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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第16回 日本語教育学・教育工学グローバル学部 日本語コミュニケーション学科 藤本 かおる 准教授

ICT活用で変わる日本語教育の未来

グローバル学部 日本語コミュニケーション学科 准教授

藤本 かおるFujimoto Kaoru

文化服装学院を卒業後、民間企業にデザイナーとして勤務。1995年にエジプト・カイロに留学しアラビア語を学ぶ。帰国後、日本語教師として日本語教育を実践するとともに、放送大学、首都大学東京大学院(現:東京都立大学大学院)人文科学研究科で学び日本語教育学研究の道へ。2016年4月より現職。

2020年に始まった新型コロナウィルス感染症によって、社会は大きく変容しました。教育現場ではオンラインでの学びが急速に広がり、教師側にも新しい学び方への対応が求められていますが、現場からは戸惑いの声も上がっています。対面授業とオンライン授業はどう違い、なぜ教師は戸惑ってしまうのか。日本語教育の分野で長年インターネットやICTを活用した遠隔教育の研究に取り組み、オンライン授業に関する教師の研修にも尽力している藤本かおる准教授の研究をご紹介します。

研究の背景

日本語教師として授業実践を通して研究

「日本語教育学」は、日本語を母語としない人に日本語を指導する方法を研究する学問領域です。その中でも私は特に、パソコンやインターネットを利用した日本語の遠隔教育に焦点を当てて研究を行ってきました。私自身が日本語教師でもあるため、自分が担当する授業で20年ほど前からICTを使った実践的研究に取り組み、コロナ禍で多くの子どもたちや大学生が経験したリアルタイムのオンライン授業も、2007年ごろから海外の学生向けに実践していました。 近年は、日本語教師を対象としたICT活用の知識やスキルの教育・研修にも携わるようになりました。社会にICTが普及し、子どもたちへのICTスキルやネットリテラシーの教育が不可欠な時代を迎えています。しかし今はまだ、教師側がそうした新しいスキルを指導するための教育を受けておらず、十分な指導ができないことが課題になっています。そうした背景から、これまでの私が授業実践で得た研究成果などを元に、日本語教師が身につけなければならないICT教育のスキルや教育への考え方、さらに、ICTをどう活用すればICTの特性を活かした教育ができるかを検証する研究に力を注いでいます。

研究について

コロナ禍で突然「特殊」から「必然」に

▲藤本准教授の著書

2020年に始まった新型コロナウィルスの感染拡大は、あらゆる学びのオンライン化を進め、学校教育の在り方を大きく変えました。 「オンライン教育」はとても新しいことのように言われていますが、考えてみれば、放送大学や大学の通信教育部ではずいぶん前から行われてきました。ただ、そうした学び方をするのは何らかの理由があって遠隔教育を選んだ人だけで、ある意味「特殊」な方法として受け止められてきました。私自身は、ICTを使った日本語教育に必然性を感じて実践と研究を続けてきましたが、2020年の始めまでは、世界的に見てもオンライン教育に「必然性がある」と考えていた人は、多くなかったのではないかと思います。

オンライン授業と現場の戸惑い

-なぜオンラインは「やりにくい」のか?-

私は昨年来、さまざまな分野の学会や大学から、教師向けの研修やシンポジウムの依頼を受けました。つまり、それだけ教育機関も教師もオンライン授業に対して困り、悩んでいるということだと思います。実際、昨年私が行った現場の日本語教師へのインタビューで多く聞かれたのは、「今までの授業で普通にできたことがうまくいかない」という戸惑いの声でした。 みなさんは、授業中に先生と目が合って「あ、次に自分が指されるな」と感じたことはないでしょうか。対面の授業では、教師と学生の間に視線や表情、仕草によるノンバーバル(非言語)なコミュニケーションがなされ、「誰を指名するか」「話を理解できているか」といったことを互いに感じ取りながら授業が進んでいきます。

日本語教育、特に日本で外国人に日本語を教える場合、こうしたノンバーバルコミュニケーションは、日本語母語話者同士の授業以上に重要な役割を担っています。たとえば初級レベルのクラスでは、教師と学生、さらに学生同士にも、共通して使える言語がないという状態は珍しくありません。そのため、教室の中ではアイコンタクトなど言語に依らないやり取りがとても活発に行われ、それが授業を支えていました。ところが、オンライン授業ではノンバーバルなコミュニケーションが難しくなるため、教師が生徒の理解度を把握しにくく、それが授業のやりにくさを感じる要因となっています。

-経験が活かせないことがストレス-

さらに、同期型のオンライン授業では、音声にタイムラグが生じたり、慣れない機器の操作に時間を取られたりすることもあります。そうした小さな障害が積み重なって授業のリズムが乱れてしまうことにも、ストレスを感じた先生方が多かったと考えられます。 そもそも、これまで、教師になるための教育は「対面で教えること」を前提としていましたし、生徒としてオンライン教育を受けたことがある教師も多くありません。そのため、多くの先生方が過去の経験を活かせないオンライン授業に対して、不安やストレスを感じていました。また、経験がないオンライン授業に対して、まだ「理想の授業」や「理想の教師像」を描けていないことも、不安感を高める要因になっていると思います。

これまでに挙げたオンライン授業の課題は、実は遠隔教育の先行研究や私自身の経験から分かっていたことですし、オンラインと対面では授業デザインが違って当然だという理論もあるのですが、一般の先生方にはほとんど知られていませんでした。そのため、講演などを通じて先行研究の知見を伝え、少しでも先生方の不安解消に繋げたいと考えています。

多様な学び方を叶えるハイフレックスモデル

現在私が取り組んでいる研究に、日本語教育におけるハイフレックスモデルに関する研究があります。 ハイフレックスモデルとは、同じ授業が対面、同期型オンライン(リアルタイム配信)、非同期型オンライン(録画配信)など複数の形態で提供され、学ぶ側が自分に合うものを選択できる学び方です。ハイフレックスモデルの先行研究は、これまで高等専門教育を中心に行われてきました。しかし、ノンバーバルコミュニケーションの重要度の高さを含め、外国語教育には通常の大学の授業とは大きく異なる点があり、日本語教育にスポットを当てた研究を進める必要があると考えています。

ハイフレックスモデルによる効果的な教育が可能になれば、世界各国の学生が日本に留学するのと同等の授業を受けることができますし、たとえば普段はオンラインで学んでいる学生が、休暇を利用して1カ月間だけ日本で対面の授業を受ける、といった柔軟な学び方もできるようになります。そうした多様な学び方を実現するためには、現場の教師だけでなく、学校の管理者や経営者にもオンライン授業に関する専門的な知識とスキルが不可欠です。コロナ禍での日本語教師の経験を調査、共有し、効果的なハイフレックスモデルの手法を明らかにするとともに、教育機関の運営側にも働きかけるような知見を提供する研究を進めているところです。

今後の展望

目標は私の研究が「古い」と言われること

昨年秋、大学の対面授業再開について「授業を正常化する」という表現が使われたことに、私は強い違和感を覚えました。社会と人間の意識が大きく変化した今、対面授業に戻す=コロナ前に戻すことだけが唯一の道ではありません。今までと同じに戻るのではなく、より便利に、より豊かに変わることを目指したい。ICTの活用は、その選択肢を増やすものだと思っています。 日本語教育分野でのオンライン教育は、昨年来多くの先生方が実践したことから関心が高まり、これから研究の幅が広がっていくと思います。問題意識を持つ教師も増え、現場のデータが集めやすくなったため、私も研究がしやすくなりました。今後さらに研究が発展し、教育にICTを使うことが当たり前になって「藤本先生の研究、もう古いよね」と言われるようになることが、今の私の目標です。

さらに、現在は日本語教育を中心に研究していますが、もう少し研究対象を広げていくことも考えています。今、重度の障害がある方がロボットを遠隔操作して働くカフェが注目を集めていますが、同じようなことは、学校でもできるのではないでしょうか。工学分野など他分野の研究者と協力し、より新しく広い視野でICT利用を考えていくことにも挑戦してみたいと思っています。

教育

ただ一つの正解ばかりではないことを伝えたい

現在学部の授業では、日本語・日本語教育とサブカルチャーを絡めた授業を、大学院では日本語教育へのICT活用に関する科目を担当しています。どちらの授業でも、「好き嫌い」「良い悪い」といった主観的視点だけでなく、客観的に物事を捉える意識を養う大切さを伝えたいと考えながら講義を行っています。

たとえば、学生が日常よく使う言葉に「かわいい」がありますが、サブカルチャーの授業であらためて「かわいい」とは何かを説明するように問いかけると、学生は言葉に詰まります。自分が無意識に使っている言葉の意味を問い直すことで、自分の“普通”を疑う視点が生まれてくるのです。また、豊富なオノマトペ(擬音語・擬態語)は日本語の特徴の一つですが、「カリカリ」というオノマトペを見て、鉛筆で文字を書く音を想像する学生もいれば、梅干しやネコの餌のことだと思う学生もいます。毎日当たり前に使っている言葉も、その意味や解釈は千差万別です。こうした身近な日本語の話題を入口に、世界には「たった一つの正解」はそんなにないことを感じてもらう工夫をしています。

時間に余裕のない現代社会では、人々は単純で断定的なたった一つの正解を求める傾向にあるのではないでしょうか。しかし、世界のほとんどの問題には、ただ一つの答えなどありません。学生には、大学での学びを通じて、さまざまな情報を客観的に見極め、自分なりの正解を求められる人になってほしいと願っています。

人となり

カイロ留学がすべての出発点

私が日本語教育に興味を持ったのは、20代後半でデザイン関係の仕事を辞め、エジプトのカイロに語学留学したことがきっかけです。自分が外国人としてアラビア語を勉強する中で、「非母語話者に自分の母語を教える」という仕事があることを知り、面白そうだし、国際社会においてとても重要な仕事だと感じました。インターネットやパソコンに興味を持ったのもカイロ留学中です。当時のカイロは、ほとんどの家庭の電話からは国際電話がかけられず、日本の家族と手紙でやり取りしなければならないほど不便だったのですが、インターネット通信がその状況を劇的に変えました。メールやインターネット検索の便利さに触れ、このツールがこれから社会や教育を変えていくだろうと感じたことが、オンライン教育への関心の原点です。

留学後は、エジプトでアラビア語を使った仕事をすることも考えたのですが、外国語学習そのものの面白さにより強く惹かれ、日本語教師の道に進みました。日本に帰国してからは日本語教師養成講座で学び、さらに幅広い知識を得るために放送大学に入学しました。実は私は遠隔授業の学習者としてはダメダメで、放送大学での学びにとても苦労しました。現在の研究は、自分がうまく学習できなかったからこそ、どうすれば誰でも学習しやすい遠隔教育になるのかという思いからスタートしたという面もあります。

普段から着物を楽しんでいます

数年前に和のお稽古事を始めてから、着物にハマっています。以前はお稽古の時にだけ着ていたのですが、コロナ禍で外出が特別なことになってからは、出掛ける時はだいたい着物を着るようになりました。もちろん大学にも着物で来ますし、授業もしています。 着物=高価というイメージがありますが、ユーズドなどを探せばファストファッションくらいの金額で一揃いそろえることもできますし、最近では綿や麻などの自宅で洗える着物が復活しています。今私たちがイメージする“着物のルール”は、昭和に生まれた比較的新しいもの。それなのに、そのルールに縛られて着物がつまらなくなったという側面があります。江戸時代の人にとって着物は日常着だったわけですから、もっと自由に着物を楽しんでいきたいですね。

―読者へのメッセージ―

人生100年時代を迎えた今、生涯にわたって新しいことを吸収しよう、学ぼうとすることは、生活の質をより高めることにつながります。また、リモートワークで時間の余裕が生まれ、新しく何か学びたいと思う人も増えています。今後は、学びたいと思った時に気軽に学べる環境を社会が提供することが求められますし、時間や場所の制約なく学べる環境を提供することは、少子化で学業年齢の学生が減る中、大学や学校側にとっても重要な課題です。みなさんがいつでもどこでも学び、人生をより豊かに変えていく。その一助になるような研究に、これからも力を尽くしていきたいと思っています。

取材日:2021年10月