数を超えてしまうこともあるほどです。
一方、建学の精神を学ぶ通学生への授業は全学部の学生が受講します。はじめは「なぜ仏教を学ばなければならないの?」という反応もあるのですが、学びを進めるにつれ、多くの学生が仏教の教えを「自分の人生や学生生活で活かせるもの」と感じるようになり、反応が変わってきます。授業を通して仏教の基礎的知識を身に付けるだけでなく、相手を思いやるこころ、感謝のこころ、常にわが身を省みる内省のこころを養い、人生を生きる手がかりになるものをつかんでほしいと思っています。
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▲前田先生の著書

人となり
「大学の顔」聖語板を書く
小学校に入学して間もないころから書道を続けています。それもあって、三年ほど前から武蔵野キャンパスと有明キャンパスの正門などに設置されている聖語板の作成を担当しています。

2つのキャンパスに計4カ所にある聖語板では、仏教に基づく本学の建学の精神を広く涵養するため、先人の言葉を月替わりで掲示しています。教職員や学生だけでなく、地域の方、大学を訪れた方も目にする場所にある聖語板は、いわば「大学の顔」です。内容はもちろん、一目見て目に飛び込んで来るようなインパクトも大切ですから、どこで行を変え、どの文節を強調するかといったことにも気を配って書いています。
最近では、SNSに聖語板の言葉や写真をアップしてくれる方がいたり、私の息子が通っている保育園の先生からリアクションをいただいたりすることもあり、聖語板をきっかけにしたご縁の広がりを感じています。聖語板の言葉は、受け止め方に正解があるわけではなく、それぞれが自分なりの受け止め方をすることができる言葉です。私が書いた言葉がふとした瞬間に心に響き、生活の中で安らぎや潤いとなってほしいと願っています。
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10年ぶりの育児で思うこと
現在2歳になる二男が生まれたことをきっかけに、あらためて子育てと向き合っています。中学生の長男が幼いころは、子どもが起きる前に出勤し、寝た後に帰宅するような生活でしたから、子育ては妻に頼りきりになっていました。コロナ禍で子どもと過ごす時間が増えたこともあり、今は二男の保育園の送り迎え、連絡帳の記入や荷物の準備、帰宅後の遊び相手、洗濯、入浴、おむつ交換など何でもやるようになりました。立派なことは何もできていませんが、10年ぶりの育児であらためて父親とはどうあるべきかを見つめ直させてもらっているところです。

子育てで大事にしているのは、家族でいろいろな体験をすることです。コロナ禍前には家族で大相撲や2019年のラグビーワールドカップに出かけ、現場でしか味わえない迫力や熱狂を肌で感じたことがとても良い思い出になっています。子どもたちが自分の目で見て体験し、体験を家族で共有する時間は、これからも大切にしていきたいと思っています。
また、子育てと真宗学の学びは、無関係ではありません。親鸞は妻帯して家庭を持った僧として知られ、それがほかの仏教宗派との大きな違いでもあります。親鸞は、家族とともに念仏の道を歩むことは、法然の教えと何ら矛盾しないと考えていました。家族と暮らして同じ道を歩み、思いを分かち合うことが、真宗学の学びを体現することにもつながるのではないかと思っています。
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―読者へのメッセージ―
私が今人生を歩んでいるのは、私一人の力ではありません。人は、いろいろな方の支えがあり、導きがあって、はじめて歩むことができます。仏教の学びを通して、人とは生かされているいのちを生きているということを伝えていきたいと思っています。また、人間は過去に生きるわけはなく、未来を生きる保証もありません。生きているのは、「ただ今」。その今を大切にしながら自己を見つめると、周りを思いやる気持ちが生まれます。それは社会生活、人間関係において欠かせないものです。浄土真宗の教えから生き方を考え、得た学びを人生に活かしていっていただきたいですね。
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取材日:2022年9月