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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第44回 国際法学法学部 法律学科 佐俣 紀仁 准教授

国際組織に関わるルールの今を読み解き 未来を展望

法学部 法律学科 准教授

佐俣 紀仁Samata Norihito

東北大学法学部卒業。東北大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。東北大学大学院法学研究科助教、マックス・プランク比較公法・国際法研究所客員研究員、東北医科薬科大学教養教育センター講師等を経て、2020年4月より現職。専門は国際法、国際組織法、海洋法。

私たちが生きている社会には多種多様なルールがあり、法はその代表例です。国際社会にも国際法と呼ばれる法があり、それは、国のみならず、複数の国が集まって構成される国際組織の活動にも関わります。今、世界には、国際連合やEU、コロナ禍で注目を集めたWHOなど数多くの国際組織が存在し、その活動は、世界中の人々にさまざまな影響を与えています。国際組織の活動を規律する国際組織法に関する課題や議論を丁寧に読み解き、それが未来にどのような影響を与えるかを展望する佐俣准教授の研究を紹介します。

研究の背景

国際社会の重要なプレーヤー・国際組織

私たちが生きている世界には、さまざまな法が存在します。私が専門にしている国際法は、一般的には「国際社会の法」といわれます。ただ、より正確に言うならば、国際法は、主に、国家が他国との関係で「してもいいこと(できること)」「してはいけないこと」を定めたものです。たとえば、ロシアという国家がウクライナに侵攻したことは、国際法上の「武力行使禁止原則」に違反する違法な行為です。他方で、ウクライナという国家からロシアに対してなされた反撃は、「自衛権の行使」として、国際法上許容されることだと考えられています。

しかし、国際法は国家「以外」のものの振る舞いも規律しています。その一つの例が国際組織です。国際組織とは、複数の国が集まって作られた組織体です。国際機関、国際機構とも呼ばれます。よく知られているのは国際連合やEUですが、実は、世界には国の数よりも多くの国際組織があります。これらの国際組織に対して「してもいいこと」「してはいけないこと」を定めているルールが私の専門分野です。

研究について

国際組織の活動から生じた損害について、国際組織の責任を追及できるか、すべきか?

―例えば、ハイチでのコレラの大流行と国連PKO―

現在研究テーマとして焦点を当てているのは、国際組織の活動から損害が生じた場合、誰がどのような後始末をすることが望ましいのか、そのために、どういったルールや仕組みが必要なのか、という問題です。
国際組織の活動から大きな損害が生じた近年の事例として、国連PKO活動が一因となった、ハイチでのコレラの大流行があります。

2010年、ハイチで大地震が発生し、治安維持などを目的に、国連は現地にPKO部隊を派遣しました。その後、ハイチではコレラが大流行し、少なくとも1万人が死亡しました。各種の調査の結果、このコレラの大流行は、国連PKO部隊に参加していたネパール軍兵士の排泄物が、地元住民の生活用水に混入して引き起こされたことが明らかになりました。
そこでコレラ患者の遺族や家族らは、PKOを派遣した国連自体を相手取って、国連の本部があるアメリカの国内裁判所で訴訟を提起しました。しかし、この訴訟は、裁判所に門前払いされます。アメリカを含む国連加盟国の裁判所では、国連を被告とした裁判を行えないことになっているからです。

その後、被害者達の政治的キャンペーンの末、2016年になって国連は、被害について「道義的責任」を認め、ハイチの復興や経済発展のための基金創設を発表しました。
被害者が満足できるならば、それはそれで望ましい解決かもしれません。しかし、国連が引き受けたのはあくまでも「道義的責任」にとどまっていて、自分達の振る舞いが違法であることを認めたり、賠償を支払う義務を負っていることを認めたりしたわけでは決してない、という点も重要です。コレラの大流行はなぜ起きたのか、コレラの流行を防ぐために、誰がどのような措置をとる法的義務を負っていたのか…などの問題は棚上げされているとも言えます。

-「アカウンタビリティ」という新しい解決-

法律家の考え方からすれば、ハイチにおける国連の振る舞いが合法だったか、違法だったか、はっきりさせたくなるのは自然です。国際法の世界では、「国際組織が国際法に違反した場合には、当該国際組織が法的責任を負う」という基本的な原則が何度も確認されています。ここでいう法的な責任とは、具体的には、損害賠償を支払ったり、謝罪したりする義務などを指します。2011年には、このルールに関する詳細な条文が国連によって作られています。

しかし、ハイチで国連がやったことが国際法に違反している行為なのかは、とても難しい問題です。そもそも、そのような被害を発生させてはならない、という明確なルールは、存在しません。違法だ、という根拠がなければ、国連の法的責任を追及することはできません。

さらに、よくよく考えてみると、ハイチの事例で国連だけを責めるのは、やや奇妙な気もします。コレラを流行させた要因は、例えば、コレラに罹患した者をPKO要員に加えたネパールという国家の不注意かもしれませんし、排泄物を適切に処理できる設備を整えなかったハイチという国家の落ち度なのかもしれません。はたまた、十分な排水処理施設を作れなかった現地の施工業者にも責められるべき点もありそうです。国連PKOに起因して生じた問題なので、国連は批判されやすい立場にあるのは理解できます。しかし、国連ばかりを批判することは、お門違いである可能性もあります。

こうした問題の構造は、さまざまな国際組織が引き起こした「望ましくない結果」にも多かれ少なかれ当てはまります。例えば、近年ですと、世界保健機関(WHO)という国際組織が、COVID-19に対してうまく対応できなかった、という批判にさらされました。その中には、WHOの法的責任を追及しよう、という動きもありました。仮にWHOにも落ち度があったとしても、WHOの対応が明確に違法であったか、また、WHO以外のプレイヤー、例えば各国にも責められるべき点はなかったか、と考えてみる余地はありそうです。

そこで、今日、国際法学者の中には、国際組織の活動から何か望ましくない結果が生じた場合でも、国際組織の法的な責任を追及することにこだわるべきではない、と主張する人もいます。この考え方では、国際組織の活動から生じた損害の多くは、「違法だ」と判断する根拠が乏しいことに注目します。そもそも国際組織の行為を「合法」「違法」と明確に評価するルールは十分に発展していないためです。そこで、むしろ、事実関係を調査して原因を解明したり、関係当事者との対話と協議の場を設けたり、さらに、再発防止の方策を被害者の関与の下で考えたりする方策が大事だというわけです。こうした方策は、しばしば国際組織の「アカウンタビリティ(accountability)」を高める、と表現されます。法的責任は英語で「レスポンシビリティ(responsibility)」と呼ばれて、ここでのアカウンタビリティという言葉とは区別されます
私の研究では、法的責任を厳しく追及しようとする議論と、アカウンタビリティによる解決を重視する側の議論の対立に注目しています。そこでは何が争点となって、いかなる理由で対立が生じているのか、そもそも対立関係にあるのか、といったことを丁寧に読み解こうとしています。この研究を通して、今ある国際法、国際組織法のどこに問題があり、その問題はどう変えていくことが望ましいのかを考えるヒントをつかみたいと考えています。

深海底の鉱物資源開発と国際法

―海洋法、国際組織法の観点から―

もう一つ、関心を持って取り組んでいるのが、海底の鉱物資源に関するルールについての研究です。これは、国際組織法と海洋法(海の利用に関する国際法)に関わります。

地球の深海底には、レアアース泥やマンガンノジュールなど貴重な鉱物資源があります。深海底の鉱物資源開発については、1994年に国連海洋法条約が発効し、国際組織である国際海底機構(ISA)が深海底の鉱物資源を管理し、その利益を各国に配分する仕組みが作られました。1994年以降、海底の鉱物を商業ベースで採掘するための準備が進んできました。

▲先生の著書など

ところが近年、こうした商業ベースの開発に対して異論反論が目立つようになってきました。2022年、フランスのマクロン大統領は、海洋環境の保全が必要だという理由で、深海底資源の商業的な採掘を全面的に禁止するべきだと主張し、チリなどほかの国々も拙速な開発に反対を表明しています。
20世紀後半から、海洋法のルールは、「深海底の資源は開発できるし、する必要がある」という前提で発展してきました。その大前提を覆すマクロン大統領らの提案は、現在の国際法の中でどの程度、どのように正当化できるのか、また、こうした海洋環境保全を支持するうねりによって国際法がどう変わっていくのかといった点に関心があります。これらには、国際組織(ISA)の役割という国際組織法の問題も関わります。今後の外交交渉や学術的な議論の動向を注視して、こうした海の底に関するルールの展開を追いかけたいと考えています。

今後の展望

「アカウンタビリティ」という考え方や言葉が国際法に及ぼす影響を理解したい

国際法において「アカウンタビリティ」という言葉や概念がなぜ使われるようになっているのか、そのことが国際法にどのような影響を持つのかに対して、自分なりに答えを見つけたいと思っています。

法学の世界は、言葉や概念を大切にします。そして、それぞれの言葉や概念には「定義」があり、それらがカバーできる範囲は決まっています。例えば、刑法の殺人罪や、民法の不法行為の定義を調べてみるとわかると思います。

しかし社会は常に動いていますので、しばしば、従来の言葉や概念では捉えられない新しい問題が現れます。例えば「ハラスメント」です。その言葉が意味するところは、刑法でいう強要罪や不同意わいせつ罪といった既に存在する法学の言葉だけでは上手にカバーできません。ハラスメントという言葉の普及は、社会が法の概念でカバー「されていない部分」に注目しようとしているメッセージなのかもしれません。そんな場合には、法の世界の側が新たな言葉を少しずつ取り込んで、そうした社会の需要に応えるということがあります。いじめ、DV、ストーカー等々、ほかにもいくらでもそういった例はあります。
国際法の世界では、「アカウンタビリティ」という言葉や概念を学者たちが盛んに論じるようになりました。これは、単なる一時的な流行に過ぎないのか、それとも、国際社会の新たな社会課題に対応するために生み出された言葉として、今日の国際法の欠陥や足りない部分をあぶり出して、国際法を進歩させるきっかけになるのかどうか…。こんなことを今後の研究によって理解していきたいと考えています。

また、今日、民間企業やNGOsの存在感を無視することはできません。これまで、国際組織の正規のメンバーシップは国家にのみ認められてきました。しかし、近年、国際組織が民間企業やNGOsとの関わりを強めて、資金や技術の提供等を受けるケースも増えています。今後は、国際組織と企業やNGOsとの関係を規律するルールが一層発展していくと思いますので、様々な国際組織の事例に目を配りながら、研究を進めていきたいです。

教育

法の根本的問題に目を向ける国際法の学び

「就職や資格試験で有利になる」という意味での実用性は、国際法にはやや期待しづらいかもしれません。国際法の専門的な知識が問われる職業は、そう多くないからです。ですが、資格試験等との関係での縛りが少ないからこそ、授業では、自分が面白いと思うことをじっくり丁寧に話そうと心がけています。例えば、国際法と密接な関係がある歴史のこと、今あるルールの背景にある様々な利害の対立、さらには一見不思議に思える法制度の存在意義などです。

実用性は高くない、とやや自嘲気味に言いましたが、国際法の知識や考え方には、法学全般に関する学びを一歩深めるヒントがたくさんあります。例えば、国際社会には世界政府がないので、ある国が自国に不利な国際裁判の判決を無視しても、現状を強制的に変えることができない場合もあります。例えば、南シナ海に関する仲裁での中国の敗訴(2016年)と、その後の判決の無視が知られています。

▲学生との合宿(法政大学、岡山大学と合同)

法学部で国内法を学んだ皆さんは、このような状態は「おかしい」と思うかもしれません。日本国内では、裁判所という国家機関が判決を下して、その判決はまた別の国家機関によって執行されます。しかし、少し立ち止まって考えると、そういった私たちが暗黙のうちに想定しがちな「強い国家」は、いつでも、どこにでも存在するわけではないことに気づくはずです。日本も、西洋型の国家の仕組みを取り入れたのは明治時代以降です。21世紀の今日でも、海外に目を向ければ、破綻国家と呼ばれるような、政府機関が十分に機能していない国もあります。こうした観点からは、「現代の日本社会」を前提に法のあり方を考えることもまた、「おかしい」と言えそうです。
国際法を学ぶことで、「現代の日本社会」以外の社会があること、そして社会が変われば法も変わることをより深く理解できます。学生には、国際法を勉強することで、法と社会の関係性に対する鋭敏なセンスを身に付け、磨いていってほしいと思っています。

人となり

「国際社会」との出合いはタイでの国際協力ボランティア

「国際的なもの」との最初の出合いは、大学1年生の春休みでした。タイの山岳少数民族の村に行き、1カ月ほどボランティアをしたのが始まりです。ミャンマーとの国境に近い小さな村で、簡易的な水道や水洗トイレを作る手伝いをしたのですが、初めての海外だったこともあって、毎日が刺激的な経験の連続でした。村の方々やタイの学生さん、言語や文化の違う人と濃密な時間を過ごす中で、漠然と「広い世界のことを知りたい」と思うようになりました。今振り返ると、人生の転機の一つでした。

▲タイ山村の小学校を訪問(2024年3月)。タイの経済成長の影響の下、山村の生活環境もここ10年で急激に変化している

2年生になって、とりあえず「国際」と名の付く法学部の授業を手あたり次第に受けました。そこで出合ったのが国際法です。その授業を担当されていたのが、国際組織法、特に国際組織の責任に関する第一人者である植木俊哉先生(東北大学理事・副学長、大学院法学研究科教授、国際法学会代表理事)でした。国際社会と国内社会の相違を踏まえて、さらに、しばしば実際の外交の現場でのエピソードなども交えて、国際法の特徴を丁寧に解説してくださる講義が毎週楽しみでした。また、国際社会全体を扱う国際法のスケールの大きさにも魅了されました。そのまま植木先生のゼミを履修し、学部、大学院とご指導いただきました。植木先生から教えていただいたことは、研究者、教育者としての私の価値基準を作る上で強固な土台となっています。

わが家はチャパティーブーム

自分の手を使ってものを作るのが昔から好きです。少し前には、木工でバターナイフやジャム用のスプーンを作ったり、はんだごてを使って古いエレキギターの修理をしたりしました。自分で作れるものは作ってみたいし、修理できるものは直してみたいですね。
その延長線上で、ネットでレシピを調べて、行ったこともない国の食べたこともない料理を作ったりもします。今家族でハマっているのは、「チャパティをいかにうまく膨らませて焼くか」。チャパティは、全粒粉と水を練った生地を焼いたインドの無発酵パンで、上手に焼くとまん丸く膨らむんです。YouTubeでインドの方がおいしそうに膨らませながら焼いている動画を見て感動しました。それ以来、連日チャパティをこね、焼き、食べています。うまく膨らませた焼きたてのチャパティを家族に渡すと、「パパすごーい!」ってみんな大喜びで食べてくれます。そして私は「ふふ、父ちゃん頑張ったぞ」って一人で悦に入ります。ささやかな幸せですね。

―読者へのメッセージ―

今まさに起こっている国際情勢について、SNSでは「強制力のない国際法には意味がない」「国連は無意味だから解体した方がいい」といった発言をしばしば目にします。しかし、国際法を少しでも学ぶと、こうした発言は単純化が過ぎて、正確性を欠いていることに気付けるはずです。何かと分かりやすさが重視される時代ではありますが、単純化される過程でそぎ落とされた要素の中にも、大切なことが含まれています。国際法の世界に触れることで、物事の複雑さ、困難さを正しく理解し、受け止める力を高めていただきたいと思っています。

取材日:2024年2月