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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第4回 臨床心理学・精神保健 人間科学部人間科学科 小西 聖子 教授

日本における犯罪被害者支援の歩みとともに

人間科学部人間科学科 教授

小西 聖子Takako Konishi

東京大学教育学部教育心理学科を卒業後、東京都心理判定員を経て、筑波大学医学専門学群卒業、同・大学院医学研究科博士課程修了[博士(医学)]、精神科医。 東京医科歯科大学難治疾患研究所 客員助教授等を経て、1999(平成11)年、武蔵野女子大学人間関係学部 教授に着任。2004(平成16)年より武蔵野大学心理臨床センター長。 『ココロ医者、ホンを診る―本のカルテ10年分から』(武蔵野大学出版会)にて、第8回毎日書評賞受賞。

昨今、犯罪被害者の直面する課題がニュース等で報じられる機会が増え、支援の枠組みなども整備されつつあります。しかし、20年ほど前までは、被害者は公的なサポートのない非常に理不尽な立場に置かれていました。 今回は、臨床での医療と研究、制度整備の各分野から、日本における犯罪被害者支援の地平を切り拓いてこられた小西聖子教授の研究をご紹介します。

日本における犯罪被害者支援のパイオニアとして

全国に向けた支援のモデルケースづくりに取り組む

武蔵野大学心理臨床センター(有明キャンパス2号館5階)

研究者として、また精神科の臨床医として、長らく犯罪被害者支援と「心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic Stress Disorder - PTSD)」の治療を主な専門領域としてきました。 その中でも、目下のテーマとして性暴力被害者の急性期のケアに取り組んでいます。性犯罪、性暴力被害者の支援には、国も取り組みを始めており、各都道府県に被害者支援のワンストップセンターの整備を進めているところです。東京都では、性暴力救援センター・SARC東京がそれにあたり、私は、SARC東京と連携して週に一度、臨床医として診療を行っています。 被害者の心の傷のケアや、PTSDの治療は、とうてい保険診療の枠組みだけでサポートしきれるものではありません。 そこで、SARC東京と、この武蔵野大学の心理臨床センター、クリニックのある病院、つまり相談支援・心理臨床・医療の三者連携で、PTSDの認知行動療法と心理的ケアを実施しています。 このうち、心理的ケアと医療の取り組みは、私が科学研究費補助金を得て継続的に研究を行っているものです。まだ研究の途上ではありますが、今後、各地で被害者支援の取り組みを進めていく中で、日本における性暴力被害者支援の臨床モデルを作ることを目指しています。

「DV」も「PTSD」も認知されていない時代に

これまでの著作・翻訳・解説から

犯罪被害者支援が自分の専門領域になる経過については、大学院時代まで遡ります。 大学院で精神医学に取り組む中で、当時まだ新しかった司法精神医学や犯罪心理学などに触れ、博士論文の研究テーマとして、女性殺人者の精神鑑定の分析や類型化に取り組みました。そこで、女性加害者も暴力にさらされた経験を持つ者が多く、事件に至るまでには被害者性が高い環境に置かれていたということに気付かされました。当時はまだ「ドメスティック・バイオレンス(DV)」という言葉はなく、PTSDという概念も海外から入ってきたばかりの頃です。 その後、1990年代に入り、それまでほとんど顧みられることのなった犯罪被害者の心理的支援について、少しずつ必要性が認識されるようになりました。そこで、東京医科歯科大学に犯罪被害者の相談室が設けられることになり、心理臨床経験があり、犯罪学にも知見があることから、私はそこで犯罪被害者の臨床に取り組むことになったのです。

被害者の置かれた理不尽さ

全米被害者援助機構の英文のマニュアル

相談室とは言っても、当初は相談のデスクと電話が1台、そして米国の全米被害者援助機構の英文のマニュアルが1冊あるだけ。日本での臨床事例がない中での、ゼロからのスタートでした。 現在では、被害者支援のための法律や制度の整備も進み、社会にも認知されていますが、1990年代前半はまったく何もないような状態です。例えば、DVで大やけどを負わされたが、医療保険が適用されず、多額の治療費は被害者持ちになったというような事例もありました。 相手から賠償金を得ようとしても、当初の訴訟費用は自己負担ですし、勝訴したとしても、そういった事件の加害者は支払い能力がないことがほとんどです。 私自身は、比較的冷静な性格だと思いますし、だからこそこの仕事を続けてこられたという面があります。しかし、日々直面する理不尽な事例に、「こんなこと本当におかしい」という思いが募り、犯罪被害者支援を一生の仕事にしようと決めました。

さらに支援の手薄な分野のために

武蔵野大学心理臨床センターの相談室

その後、阪神・淡路大震災の被害が報じられる中で、PTSDという言葉が報道に登場するようになり、その後徐々に一般にも知られるようになりました。震災の際は、交流のある米国のPTSD専門家から支援チーム派遣の相談を受けたり、私も被災地に入ったりしたのですが、行政機関や医療機関でもまだまだ被災者や救助従事者が受けるPTSDへの認識がなく、極めて反応が薄かったのをよく覚えています。 その後、PTSD治療の必要性が認識されてはきたものの、しばらくの間は国内の専門家がほとんどいない状況でしたので、大きな災害や事故の際には、行政機関からの要請を受け、現場に行って被害者の相談を受けたりすることも多々ありました。 また、犯罪被害者支援の政策についても、2004年の犯罪被害者等基本法の制定を受けての2005年から5年ごとの犯罪被害者等基本計画の策定に、委員として携わらせていただきました。PTSDと同じく、最初は専門家がきわめて少ない状況があり、私にお声がかかったわけですが、これまでの研究・臨床経験をもとに、被害者の声、具体的な支援のニーズを、法整備や制度設計の場に届けることができました。 そうして、PTSD概念と犯罪被害者支援、それぞれが社会に認知されるようになり、専門家や研究者も増えてきた中で、まだまだ手薄であるのが、冒頭の性犯罪・性暴力被害者の支援というわけなのです。

研究者としてのあゆみ

一度は公務員の道へ

大学で心理学を選んだのは、家族の障がいに接する中で、心理学の中にその人が抱える課題を解決する糸口があるのではないかと考えたからでした。 実際には、そういう個別の答えは学問の中にあるわけではなく、もっとずっと広い深い領域が目の前に開けていることを大学の4年間で知りました。当時まだキャンパスでは女性が少数派だったところを、教育心理学科は、同学年13人のうち9人が女性だったと記憶します。その中では、少数派であることをあまり意識することもなく充実した教育を受けられました。 しかし、それでも4年次には現実に直面することになります。まだ心理学を学んだ人間への社会的なニーズがあまりない時代です。しかも、男女雇用機会均等法の施行前で、女性も受けられる求人はほとんどありませんでしたし、オイルショックまでが重なりました。進路といえば公務員か研究者しかない状況でした。 そのため、公務員の道を選び、東京都民生局(当時)の心理判定員として社会人のスタートを切りました。

女性ゆえの不条理に目を向ける

しかし、現場で働く中で、学部レベルの知識ではまだまだ不充分であることを、幾度も認識させられました。そこで、改めて大学院への進学を考えることになります。 ただ、現場で接する課題には、精神的な疾患が関係することが多く、心理職ではなく精神科の医師がイニシアチブをとる場面が多くありました。そこで、心理学の修士・博士課程に進むのではなく、改めて医学部に入り直し、学部卒業後、大学院で精神医療を学びました。 医学部の学部・大学院はまだまだ男性中心の社会で、旧時代的な考え方に幾度となく直面しました。 特に私の場合、社会人入学で在学中に2人の子どもを出産し、育児をしながら学ぶという、「はじめて」づくしの学生でした。そういう学生に、当時の医学部は優しくはありませんでしたし、社会が、出産や育児にまつわる「母性神話」や、男性同様に仕事を持つ女性への偏見に彩られていることを痛感しました。 そういった、今から見れば不合理だといえるような状況にたびたび接する中で、女性の問題-すなわち自分自身の問題―に取り組んでいきたいという思いが生まれ、先述の通り、博士論文では女性犯罪者の精神鑑定を研究テーマに選ぶことになったという次第です。

今後の展望

研究のウチとソトをバランスよく

毎日新聞「今週の本棚」の10 年にわたる連載を単行本化した 『ココロ医者、ホンを診る』で毎日出版賞を受賞

今後の展望としては、冒頭に申し上げた性暴力被害者の急性期のケアについて、より研究を深め、各地のセンターに展開していける臨床事例を積み上げていきたい、それによって支援を受けられる人を少しでも増やしていきたいと思います。これまでこれだけ重いテーマ、悲惨な事例に日々直面しながら、自分自身の精神を保ち、仕事を着実に進めて来られたのは、様々な仕事を同時並行で抱え、多忙な中にいたことが、かえって心身のバランスを保つのに役立ったとも思います。研究や講義、臨床、心理臨床センターの運営、外部での講演、審議会やそのほかの会議のほか、新聞や雑誌にコラムなどの連載を持ったり、バラエティ番組に出演していたこともあります。 本業の研究以外の仕事にもそれぞれ発見があり、面白く、本業の支えとなってきたと思います。

読者へのメッセージ

繰り返しになりますが、犯罪被害者の問題、性暴力被害者の置かれている厳しい環境について、一人でも多くの方に知っていただけたらと思います。 多くの場合、被害者はPTSDによる心身の不調を抱えているのに、人前でそれを明らかにできないという状況に置かれています。辛さを知ってもらおうとしても、周りから寄せられるのは、ケアではなく、偏見や無理解であるからです。 私自身も、以前はこれだけ重大なニーズのある社会問題があるということを、研究を通じてその被害に接するまで、全く気づかないままに過ごしてきました。 おそらく、私たちの生きる社会には、同じように誰にも気づかれず、解決に向けた取り組みが何らなされていない問題、大きな理不尽が、まだいくつも存在しているのだと思います。 ぜひ、犯罪被害者支援への理解、サポートとともに、いまだ気付かれていない社会課題が身近に横たわっている可能性にも、目を向けていただけたら幸いです。