学問の地平から
教員が語る、研究の最前線
第24回 日本文学・和漢比較文学
本学の教員は、教育者であると同時に、第一線で活躍する研究者でもあります。本企画では、多彩な教員陣へのインタビューをもとに、最新の研究と各分野の魅力を紹介していきます。
第24回 日本文学・和漢比較文学文学部 日本文学文化学科 楊 昆鵬 准教授
和と漢の文学が響き合う和漢聯句(わかんれんく)の世界
今後の展望
和漢比較文学への理解を深めたい
先ほどもお話ししたように、和漢聯句は研究分野としてはまだ蓄積が浅く、今後も資料の発掘や作品の読解などの基礎研究をさらに進めていきたいと考えています。そして、和漢聯句の言葉や表現、詩想、連想方法などに注目し、日本と中国の伝統の違いによって創り出される面白さを追究していきたいです。
 
また、日本文学の中では、聯句の研究もまだ発展途上です。和漢聯句を理解するには、同じ人たちが作った聯句、同時代の聯句との比較も重要だと考え、最近は聯句にスポットを当てた研究にも取り組んでいます。和漢聯句や聯句の研究を通して、和文学と漢文学の折衝や融合、新しい文芸が生まれる過程と思考のメカニズムを解き明かし、和漢比較文学への理解をさらに深めていきたいです。その研究過程で、中国語ネイティブである私自身の強みが少しでも発揮できればうれしいですね。さらにいうと、それら「小さい」ジャンルの研究を踏まえて、日本漢文学や日中比較文学の広い範囲でさまざまな問題に取り組んでいけたらと思います。
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教育
漢文への苦手意識を払拭して学びの扉を開く
私が担当している漢文学の授業は、文学部日本文学文化学科の1年生の必修科目です。最初の授業では学生に漢文に対するイメージを聞くのですが、「好き」「得意」と答えてくれる学生は、残念ながらあまり多くありません。ですから、毎年私の授業は漢文への苦手意識を払拭するところから始まります。

古代から明治時代にかけて、日本で作られた文書や文章は圧倒的に漢文や漢文訓読体が中心でした。日本の古典といえば、源氏物語や伊勢物語といった作品や和歌を思い浮かべますが、こうした文芸には漢詩や漢文がさまざまな影響を与えています。また、日本語の文体、熟語、表現の多くは漢文から変化したものですから、日本語それ自体も漢字や漢文と切り離すことはできません。かつての日本人がどんな文章を読み、創作していたかを学ぶためには、漢文を避けて通ることはできないのです。

また、多くの学生は漢文を「中国の昔の文学」と考えていますが、漢文の授業は、日本人がいかにして中国の古典典籍を読み、理解してきたかを学び、日本人が漢文体で創作した作品を勉強するものです。たとえば夏目漱石の小説にはたくさんの漢文や漢語が使われ、作品に深みを加えています。漢文をしっかり学ぶことで、漱石のような文学者の作品をより理解できるようになるだけでなく、自分が創作する側になった時も深く豊かな表現ができるようになるはずです。

漢文教育についていろいろな見方や意見があるとは思うのですが、少なくとも日本文学や日本文化を学ぶ学生には漢文を勉強する必要性を理解してほしいと思い、その意義を丁寧に伝えるようにしています。私の話をきっかけに漢文に興味を持ってくれる学生も多く、みなさんとても熱心に勉強してくれているのをなによりうれしく思っています。
人となり
日本への留学中に“運命の出合い”
子どものころから中国文学が好きだったのですが、外国語や日本にも興味があり、大学では日本語日本文化を専攻しました。学部4年生の時に福井大学に短期留学し、そこで出合ったのが和漢聯句や和漢俳諧です。指導していただいていた先生に「あなたは中国出身だから理解できるかもしれないね」と言われて和漢聯句を読んでみたのですが、和語と漢語が混ざっていて、分かりそうでよく分からない。それで、純粋に興味をそそられました。少し大げさに言えばその時に運命を感じたんですよね。しかも、まだほとんど研究されていない領域だと聞き、大変だと思いながらも自分で調べてみようと思いました。短期の留学ではありましたが、そこでの出合いが研究者になる契機となりました。今、学生のみなさんにも、ぜひ学部生時代に自分の学ぶ環境から飛び出し、新しい刺激を受けることをおすすめしたいですね。
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草花を育ててあらためて思うこと
趣味は多い方なのですが、昔から続けているのは水泳、水彩画、書です。水泳は日本に来た20年ほど前に始めて、今も週に一度はプールに通って体力を維持しています。水彩画や書は子どもと一緒に楽しんでいます。

コロナ禍になってから園芸にハマっています。小さな庭ですが、季節ごとに花を楽しめるよう工夫していろいろ育てています。

毎日植物を観察し、植物と対話していくうちに、あらためて「時間をかけて育てること」の面白さが分かってきました。今の社会は何事もスピードが求められ、すぐに結果が見えるものばかりを追求してしまいます。しかし、植物を育ててみると、数カ月、半年経たないと結果は見えません。園芸を通して、丹念に根気よく、長いスパンで何かを成し遂げることの楽しさと大切さを実感しています。
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―読者へのメッセージ―
先ほどもお話しした通り、日本の古典文学の中で漢文は大きな役割を果たしていますが、そのことがあまりにも見過ごされているように思えてなりません。もっと言えば、今の日本の社会は、漢字をより大事にして、国語や文学をより重視すべきではないかと思います。文学とは、小説や詩といった文芸作品だけを指す狭義的なものと限定されがちですが、歴史も哲学も芸術も法律も、人間の思考を表現したものはすべて「文学」ではないでしょうか。ぜひより広い視野で文学を捉え直し、人文学を学ぶ意味と重要性をみなさんにも感じていただきたいと願っています。
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取材日:2022年6月