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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第35回 応用数理学工学部 数理工学科 時弘哲治 教授

多彩な技術分野を支える数理工学

工学部 数理工学科 教授

時弘 哲治Tokihiro Tetsuji

東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程修了。東京大学大学院工学系研究科博士課程中退。ペンシルバニア大学物理学科博士研究員、東京大学大学院数理科学研究科教授を経て、2022年4月より現職。専門は応用数学、数理物理学。

天気予報や美味しい肉の熟成方法の開発から最先端の再生医療まで、数理工学は目に見えないところで私たちの生活と密接に関わり合っています。さまざまな現象を数学的なモデルで表すことで、現象の理解が深まり、予測することができるようになります。数学を用いることで、工学の問題を解決していく時弘哲治教授の研究をご紹介します。

研究の背景

曖昧さがない数学の世界に惹き込まれた

高校生のときに、講談社の「ブルーバックスシリーズ(一般向けの科学読み物)」を読んで、「相対性理論」や「量子力学」にとても興味を惹かれました。思春期だったこともあって、自然の原理を理解することで、人間の存在や自分の存在の意味がわかるかもしれないなどと考え、大学では物理学を勉強したいと思うようになりました。
しかし、大学入学後に物理学が自分の考えていたものとは違うように思われ、結局、物理学を応用する応用物理学科に進学しました。ただ、そこでも、物理学とは何かあやふやな感じがしたままでした。
数学の世界に目が向くようになったのは、1年間、アメリカのペンシルベニア大学の物理学科のポスドク(博士研究員)をしたときでした。そのときの受け入れ教員であったTom Lubensky教授の説明は、論理の展開に必ず数学を用いて、物理現象の説明がとても納得がゆくものでした。そこで数学を用いて記述することの意義を感じました。特に数学が「役に立つ」ことを実感し、応用数学のテーマを研究したいと考えるようになりました。

モデル化して、予測し、実験結果と比較する

厳密な定義から出発して、精確な論理により証明されたもののみで構成される数学は、科学における共通言語であり最も信頼できる論証のための道具です。自然現象の根底にある基本原理を見出す学問が物理学ですが、その基本原理を表現する言葉や基本原理から何がわかるかを導く手段は数学です。

ポスドク時代は、ちょうど新しい数学が必要な物理現象が現れてきた時代で、自分の数学への関心が高められました。たとえば、クエイサイクリスタル(準結晶:周期性のない回折パターンを示す物質)が発見されたときは、特異連続スペクトル(解析学)や円分体の類数(整数論)など、また、量子ホール効果(電気伝導率がとびとびの値しかとらない現象)の発見ではトポロジカル不変量(位相幾何学)など、当時は物理学においてあまり一般的でない新しい数学の知識が必要でした。
新しい物理現象も、量子力学や統計力学の原理―それは数学の言葉で表現されています―を基に数学的なモデルを構築することで、その現象がどのようにして起こるのかを解明することができるようになります。さらに、変化を予測することも可能になります。そして、実験結果と予測を比較することで、モデルの精度を上げたり、より複雑な現象を説明できるようになっていきます。

研究について

心臓の拍動のモデル化に成功

10年ほど前のちょっと古い話ですが、心臓の拍動(鼓動)について研究しました。心臓の細胞は一つひとつが拍動しているのですが、細胞が離れていると、細胞ごとに拍動の速さが違ったり、規則的だったり不規則だったりします。ばらばらに拍動する細胞が一つに集まったとき、どのタイミングで拍動するのか、その理由は何かを早稲田大学の先生と共同で研究しました。
その結果、規則正しく拍動している細胞に合わせて拍動することが分かってきました。なんとなく、規則正しい方に合わせるほうが、生物にとっては有利のような気がします。そこで、数理モデルを作って分析したところ、恐ろしいほど実験結果と一致することがわかりました。

そのときに構築した数理モデルは、簡単に言うと,心臓の細胞を周期的に運動する振り子として表したものです。規則正しい拍動をする細胞は外部からの擾乱(乱れ)に強いと考え、質量の大きな振り子とします。逆に擾乱に弱い不規則な拍動のものは質量が小さい振り子とします。これらを並べ結合したときに、どちらの振り子の振動に統一されていくのか。直感的には重い方の振り子に合いそうな気がしますし、数理モデルでもそうなりました。
生命の体の中の現象は、一見、数学で表すのが難しいような気がしますが、医学の分野でもこんなに数理モデルと実際の実験結果が一致するのだと、自分でも驚いたことを覚えています。

血管新生のモデル化に挑む

現在、取り組んでいるのは、新しい血管が成長(血管新生)する際の仕組みです。東京大学医学部の栗原裕基先生の研究室の血管新生の実験的な研究をもとに、内皮細胞たちが血管網を構成したり、胚に生まれた血管がやがて心臓を形成する過程を数理モデルによって表し、遺伝子発現から心臓形成までをつなぐ数理モデルとその基本原理を研究しています。

最初に考えたのは、細胞をひとつの「点」で表して、点と点が近づくと反発するが、ある程度離れると今度は引きつけ合うという単純なモデルでした。非常に単純なモデルでしたが、血管を構成する内皮細胞の運動(セルミキシング)をある程度説明できることが分かりました。この結果には医学部の先生方も驚いていました。

▲先生の著書

次にモデルを少しだけ複雑にしました。今度は細胞を点ではなく、楕円にしたモデルを作りました。楕円にすると、点のときには起きない回転運動など、さまざまな運動が起こります。楕円にすることでより細胞らしい動きをモデル化することができるわけです。楕円は円に近いものから細長いものまでありますが、平べったさに対応するパラメーター(扁平率)が血管を作る上で重要なパラメーターであることが分かってきています。
そのほかには、数学的な話題になりますが、超離散化と呼ばれる連続的な方程式からセルオートマトン(空間に並べたセル同士が相互作用して変化していくモデル)を構成する手法の拡張や、一般にソリトン方程式と呼ばれる性質の良い方程式を一般化することを研究しています。また、ファジーセルオートマトンと呼ばれる数学的な道具で、交通流などの問題に取り組んでいます。

今後の展望

遺伝子から細胞、細胞から器官、そして臓器へ

最近は数理医学分野に興味を持っています。特に、生体の形態形成の原理を調べています。細胞が集まって機能を獲得し、その集合体が器官になり、さらには臓器を形成して一個の生体となる過程を、数学的に記述して、生体における形態形成の基本原理を見出したいと考えています。

詳しく説明すると、遺伝子から人間などの生物までには、大雑把に、遺伝子-細胞-器官-臓器-生体という階層があります。さらに詳しく見ると、遺伝子と細胞の間にも、アミノ酸やタンパク質という階層もあります。

これらの階層は一方向の相互作用ではなく、遺伝子から細胞へ、逆に細胞から遺伝子へ、細胞から器官へ、逆に器官から細胞へという相互作用があります。これには、素粒子から原子が構成され分子を作り、さらにマクロな物質系となるというものとはまったく異なる原理が働いていると考えられます。こうした階層間をつなぐ原理を、数学の言葉で記述することが大きな夢です。
現在、iPS細胞などを使った人工臓器の作成とその医療への応用が盛んに進められています。数理医学はそのための指針を提供することにつながると期待しています。さらに、数理医学分野には新しい数学の要素が潜んでいるように思いますし、可積分系や超離散系の拡張からも新しい有用な数学が生まれるのではないかと期待しています。

教育

定義を知っていれば、誤解されることがない

講義で用いる概念や言葉(記号)の定義を大事にしてほしいと思っています。
また、分からなくなったら、定義に戻って考える習慣ができると良いと思います。
数学は、厳密に定義され、証明されたことのみを用いる学問なので、数学の言葉を使えば、あるいは数理的に論述すれば、誰にでも誤解されることなく説明を伝えることができると実感してほしいです。
また、知ることよりも分かること、分かることよりもできること、できることよりも創り出すこと、がより意義があると考えてもらいたいと思います。
そして何より、数理工学の重要性を理解して、数理工学を学ぶこと、研究することを楽しんでもらえたら嬉しいです。

人となり

漫画家になりたかった子ども時代

幼いころ、「鉄腕アトム」という漫画に影響されて、科学に興味を持ちました(笑)。私は覚えていないのですが、大きくなったらアトムのようなロボットを作ると両親に言っていたそうです。

漫画家になりたいとも思っていましたが、絵が下手すぎたのであきらめました。中学生から高校生にかけては、切手収集と魚釣りにはまっていました。
大学の助手になって始めたのが、水泳です。今はやめているのですが、水泳の同好会に所属して、特にのんびりと長く泳ぐ遠泳をしていました。初島-熱海間12キロメートルの遠泳とか、千葉の館山での4キロメートルの遠泳です。スイミングマラソンと言って4人交代で42.195キロメートルを泳ぐという催しにも参加して、とても楽しかったです。
また、日本酒と魚が好きなので、居酒屋めぐりもしています。残念ながら、最近はその機会も減ってしまい、今はだいたい自宅でゴロゴロしています。YouTubeの釣りや漁の番組とか、肩の凝らないお笑い系の番組を見たりもしています。少し長期の時間ができたら、のんびりと一人旅をしたいなどと思っています。

―読者へのメッセージ―

数学で世の中の役に立ちたい人へ

工学の定義は次のとおりです。

”工学とは、数学と自然科学を基礎とし、ときには人文社会科学の知見を用いて、公共の安全、健康、福祉のために有用な事物や快適な環境を構築することを目的とする学問である。その価値は、地球規模での人間の福祉に対する寄与によって判断される”

数理工学は工学の一分野です。数理工学では、この目的のために高度に発達した数学を用い、この価値判断の基準に従って課題を定めています。私の研究も数理工学分野の一つの研究です。なかなか理想通りには行きませんが、さまざまな数学を工学の目的のために役立てることを目指しています。
私の学生時代には、原子力工学や宇宙工学が注目を集めていましたが、現在はAIなど情報技術の重要性が高まっています。学問・研究にも時代の流行があり、産業界でもてはやされる分野も時代とともに変わってゆきます。数理工学は表舞台に立つことの少ない学問分野ですが、時代によって注目度も重要性も変わることなく、常に必要とされ発展してきた学問です。
現代の数学は高度に抽象化されていて,専門に研究している人以外には難解で,ある種神秘的なものにさえ見えるかもしれません。ただ、数学の研究も、あまたある人の営みの一つには違いなく、その価値を見い出すのもまた人です。数理工学を通じて数学と人との強いつながりを感じていただければ大変嬉しく思います。

取材日:2023年5月