第1回 古文書学 文学部 漆原 徹 教授 ※取材当時
科学的アプローチで、
古文書学の再構築に取り組む
文学部 教授
漆原 徹Toru Urushihara
慶應義塾大学文学部卒業。慶應義塾大学文学研究科日本史専攻修士課程修了。博士課程単位取得退学。文学博士(史学)。東京都港区文化財保護調査員、慶應義塾大学・大学院講師、山脇学園短期大学教授などを経て、2010(平成22)年より現職。
みなさん、古文書学というと、図書館や博物館の奥にある静かな所蔵庫で、ひたすらくずし字や万葉仮名を追っているという職人的なイメージを持たれているのではないでしょうか?そこで今回は、科学的な分析や他の学術分野とのコラボレーションを駆使し、歴史研究の基礎学である古文書学の新たな地平を切り拓いている、文学部の漆原徹教授の研究をご紹介します。
進化する古文書学
従来の研究で読み解けなかった史実を、科学的に明らかに
これまでの古文書学のあり方
従来、歴史学では、史料である古文書から読み取れる「文字情報」の研究に重きが置かれてきました。内容や人名、地名、年号など、あくまで研究の対象は「書いてあること」という考え方ですね。
しかし、その古文書が写しではなく実物である場合、実は文字情報以外にも多くの情報を読み取ることができるのです。
例えば、日本は格式を重んじる社会ですので、地位や立場、文書の種類によって、発給する文書に使う紙、差し出すときの折り方などがある程度決まっています。
そこで、どんな紙が使われているか、どういう折り方がされているかといった素材や外見の情報、つまり「非文字情報」をきちんと見ていくことで、その文書の歴史的な裏付けを読み解くことができるのです。
科学的なアプローチで、古文書学の地平を拡大
そこで私たちは、従来の研究手法をさらに一歩前にすすめるべく、これまでの手法とより科学的な手法を組み合わせた、新たなアプローチでの研究に取り組んでいます。
具体的に言うと、古文書を顕微鏡や精密な重量計で調べ、紙の繊維や密度、使われている墨の種類などを分析し、その結果を史料研究に活用していくというものです。
それでなにがわかるのか。例えば、和紙の三大原料として
「楮(コウゾ)」「三椏(ミツマタ)」「雁皮(ガンピ)」があり、繊維をつなぎとめる填料としてのトロロアオイなどの糊と米粉やカオリンなど、いくつかの素材の組み合わせがあります。摂関家や将軍家、あるいは守護などから発給される文書は、様々な用途によって、書式・様式が決まっていて、それらについては、従来の研究で文言や形式が類型化されてきました。それらの文書は文書の様式や時期によって、使用される料紙も決まっていたはずだということです。つまり従来の研究蓄積に私たちの計測結果を組み合わせていくことで、古文書の史料としての情報量や価値を飛躍的に大きなものとすることができるのです。当然室町時代の文書と思われていたものが、江戸時代の紙を料紙として使っていることがわかれば、後世の写しということになります。料紙研究の進歩は、従来より高度な史料批判を可能にするのです。
文化財としての 古文書保存の常識が変わった
こういった研究が進んだことで、古文書の補修や保存の方法も変わってきました。従来は、いかにきれいにして残すかということが重視されていたため、裏打ちして表装する、あるいは巻物にするという保存方法が取られてきました。 しかし、そういった加工をしてしまうと、重要な非文字情報である折り目や虫食い穴はなくなってしまいますし、多くの場合、紙の繊維の情報も判別できなくなってしまうのです。 そこで、非文字情報の重要性や、科学的な分析の必要性が認識されてきた昨今では、受け継がれてきたかたちそのままに保存することが主流になってきています。
他の学術分野とのコラボレーションも
新しいテクノロジーの活用のほか、他の学問領域との連携にも着手しています。特に最近は、書道学との連携に大きな可能性を感じています。従来、きわめて親和性が高いにもかかわらず、古文書学と書道学の学問的な交流はあまり行われていませんでした。 しかし、書道学の先生は、筆の運び方などについて古文書学にはない研究の蓄積を持っていらっしゃいます。例えば、文書の筆跡から、書き手がどういったところで教養を得た人物なのかを類推するといったことが可能なのです。 当時の高位の人たちは、寺院に入って、あるいは僧侶を師として文字を学んでいった人物が多いわけですが、その際にお手本になる経典や古籍は、それぞれのお寺が写本を作って保持していましたので、自ずとその写本に似た字を書くようになります。どこで誰の書を手本に文字を習ったかということが筆跡に現れてくるのです。 実際、教育学部教授の廣瀨裕之先生(書道学)と京都の神社が所蔵する古文書を調査した際は、古文書学の視点からだけでは得られない、数々の貴重な知見をいただくことができました。
研究者としてのあゆみ
きっかけは『平家物語』
歴史に強い関心を抱くこととなった原点を振り返ると、小学校低学年の頃、児童向けの『平家物語』を手にしたことが大きなきっかけだったように思います。源平の戦いの描写に胸を躍らせ、武士の活躍に大いに興味を抱きました。その後、『平家物語』に対し、源氏側の視点で同時代を描いた作品だと勘違いし、『源氏物語』を購入してがっかりしたのをよく覚えています(笑)。 その後、中学受験を迎える頃には、中央公論の『日本の歴史』がすっかり座右の書になっていました。そこで読み込んだ内容に比べ、学校の授業や入試問題で求められる歴史知識がいかに表層的なものかというのを実感しました。その年頃で「教科書に載っていることはほんの一部に過ぎない」と理解できたことは、研究者の道を歩むのに大きく影響したと思います。
調査対象との信頼関係の大切さを学んだ 学部・大学院時代
その後、大学で史学の道に進みましたが、当時は、大学が所蔵する貴重な古文書を、学部生でも気軽に手にとることのできる時代でした。また、当時の高名な先生にマンツーマンで指導していただく機会を得るなど、大変恵まれた学部・大学院時代を過ごしてきたと思います。 また、今では考えられませんが、個人が所蔵されている貴重な古文書を拝見できる機会があるとなると、すぐにどこでも行きました。教授に昼頃研究室に呼ばれて、「文書の調査があるから明日の正午に鹿児島に車で来なさい」と(笑)。そうすると、研究仲間と一緒に夜通し車を走らせて、現地に向かうわけです。 大抵の場合、訪問した旧家の方の第一声は、「まあ、一杯!」。こちらは疲労困憊で、お酒をご一緒する気分ではないのですが、でもそこを断ってしまったら、ご協力をいただけなくなってしまう。 でも、頑張ってそこできちんとお付き合いすると、当初予定していた以上の古文書を出してくださったりするのです。研究対象や協力者との信頼関係の大切さを、身を以て学びました。
教科書に影響するような発見も
昨今、これまでの研究によって、歴史教科書の記述が変わったというような話題がテレビでも取り上げられ、私も歴史愛好家の方によく質問を受けます。
その場で発見に関わったものはいくつかありますが、代表的なところで、源頼朝の花押だと思われていたものが、後世の写しだと判明した瞬間に立ち会ったことがあります。
御家人に発給した下文で、高校の教科書などにも取り上げられる有名な古文書だったものを、若手研究者時代に他の先生方と直接目にする機会がありました。すると、本来は右筆が本文を起草し、将軍は花押を添えるわけですから、本文と花押とでは異なる墨が使われるはずなのですが、それが同じ墨で書かれていたのです。他の先生方も、「これはおかしい」ということになり、最終的に、一人の人間が書き上げた写しであるという結論になりました。
その後、その場での議論が定説として浸透していき、次第に教科書にも使われなくなっていきました。
今後の展望
古文書学を学ぶ人の必携書となる 一冊を書き上げたい
当面の目標としては、現在の研究をさらに進め、古文書ごとの紙の産地を特定し、さらにはその流通過程まで明らかにしていきたいと思っています。 また、当時の文献・記録などで示されている紙の名称が、現在残っている古文書の紙のどの種類にあたるものなのか、実はほとんどわかっていないのです。 データを積み重ねることで、ここをクリアにしていけば、より多くのことを明らかにできると思います。 そして、それらの知見も含め、古文書学の体系的な教科書を作りたいと思っています。これまでも、もちろん様式と機能についての概説的なものはありましたが、料紙論を加えたものはありませんでした。ぜひ、古文書に関心を持つ人なら誰もが手に取る一冊を書いてみたいですね。
―読者へのメッセージ― 古文書学の魅力にぜひ目を向けてください
実は、古文書学は、古文書が世界一たくさん残されているという日本文化の特徴そのものを学ぶことなのです。 日本に紙の製法や公文書のあり方を伝えてくれたのは中国ですが、度重なる王朝交代で歴史的な文書の多くは失われてしまっています。 日本は、各地のお寺が文書保管機能を担ってきたこと、武家など先祖の由緒を重視する文化、そして何より紙の質が良かったことにより、未だに新たな発見が続くほどに、多くの古文書が受け継がれているのです。 みなさんの身近にも、埋もれてしまっている古文書があるかもしれません。ぜひその価値に目を向けていただけたら幸いです。 古文書は我々に過去を語るだけでなく未来を教えてくれる大事な歴史の史料なのです。