学問の地平から
教員が語る、研究の最前線
第33回 芸術教育学
本学の教員は、教育者であると同時に、第一線で活躍する研究者でもあります。本企画では、多彩な教員陣へのインタビューをもとに、最新の研究と各分野の魅力を紹介していきます。
第33回 芸術教育学教育学部 幼児教育学科 生井亮司教授
アート的視点でこの世界を探究する力を
今後の展望
アート的見方を広めて世界をより面白く
先ほど私は、さびの色を「なんかいい」と感じることを大人になると「忘れてしまう」と言いましたが、本当はそうではない気もしています。実はみなさん大人になっても、言語化しにくい「なんかいい」という感覚で世界を見ているのだと思うのです。身の回りの服や靴を買う時、サイズや値段はチェックするにしても、最終的に「なんとなくしっくりきた」ものを選んだりしませんか? その時の「なんかいい」は、言葉で説明する必要はなくても、確かにみなさんに働いている“知性”です。“芸術的知性”といってもいいかもしれません。その知性は、美術が得意な人に先天的に備わっている類いのものではなく、訓練や経験で増やしたり身に付けたりしていくものだと、私は考えています。美術や表現の教育で本当に大切なのは、絵の描き方や造形作品の作り方よりも、意味や価値にとらわれない自由な物の見方を教えること、そうした見方をする訓練の場を提供することなのかもしれません。
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アートはこれまで、個人の内的な問題を表したもの、情緒的で感性的なものとして人々に受け止められてきました。「どのアーティストも何か大きな苦悩のようなものを抱えていて、それを作品として表出している」、そんな印象を持っている方もいるかもしれません。ただ、そうだとすると、人生にドラマや大事件がないとアーティストにはなれない、ということになりますよね。そんなことはないんです。すべての人がアート的な見方ができるし、そうすることで世界がもっと面白く見えてくるはずです。今後、ABRに関する研究をさらに深め、「アート的に世界を探究すること」が、人間の可能性を広げるものであるということを、より多くの人に認識されてほしいと思っています。さらに、その時に働いている“芸術的知性”とはいったいどのようなものなのか、研究を通じて少しでも明らかにしていきたいです。
教育
授業では自由に表現し、自分に正直に
幼児教育学科では、保育内容(表現)や造形の授業を担当しています。そこでは、表現は本当に自由であるということを学生に伝えたいと思っています。授業中に「やってはいけないこと」を聞きにくる学生がいますが、表現することは徹底的に自由にやっていいし、誰かにブレーキをかけられるものではありません。自分の感情や感覚に素直に、正直であってほしいと願っています。キャンバスの中では徹底的に正直に自由でいいんです。
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▲先生の著書と作品集

当学科の学生の多くは子どもと関わる仕事に就きますが、先生や親になると、つい子どもに「早く大人になること」を求めてしまいます。早く字が書けることをとても良いことだと思い、周りの子より食べるのが遅いと「困った子」と感じてしまう。かく言う私も、自分の子どもに対してはそういうところがありました。ただ、子どもでいる時間はいずれ必ず終わるわけですから、本当は「子ども」を十分やらせてあげること、子どもでいることを守ってあげることが大人の役目です。十分に子どもをやらないと十分な大人にならないんです。そして子どもの時、その瞬間にしか味わうことができないことがあるということを知っていて欲しいと思います。もちろん、社会で生きていくためには、時間通りに行動することも勉強ができることも大事ですが、それだけが正しいわけではないと思うのです。自由に表現し、自分の感覚に正直であること。「なんかいい」という感覚と面白さを体感すること。それを学生時代に経験して、「子どもが子どもでいること」を守ってあげられる先生になってほしいと思います。
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▲博士課程時代の大学のアトリエ。作品提出前の徹夜での制作風景。

人となり
幼稚園の庭で“動き出した”ツゲの木
小さい頃から絵を描くことは好きだし、上手な方でしたけど、そう言うとステレオタイプな感じがするのであまり言わないようにしています(笑)。本当に好きだったのは、ぼーっとすることや全てを疑ってみること。ぼーっと雲を見たりするのが好きでした。今でもよく覚えている光景があります。幼稚園の中庭にツゲの木があって、その木をぼーっと眺めているのが本当に好きだった。ぼーっと見ていると、そのうちに、ツゲの木が“動き出す”んですよ。動くんです。木だと思って見ていたはずなのに、何か別の変なものに見えてくる。その感覚がすごく面白くて、いつも眺めていました。物を見ることをすごく楽しんでいたというのでしょうか。その経験がどこか今の研究にもつながっている気がします。

そんな感覚はずっとあって、学校に入ってからは筆記テストで「答えはこれです」と決められるのが苦手でした。ツゲの木がツゲの木に見えなくなるんだから、その答えだって「本当に?」と思っちゃう。そういうことを言ったり書いたりすると、授業中は先生も「面白いね」って言ってくれるのに、テストだと×なんですよね(笑)。
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時間を忘れる地図の旅
ずっと哲学書を読んだり作品を制作したりするのが趣味だったのですが、今はそれが仕事になってしまいました。今ハマっていることの一つは、地図を見ることです。グーグルマップを見ない日はないくらいで、ニュースなどで海外の知らない街の名前が出てくると、必ず検索します。最初は日本からの位置を見て、どんどんズームして、最後にストリートビューを見て「おお!こういう街ね!」と分かるのがすごく楽しい。やっていると時を忘れます。
 
新型コロナでゼミ旅行ができなかったときは、その代わりにグーグルマップを使って学生に「妄想ゼミ旅行」を企画してもらったのですが、それもすごく楽しかった。バーチャルですから世界中どこでも行き放題。それぞれが行きたい美術館を起点に、行き帰りのフライトから、ホテル、どこのカフェでお茶を飲んでどこでどんなお土産を買うかまで、プランを立ててプレゼンしてもらいました。「この季節、この時間にこの場所に行くと夕日がきれいです」みたいなことまで細かく調べてくれて、本当に行った気分になって楽しかったですね。
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―読者へのメッセージ―
「常に無欲、以て其の妙を観、常に有欲、以てその徼を観。」と老子は言いましたが、分節可能な数値や理論で説明できるものに囲まれて暮らしているようで、本当は私たちの世界は、目に見えないもの、論理では説明や判断ができないようなもの、いわば無自性と言ってもよいような世界に支えられているのではないかと思います。「なんかいい」「よくわからないけど大事」という感覚、信頼や願い、そして祈り。そういった目に見えないものを「あやしい」と言う人もいますが、人間の知性とは、本来もっと豊かなものだと思うのです。有用性や意味にとらわれない見方で世界を深く見つめること、目に見えないものが社会を根底で支えていることを忘れないでほしいと思っています。
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取材日:2023年3月