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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第43回 臨床心理学通信教育部 人間科学部 松野 航大 講師

人との関わりに目を向け、こころを支援する

通信教育部 人間科学部 講師

松野 航大Matsuno Kodai

明治学院大学心理学部卒業。早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程研究指導終了。臨床心理士、公認心理師、産業カウンセラー。武蔵野大学通信教育部人間科学部助教などを経て、2022年4月より現職。カウンセラーとして心理支援にも取り組んでいる。専門は認知行動療法、家族心理学、家族療法、産業カウンセリング。

精神疾患などの心理臨床上の問題を抱えた人を、カウンセリングや心理療法によって支援し、改善を目指す臨床心理学。その専門家として、認知行動療法や家族療法などに関心を寄せる松野講師は、精神疾患を抱える人と家族への効果的な支援、働く人のメンタルヘルスに焦点を当て、研究に力を注いでいます。カウンセリングなどの心理臨床実践にも積極的に取り組み、多くの人のこころの健康を支援する松野講師の研究を紹介します。

研究の背景

「誰かのせいにしない」心理療法を研究

私は、臨床心理学、そのなかでも認知行動療法、家族心理学、家族療法、そして働く人の心理支援や職場環境の改善などに取り組む産業カウンセリングを専門としています。

認知行動療法は、さまざまな心理的困難に効果が示されている心理療法のひとつです。その人特有の認知(ものの受け取り方、考え方)や行動を変容したり、あるいはそれらを受容したりすることを通して、今ある困難の改善を目指していくという特徴があります。また、家族心理学や家族療法は、夫婦や親子など家族との関係性、周囲と関係性に注目して、研究や支援を行っていきます。
認知行動療法と家族療法には、その人に関わる環境を変えたり、周りの人との関係性に介入したりすることで困難を改善できないかを探っていく、という共通点があります。“心理的な問題”と聞くと、つい「その人自身の内面に問題があるのでは?」と考えてしまいがちです。しかし、認知行動療法や家族療法は基本的に困難を抱えているご本人や周りの人にその原因を求めないという視点があります。つまり、このふたつの心理療法は、心理的な困難が生じた時、それを「誰かのせいにしない」心理療法といえるわけです。その点に魅力を感じてこの分野の研究に取り組んでいます。

研究について

感情調節困難の本人と家族をどう支えるか

ボーダーラインパーソナリティ症、双極症をはじめとするいくつかの精神疾患では、怒り、ゆううつ感,不安などといった感情のコントロールが難しいという特徴がみられ、これを「感情調節困難」といいます。現在私が取り組んでいる研究のひとつが、そうした感情調節困難を抱える方やそのご家族の心理支援です。

▲松野講師が共著した書籍

感情調節困難は、ご本人はもちろん、ご本人を支えている家族もつらさや悩みを抱えていることが少なくありません。たとえば、「本人が苦しんでいる時、どう助けてあげればいいか分からない、良かれと思ってした関わりが逆効果になってしまう」といったことで悩んでいるご家族は多く、そうした状況が長く続くと、家族自身も心理的な苦しさを抱えてしまうことがあります。ところが、家族に対する支援はまだまだ十分ではないのが現状です。私自身がカウンセラーとして感情調節困難を抱える方やその家族と関わる中で、双方を支える必要性を強く感じるようになりました。そういった背景もあり、認知行動療法や家族療法の観点から、感情調節困難への心理支援について研究を行っています。
具体的には、感情調節困難が生じるメカニズム、感情調節困難に対する支援とその効果、さらに、家族の支援、ご本人のサポートにつながる効果的な家族の関わり方などについて、理解を深めているところです。個人のカウンセリングに加え、感情調節困難を抱える方や家族のグループセラピーなど、臨床実践も行いながら、より良い支援を提供するため、研究に力を注いでいます。

働く人の心の健康を研究と実践でサポート

大学院修士課程修了後にカウンセラーとして働き始めた頃から、社会人の心理臨床、働く人のメンタルヘルス支援に幅広く関わってきました。現在も、企業、行政機関などの組織で、マネジメント、ハラスメント、コミュニケーションなどに関する研修やコンサルテーションを行っていて、働く人のメンタルヘルスの向上や職場環境の改善を目指したさまざまな心理支援に取り組んでいます。

2014年の労働安全衛生法改正によって、50人以上の従業員を雇用する会社では、年に1回以上ストレスチェックを実施することが義務化されました。ストレスチェックはいわば「こころの定期健診」であり、働く人の健康を考える上では、からだの健康だけでなく、こころの健康もとても重要です。実際、ここ15年の長期病休者数のデータをみると、身体疾患が理由でお休みされる方に大きな増減はありませんが、メンタルヘルス不調でお休みされる方については急激な増加傾向にあることが分かります。働く人のメンタルヘルスの重要性に社会が目を向けるようになったことは、とても意義のあることだと思います。

私が心理臨床の実践家、研究者として働く人に関わっていて感じるのは、多くの組織で、部下や後輩の教育指導、職場のマネジメントに関する知識や技術が、しっかり教えられてこなかったという現状です。もちろん、従来のやり方にも良い面や意味があるからこそ継承されてきたのだと思いますし、それを否定するということではありません。ただ、より良い教育やマネジメントの方法が新しく生まれていて、それを職場に導入することで、みんながもっと楽しく生き生き働けるようになることも、たくさんの方に知ってもらいたいと思っています。研究と並行して実践にも力を入れ、心理学の有益な知見を現場に届けていくことも大切にしていきたいと考えています。

今後の展望

認知行動療法に家族療法の視点を

これまでの認知行動療法は、主に困難を抱える個人に焦点が当てられることが多く、個人に対してどのように心理療法を提供していけるかに重きが置かれてきました。もちろんそれは絶対に必要なことではあるのですが、一方で、認知行動療法において家族にスポットが当たることは、あまりありませんでした。

家族療法では、「人は世の中にポツンとひとりで存在しているのではなく、常に誰かと関わり合い、影響し合いながら存在している」という捉え方をしていて、その関係ごと視野に入れて困難の解決策を探っていきます。その視点を認知行動療法に取り入れる。つまり、認知行動療法と家族療法の統合を図ることで、個人に対しても、家族に対しても、より効果的な支援が期待できると考え、今後はそこに重点を置いて研究を深めていくつもりです。
また、産業カウンセリングの領域では、職場のメンタルヘルスの問題をできるだけ予防していくこと、ひとりでも多くの人が楽しく働ける職場を増やしていくことを目指しています。研修などの機会や、社会人の学生さんが多く集まる大学の通信教育部での授業を通して、広くたくさんの方に心理学の研究成果を発信し、世の中のために役立つことをお伝えしていきたいと考えています。

教育

「あえて理想を語る」のが自分の役割

通信教育部には、現役の社会人としてバリバリ働いている学生さんがたくさんいらっしゃいます。通信教育部の教員になった当初、私にはとても不安に感じていたことがありました。それは、講義で学術的、理論的な話をしても、社会経験豊富な学生さんから「いや、先生はそう言うけど、現実はそんなにうまくいかないよ」と言い返されてしまうんじゃないか、ということです。

ところが、実際に授業をしてみると、そんな心配をする必要はなかったんだとすぐに分かりました。通信教育部の学生のみなさんは、少しでも多く心理学の知識を持ち帰り、自分の生活や仕事に生かそうという、強い想いと目的意識を持って学んでいらっしゃるからです。また、実社会で理想を学べる場所は少なく、大学の授業で私が理想を語らなければ、学生さんはどこで理想を知ることができるんだろう、とも思いました。少し格好をつけすぎているかもしれませんが、そこからは、理想をそのまま伝えることが私の役割であり、学生さんにはそこから取捨選択してもらえばいい、という考え方にガラッと変わりました。ですので、授業では「私は理想を語ることが自分の役割だと思っています。それをどこまで実生活に生かしていただくかは、みなさんにお任せしますね」とお伝えしています。ただ、もちろん理論と実践ができるだけかみ合うような内容を意識して、ワークやグループディスカッションをたくさん行い、学びを職場などで使いやすくする工夫もしています。学生さんには授業で学んだことを少しでも日常生活に還元してもらえたら良いなと思っています。

人となり

音楽、コーヒー、食。好きなことに囲まれて

ひとつの趣味に没頭するとか熱中するということがあまりないのですが、音楽は昔からずっと好きで、中学は吹奏楽部、高校は軽音楽部、大学でもバンドのサークルで活動していました。以前はギターやドラムの演奏もしていたんですけど、最近は聴く方がメインですね。聴くのはもっぱらジャズやフュージョン。ライブにもちょこちょこ行きます。
ひとつのことにハマらないかわりに、好きなことは結構多くて、音楽のほかにも、美術館に行ったり、落語を聴いたり、おいしいお店を探して食べに行くのも好きです。コーヒーも毎日のお供で、その日の気分によって豆や淹れ方を変えて楽しんでいます。自宅で好みのコーヒーを淹れて、チョコレートやポテチを食べながら、撮り溜めたテレビ番組の録画を観てまったりするのが至福の時間です。

スキューバダイビングで海と一体になる

頻繁に行けるわけではないのですが、スキューバダイビングも趣味の一つです。大学院の博士課程の時に、知り合いの先生と一緒に八丈島にライセンスを取りに行って、そこからですね。海の中にいると、冷たくてふわふわした浮遊感があって、無心になれる。広い海と自分が一体になったような感覚があって、それがたまらなく好きです。八丈島で潜った時は、ウミガメも見られて感動しました。でも一番思い出に残っているのは沖縄の海。現地のインストラクターさんが太鼓判を押すほどコンディションが良く、水がきれいで、水中で見た光景もこの世のものとは思えないぐらい美しくて、本当に感動しました。ここ数年はコロナ禍もあってなかなか海に行けていないので、またぜひ行きたいですね。

―読者へのメッセージ―

心理学は、自分にも他人にもやさしくなれる学問だと思っています。私たちが生きていく上で、自分を含め、「人」と関わることを避けて通ることはできません。心理学は、一人ひとりのこころについての学問です。心理学を学べば学ぶほど、ご自身や周りの人への理解が深まり、自分も他者も、一人ひとり違うかけがえのない存在であることを認められるようになるはずです。そして、その学びは、きっとみなさんの生活を豊かにしてくれると思います。ぜひ気軽に心理学に触れ、学び、たくさんの“いいこと”を見つけてもらえたらうれしいですね。

取材日:2024年1月