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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第14回 民法学法学部 法律学科 金 安妮 講師

民法における理論と実務の融合を目指して

法学部 法律学科 講師

金 安妮Anni Kin

慶應義塾大学法学部法律学科卒業。慶應義塾大学大学院法学研究科民事法学専攻後期博士課程単位取得退学。武蔵野大学法学部法律学科非常勤講師を経て、2018年より現職。民事法学を研究領域とし、民法の日中比較等を専門に研究に従事。

2020年4月、約120年ぶりに改正された民法が施行されました。「一般の国民にも分かりやすい民法」を目指して行われた改正によって、これまで条文には示されていなかったさまざまな債権に関する法制度が明文化されています。その中の一つである「契約上の地位の移転」に大学院時代からスポットを当て、海外との比較などを通じて、その明文化の在り方を検討してきた金安妮専任講師の研究をご紹介します。

研究の背景

改正民法で明文化された「契約上の地位の移転」

民法は、私たちの身の回りの財産関係や家族関係等に関するルールを定めた法律です。 日本の民法は、明治29年(1896年)に制定されました。契約等に関する債権関係の規定は、民法の制定以来、ほとんど改正されていませんでしたが、取引の複雑化や高齢化、情報化といった社会情勢の変化を受けて、平成29年(2017年)に、大幅に改正されることとなりました。約120年ぶりの大改正です。

平成29年に成立した改正民法は、社会や経済の変化に対応するとともに、さまざまな取引に関するルールを国民一般に分かりやすく示すことを目的としています。そのため、従来の条文の修正だけでなく、これまで判例や学説では認められていたものの、条文では規定されていなかった制度も新たに明文化されました。その一つに「契約上の地位の移転」という制度があります。

日本の民法は、世界的に見ても「先進的」であると評価されているといって差し支えないように思います。しかし、契約上の地位の移転に関しては、日本よりも先に中国の契約法で類似の制度に関する規定が明文化されています。大学在学中に、「なぜ、日本民法には、契約上の地位の移転に関する規定がないのだろう?」と興味を持ったのが、契約上の地位の移転を含む債権分野の研究を始めたきっかけです。

研究について

理論と実務の融合に向けて

-契約上の地位の移転とは-

民法は、総則、物権、債権、親族、相続の5つの編で構成されています。その中でも、私は主に第3編の債権に関する法制度を専門に研究を行っています。債権とは、特定の人が特定の人に対して、金銭の支払いや物の引渡しなどの特定の行為を請求できる権利をいいます。民法の第3編は、この債権という権利がどんな性質を持っていて、どのようにして発生し、移転し、そして消滅するのか、といった内容について規定しています。身近な例でいえば、「購入した商品が不良品だった場合、売主にどのような請求をすることができるのか」「交通事故で被害者になった場合、加害者にどのような請求をすることができるのか」といったことに関するルールを定めています。私が研究している契約上の地位の移転は、債権の発生原因としての契約に関する制度の一つです。

契約上の地位の移転とは、契約当事者としての法的地位を当事者間の合意によって第三者に移転することをいいます。たとえば、賃貸人Aと賃借人Bとの間で不動産に関する賃貸借契約が成立している場合に、賃貸人Aが第三者Cに対して賃貸借契約上の賃貸人の地位を移転したとしましょう。このとき、第三者Cは、賃貸人Aが賃借人Bに対して持っていた債権(家賃の支払いを請求できる賃料債権など)や、賃貸人Aが賃借人Bに対して負っていた債務(Bに貸している物件の設備が故障した場合に、これを修繕する義務など)に加えて、契約当事者に固有の解除権や取消権をも取得します。その結果、賃貸人Aと賃借人Bとの間で成立した賃貸借契約は、賃借人Bと第三者Cとの間で存続することになります。契約上の地位の移転を行うことによって、賃貸人Aは、第三者Cから契約上の地位を譲渡したことの対価を得ることができ、第三者Cは、賃借人Bとの間で契約締結に向けた交渉や契約締結の手続きを行うことなく、賃貸人としての法的地位を取得することができます。

-明文化によって広がる可能性-

▲金先生が共著で執筆された教科書

平成29年の改正民法が成立するまでは、契約上の地位の移転制度を明文化すべきである、という主張に重点を置いて、中国をはじめとする諸外国の立法例を調査し、この制度が中国の契約法で明文化された歴史的な経緯や、中国の裁判実務における運用について研究してきました。 契約上の地位の移転は、かねてから判例や学説によって認められていた制度で、平成29年の改正民法が成立するまで、民法上の明文規定はありませんでした。仮に、一般の方が民法の条文を読んだとしても、契約上の地位の移転という制度があることを知ることはできず、教科書や専門書を読んで初めて知ることができる、という状況にありました。そのため、平成29年の改正民法における明文化は、「国民一般に分かりやすい民法」という改正の方針と一致しており、評価すべきことであるように思います。

また、明文化は裁判実務にもプラスに働くのではないかと考えています。というのも、契約上の地位の移転は、判例や学説で認められていた制度とはいえ、根拠となる条文がないために、実際の裁判では適用されにくい側面があるといわれていたからです。この制度を裁判で適用しやすくなったという点でも、明文化の意義は大きいように思います。

そのほかにも、企業などによる資金調達の場面では、資金調達の手段として債権を譲渡したり、債権を担保にして融資を受けたりすることがありますが、契約上の地位の移転もまた、資金調達の新たな手段になり得る可能性を秘めているように思います。明文化されたことによって、実社会で契約上の地位の移転がもっと活発に使われるようになると、そうした新たな可能性の広がりも見えてくるのではないかと考えています。

今後の展望

契約ごとの具体的な事情に合わせた規定が必要

契約上の地位の移転は、平成29年に成立した改正民法によって、明文化という大きな一歩を踏み出しましたが、克服すべき問題は、依然として残されています。 改正民法の539条の2は、契約上の地位の移転について、「契約当事者の一方が第三者との間で契約上の地位を譲渡する旨の合意をした場合において、その契約の相手方がその譲渡を承諾したときは、契約上の地位は、その第三者に移転する」と定めています。しかし、これは、いわば「契約上の地位は、譲渡当事者間での合意と第三者による承諾があれば移転させることができる」ということを示した一般的な規定にすぎません。

契約上の地位の移転は、先ほど例で挙げた賃貸借契約だけでなく、売買契約やフランチャイズ契約など、ありとあらゆる契約が対象となりますし、契約によって移転の目的や当事者間の事情も異なります。そのため、改正民法で新設された539条の2は、契約の多くに共通する一般的な内容のみを規定し、契約ごとの事情を勘案した具体的な内容については、判例や学説の解釈に委ねています。

解釈による要件・効果の具体化に際しては、実務に目を向けることが大切であると考えています。たとえば、539条の2は、契約上の地位の移転に際して、契約の相手方による承諾を要求しているため、フランチャイズ契約におけるフランチャイザー(本部)の地位を移転する場合には、フランチャイザーは、多数のフランチャイジー(加盟店)から承諾を得なければなりません。しかし、この点について、実務では、すでに「個々のフランチャイジーによる承諾を取り付けることが困難である」との声が上がっており、利用上の問題点が指摘されています。したがって、フランチャイザーによる契約上の地位の移転については、多数のフランチャイジーが存在するというフランチャイズ契約の特性も踏まえて、契約の相手方による承諾の要否や方法等を検討する必要があるように思います。今後の研究では、実務上の問題点に着目しつつ、外国法との比較を通して、学説を展開していきたいです。

教育

難しい法律用語を身近な例で分かりやすく

授業では、できるだけ分かりやすく、具体例を使って説明することを心がけています。たとえば、交通事故などの不法行為による損害賠償について規定した民法709条には、「故意」と「過失」という言葉が出てくるのですが、日常用語としては、「わざと」と「うっかり」といった意味合いで理解されているのではないかと思います。ところが、民法の世界では、故意は、「結果発生を認識かつ容認すること」、過失は、「結果発生の予見可能性があるにもかかわらず、結果を回避する行為義務に違反すること」と、より細かく定義されています。なんだか難しい言い回しですよね。私自身、法律学を学び始めたばかりの頃は、教科書や専門書に出てくる文章が難しくて、「これから4年間ちゃんとやっていけるかな……」と不安になった時期がありました。だからこそ、学生の皆さんには、私と同じような不安を抱かせないように、できるだけイメージしやすい具体例を用いて、「なるほど、そういうことか!」と思ってもらえるように努めています。

数年前、ある学生さんに「先生と出会えたおかげで、民法のおもしろさを知ることができました」と言ってもらえたときは、本当にうれしかったですね。学生の皆さんに「民法っておもしろいかも」と思ってもらえることが、教員としての一番の喜びです。

人となり

民法のおもしろさに目覚めた大学時代

-入学当初は暗記に必死-

お恥ずかしい話ですが、大学に入学して法律学を学び始めた当初は、初めて聞く言葉がたくさん出てくるので、授業についていくのがやっとでした。民法は、1年生のときに、第1編の総則に関する授業を受けるのですが、2・3年生で学ぶ債権の内容なども当たり前のように出てきて、「分かるような、分からないような……」と戸惑いながら授業を聞いていたことを覚えています。ただ、総則は、どうしてもあとで学ぶ分野と結びつけないと教えられないので、教える側の立場になってから、総則を分かりやすく教えることの難しさを痛感しました。

というわけで、お話が少し逸れてしまいましたが、1・2年生のうちは、法律学の難しさに戸惑いながらも、単位は取らないといけなかったものですから(笑)、なんとか期末試験を乗り越えるために、必死に条文や判例を頭の中にたたき込んで、暗記していました。

-人生を変えた池田眞朗先生との出会い-

そんな私が民法の研究者を志すようになったのは、大学3年生のときに、池田眞朗先生(本学法学部教授・法学研究科長、慶應義塾大学名誉教授)の「債権総論」の授業を受けたことがきっかけでした。 先ほどお話したように、法律学を学び始めた当初は、日々の授業で習った条文の規定内容や判例の文言、学説の議論を暗記するのに必死で、法の意義や法律学の役割について深く考えたことはありませんでした。そんな私に、「法とは紛争解決のための手段であり、どのようなルールがあれば紛争を未然に防ぐことができるのか、紛争当事者の利害関係を適切に調整するためにはどのようなルールが必要となるのかを探求することこそが法律学の役割である」と気付かせてくれたのが、池田先生の授業でした。

池田先生は、民法の債権総則にどのような条文が置かれていて、それぞれの条文に関連してどのような判例法理が形成されてきたのかについて、身近な具体例を用いて分かりやすく解説してくださっただけでなく、なぜそのような条文や判例があるのかを考えることの大切さを教えてくださいました。池田先生の授業を受けて、「なぜこのような条文が置かれているのだろう?なぜ裁判所はこのような判決を下したのだろう?」と考えるようになってから、民法には、さまざまな人の利益に配慮した規定や適切に当事者間の利害関係を図るための規定が数多く置かれていることを知り、もっと深く学んでみたいと思うようになりました。

また、池田先生の授業を受けて、「こんなにもおもしろくて、分かりやすい民法の授業があるんだ!」という驚きも感じました。池田先生は、ご自身の研究成果を踏まえて、最先端の議論に触れながらも、私たちに分かりやすいようにさまざまな実務の具体例を用いて授業をしてくださいました。自分が研究したことを学生に伝え、授業を受けた学生がその分野のおもしろさを知り、興味を持ってもっと学びたいと思うようになる――それって、すごく素敵なことだなと思いました。茨の道ではあるけれども、私も自分の研究や授業を通して、一人でも多くの後進に民法学のおもしろさを伝えることができたら、という思いから、研究者の道を志すようになりました。

-日課はウォーキング 10キロは当たり前-

昨年コロナ禍で授業がオンラインになり、通勤時間が大幅に減少したので、運動不足を解消するために、日課としてウォーキングを始めました。平日は1時間ほど、休日は、時間があれば一日中歩いていることもあります。おいしいものが買えるお店などをゴールに決めて、自宅から徒歩で往復するのが私流のウォーキングの楽しみ方です。往復10キロは当たり前で、最長で1日28キロ歩いたこともあります(笑)。

ウォーキングの効果なのか、以前よりぐっすり眠れるようになり、疲れを感じにくくなりました。また、ウォーキングを始めたことで健康を意識するようになり、食事に欠かさずベビーリーフを取り入れるなど、栄養バランスにも今まで以上に気を遣うようになりました。オンライン授業の期間中、学生さんから「自宅にいる時間が長くて、体調が優れない」という相談を受けたときには、自分の経験をもとに「負担にならない程度に、気分転換を兼ねて体を動かしてみてください」とアドバイスしていました。

▲昨年5月〜今年5月までの金生生の平均歩数
▲健康のために毎日欠かさず食べているベビーリーフ

―読者へのメッセージ―

民法は、私たちの日常生活に密接に関連している法律です。購入した商品に不具合があったら、売主にどのような責任追及ができるのか、交通事故に遭ったら、加害者にどのような責任追及ができるのか。民法には、こうした身近な法的トラブルの解決に役立つルールが数多く置かれています。また、民法の中には、知らないと取り返しのつかないことになってしまう制度もあります。たとえば、あるAさんが親戚のBさんから「Cさんからお金を借りたいから、連帯保証人になってほしい」と頼まれて、連帯保証人になったとしましょう。

Aさんとしては、「Bさんには、Cさんから借りたお金を返済するだけの能力もあるし、返せなくなることはないだろう」と考えて、連帯保証人になったのかもしれませんが、実は、連帯保証人になった場合には、主債務者であるBさんが返済可能かどうかにかかわらず、債権者のCさんから「Bさんの借金を返済してくれ」と請求されたら、いったんBさんの代わりに借金を返済しなければなりません。実際に、このことを知らずに、軽い気持ちで連帯保証人を引き受けてしまい、悲惨な状況に追い込まれてしまう方が数多くいます。

読者の皆さんには、このような法的トラブルに巻き込まれないために、また、仮に巻き込まれたとしても、当事者としてどのような請求・主張をすることができるのかを知っていただくために、ぜひ民法に興味・関心を持っていただけたらと思います。

取材日:2021年8月