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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第29回 英語学グローバル学部 グローバルコミュニケーション学科 櫻井 千佳子 教授

ことばと「場」の複雑な関係を解き明かす

グローバル学部 グローバルコミュニケーション学科 教授

櫻井 千佳子Sakurai Chikako

日本女子大学文学部英文学科卒業。ハーバード大学教育学大学院発達心理言語学専攻修了。日本女子大学大学院文学研究科英文学専攻後期博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員(DC2、PD)として研究に従事。立教大学ランゲージセンター専任講師、武蔵野大学教育学部教育学科教授を経て、2021年4月より現職。

ことばは、人間にとって何よりも身近なコミュニケーションツールです。普段から私たちは、ことばを社会の在り方に応じて変化させたり、相手との関係性によって使い分けたりしています。複雑で変化に富む「ことば」。そのメカニズムを探究し、人間がことばをどのように習得し、どのように使っているのかについての理解を深めている櫻井千佳子教授の研究を紹介します。

研究の背景

ことばのメカニズムを理解する言語学

地球上の生物は、いろいろな方法でコミュニケーションを取っています。たとえば、ミツバチは蜜がある場所を仲間に伝えるためにダンスをしますが、私たち人間は多くの場合、ことばでコミュニケーションを取ります。言語を使ったコミュニケーションを行うのは人間だけといわれていますから、ことばは人間を人間たらしめているものといえるのかもしれません。では、その「ことば」や「言語」とはいったいどのようなもので、そこにどんなメカニズムが働いているか。それを理解しようとするのが、言語学という学問です。 言語学には、音声学、音韻論、形態論、意味論など、ことばの構造面を研究する領域があります。一方で「ことばが実際の場面でどのように用いられているのか」といった、ことばの運用面に焦点を当てた研究領域があります。その中でも、私はことばによるコミュニケーションを、その使い手である人間を取り囲む社会・文化との関わりで分析する社会言語学の領域に特に関心を持ち、研究に取り組んでいます。

研究について

ことばの獲得や認知との関わりを研究

-子どもはいつ「母語らしさ」を習得するのか-

字幕で海外の映画を見ていると、字幕の日本語が必ずしも外国語の台詞を直訳したものではないことに気がつきます。同じ事柄を表現していても、「日本語らしい表現の仕方」で翻訳がなされているからです。もちろんほかの言語でも同じように、英語らしい表現や中国語らしい表現というものがあり、そのことばを母語とする人は「らしい表現」を自然に習得して使っていきます。私はその点に着目し、子どもがいかにして母語を習得するのか、どのタイミングで「らしい表現」を獲得し、そこにはどのような言語文化の影響がみられるかを研究テーマにしています。

このテーマに関連して、アメリカの研究者を中心に行われた研究の一つに、文字のない絵本を用いたプロジェクトがあります。この研究で使用されたFrog, Where Are You? は、少年と犬がカエルを探す小さな冒険を描いた絵本ですが、文字によるストーリーは一切ありません。この絵本を母語の異なる3歳児、4歳児、5歳児、9歳前後の児童、大人に読ませ、オリジナルの物語をつくってもらいます。その物語を分析し、絵から想像されたことがどう言語化されているかを年齢により縦断的に、また使用言語により横断的に比較するというプロジェクトです。

プロジェクトの報告によると、英語話者は早い段階から因果関係に注目し、becauseなどの単語を用いて言語化する傾向があると指摘されています。一方、日本語話者にそうした傾向が見られるのは英語話者より遅く、幼児期の日本語話者は時系列に物事を語っていく傾向が強いことも明らかになっています。同じ絵を見ていても、何に着目し、どんなことを言語化するかは、4、5歳の段階で使用言語による違いが見られるのです。こうした結果を参考にしながら、人間はどのように言語発達をしていくのか、その発達には使用言語による差異があるのか、といった点に関心を持ち、アメリカの大学院時代から研究しています。

-「場」の把握とことばのコミュニケーション-

もう一つ注目しているのが、ある事柄を認知する視点の違いが、ことばの使い方の違いにどう表れているのか、という点です。日本語と英語を比較した場合、日本語は事態を内側から、つまり内在的視点で把握してことばにすることが多く、英語は逆に外側からの外在的視点で把握するという特徴があります。先ほどの絵本のプロジェクトでは、日本語話者の子どもは登場人物の目線で物語を言語化することが多く、少年が池に落ちるシーンでは「ボチャーン、どうしよう、濡れちゃった」といったオノマトペを伴う、あたかも眼前で出来事が起きているような語りがなされます。一方、英語話者の子どもの場合、「『どうしよう、濡れちゃった』と彼は言いました」というように、物語の外からの目線で語る傾向があります。そうした事態把握の言語間による異なり、つまり人間は「場」をどのようにとらえているのかとことばの関係を認知言語学的観点から研究し、理解を深めているところです。

今後の展望

子どもの外国語教育を研究でサポートしたい

学問の世界だけにとどまることなく、研究を社会に還元するための取り組みに一層力を入れていきたいと考えています。

英語の教員を志す学生や外国語を使ってグローバルに活躍したい学生たちの教育に関わる中で、これまで研究してきた母語の習得や社会言語学の研究をどうやって教育現場に生かすことができるのかを考えるようになりました。今、日本でも母語が日本語ではない子どもたちが増えています。また、小学校でも英語教育が始まり、子どもたちに対することばの教育の重要性が年々高まっています。しかし、ことばのメカニズムをことばで説明するというのは、かなり難度が高いことです。小学生に、しかも母語ではない言語を教えるには、発達段階に合った導入や指導法などの工夫が欠かせません。子どもたちが外国語を好きになり、ことばの背景にあるグローバル社会やことばの面白さへの気づきを与えられるように教育の在り方を考え、支援していきたいと思っています。千代田区の軽井沢少年自然の家基本構想策定委員会委員として委員会で協議を重ねていくことで、英語を使う「実体験」をする重要性を感じているところです。また現在、本学の言語文化研究科の大学院生と共に日中英のトリリンガル児の言語発達について研究する計画があり、この研究も多言語・多分文化共生社会に学術的立場から貢献し得るものであると思います。

また「場」の言語学についての研究をさらに深化させていきたいと思っています。場をどう認識し、それがどう言語化されているかを明らかにするには、言語学だけでなく、脳科学、心理学、機械翻訳や工学といったさまざまな領域の知見や視点が役立ちます。他分野の研究者とのコラボレーションにも取り組み、より複眼的、学際的な研究に発展させていきたいです。 世界では多種多様なことばが使われており、また、ことばは時代とともに大きく変化しています。ただ、そうであっても、どの言語、どの時代にも共通する普遍的な何かがあるのではないかと考えています。平安時代の日記文学でも現代のSNSでも変わらない言語のルールを探しながら、これからも研究に力を注いでいこうと思っています。

教育

学生の「内なるもの」を伸ばす関わり方が大切

▲櫻井先生の場と言語・コミュニケーションについての著書

私が担当する授業やゼミの学生は、その多くがことば、コミュニケーション、文化という日々の生活の中にあるものを研究対象としています。だからこそ、学生が生活の中で得た気づきや、学生の内面からわき上がってくる思いを大事したいと思っています。私の役割は、学生の内なる思いや気づきをすくい上げ、それを学問の世界でどんなふうに扱えるかを一緒に考えたり、学びを下支えする知識や情報を提供したりすることだととらえています。山登りの途中で「こっちの道もありますよ」「あっちの風景も見てみてはどうですか?」と案内するガイドのようなイメージでしょうか。 コミュニケーションを専門に学ぶ学生たちですから、ことばの表現や使い方にはやはり敏感です。私自身、学生から新たな視点や考えを学ぶことも珍しくありません。たとえばSNSでやり取りされることばは、私よりも学生の方がはるかに上手な使い手です。SNSとことばに関する研究をするとしたら、学生たちは私以上に優れた仮説を立てることができるかもしれません。こちらが一方的に教えるのではなく、学生から生まれるものを尊重し、伸ばしていくような関わり方を大事にしていきたいと思っています。

人となり

ことばと文化の多様性触れた米国留学

言語学に興味を持ったのは、アメリカへの留学がきっかけです。大学3年から4年にかけて、ニューヨークの郊外にある姉妹校の大学に協定留学をして、現地の学生と共に学びました。興味を持って受講していたのが、ことばと文化、ことばと広告といった言語学に関連する授業です。多民族国家であるアメリカでは、誰かが「ことば」と言った時、それが「英語」を示すとは限りません。そうした複雑さや多様性への気づきは、日本では得られなかったものです。 また、留学中は、世界のさまざまな地域出身の留学生が集まるMulticultural Floor で寮生活を送り、言語だけでなく文化の多様性も肌で感じることができました。当初は異文化への知識がまだ足りず、失敗もしました。ムスリムの友人の部屋で、礼拝に使うマットを靴を履いたまま踏んでしまった時のことは、今でも大きな失敗として強く覚えています。友人たちにそれぞれの文化について教えてもらう経験を重ねながら、ことばとコミュニケーション、さらにことばの背景にあるアイデンティティや文化の問題に関心を深めたことが、現在の研究の道に進むきっかけになっています。そして幸運にも、その後アメリカの大学院で学ぶ奨学金を得られたことも、私にとって研究を続けるための支援となりました。

その土地の生活を感じる旅が好き

元々いろいろな場所を訪ねるのが好きなのですが、旅行や観光が好きというより、知らない場所をその土地で生まれ育った方に案内していただくことが好きです。地元の方のお話を伺って、地元の料理をいただいて、新しい発見ができるとうれしくなります。学会のために海外や地方へ行った時も、空いた時間にその地域の方が集まる市場やマーケットに出かけるのが楽しみです。「なるほど、こんなふうに商売が成り立っているのか」「こんな風に食べ物を運ぶのか」といろいろな発見があって、その土地の方々の生活が感じられます。

最近好きなことは、国内の出張先で手に入れた食材を使ってお料理を作ったり、旅先でおいしくいただいた特産品をお取り寄せしたりすることです。有明キャンパスは有楽町や銀座に近いので、帰りにいろいろな自治体のアンテナショップに寄り道して、全国各地のおいしいものをもとめることもよくあります。

―読者へのメッセージ―

ことばは、私たちが当たり前のように使っているコミュニケーション手段ですが、少し掘り下げると、とても複雑で面白い世界が広がっています。無意識のうちに使っていることばには、相手との関係や場面で使い分けたり、物事を把握する視点や考え方が表れたりと、興味深い側面がたくさんあります。日々自分が使っていることばをあらためて見つめ直し、ことばの面白さや、その先にある新しい世界をぜひ発見していただけたらと思います。

取材日:2022年11月