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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第48回 経済学(産業組織論) 経済学部 経済学科 新倉 博明 准教授

情報通信の発展が
市場に与える影響を考察

経済学部経済学科 准教授

新倉 博明 Niikura Hiroaki

慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。大学院修了後、シンクタンクを経て、ソフトバンクグループ株式会社での勤務を経験。2018年4月より武蔵野大学経済学部講師を経て、2022年4月より現職。専門は産業組織論、コーポレートガバナンス。

インターネットやスマートフォンの普及により、私たちの生活はそれまでと大きく様変わりしました。情報通信技術の発展は、生活のみならず、ほかの産業にも大小さまざまな影響を与えています。情報通信が生み出す変化に対して、企業、産業、市場を研究対象とする産業組織論の立場から実証的手法で理解を深めている新倉 博明准教授の研究を紹介します。

研究の背景

情報通信の高度化がもたらした変革

1990年代後半以降、情報通信産業は急速な発展を遂げました。私たちが使う情報通信端末を見ても、ポケットベル、PHS、携帯電話、スマートフォンと、20年ほどの間に次々と移り変わり、インターネット環境はすでに電気や水道と同じようになくてはならない社会インフラになっています。

かつて自動車が誕生したとき、その影響は自動車産業のみならず、物流をはじめとするさまざまな産業に及びました。そして、それぞれの産業の生産性を一気に向上させ、別の部門にも波及して新しい市場を創り出しました。それと似た現象が情報通信産業でも起こるのではないか、さらに、情報通信産業のような新しいビジネスモデルを学術的に分析すると、どのような制度設計が創造できるだろうか、と学生時代に興味を持ったことから、情報通信産業と市場構造にスポットを当てた実証的な研究に取り組んでいます。

研究について

女性役員数が企業の業績に与える影響を分析

現在、「情報」をキーワードに大きく2つの研究に取り組んでいます。

一つ目は、企業の取締役会における女性役員数の向上が、企業のパフォーマンスに与えた影響を分析する研究です。近年、世界中の企業で、取締役の女性割合を増やす動きが広がっています。ノルウェーをはじめとするいくつかの国では、取締役会の女性割合が一定以上になることを求めるクオータ制が導入されていますが、日本でも内閣府がプライム市場上場企業に対して「2025年を目途に女性役員を1名以上選任するよう努める」という指針を示し、大企業では女性役員が少しずつ増えてきました。

しかし実際には、社会的な評判を得るために形式上登用しているだけ、という企業も多く、女性が活躍できる土壌が醸成されているとは言えない現状があります。体裁を整えただけのこうした状況は「Window dressing」と呼ばれ、クオータ制を導入している国々でも起きています。

そこで、女性役員数が企業に与える影響を明らかにするため、企業の業績に関するデータ、取締役の属性に関するデータなどを収集して分析したところ、東証一部上場企業においては、女性取締役が2人以上いると業績を高める効果が見られることが分かりました。一方、東証二部、マザーズ、JASDAQの企業では、そうした効果は見られませんでした。女性取締役がいると企業のパフォーマンスが上がる理由として、役員の性別が多様化したことで、取締役会が得られる情報のソースも多様化し、重要な決定をする際に多様な情報を元により良い選択が行われた可能性が考えられます。 こうした分析を進めることで、女性役員数の増加には企業の業績を向上させる効果があることを実証したいと考えています。それが明らかになれば、企業側も法律やルールで「やれ」と言われなくても、利潤の最大化という当たり前の目的のために、女性役員を増やす判断をするようになるはずです。強制ではなく、多様な人達が活躍できる土壌が企業の中から自発的に生まれる世界になってほしいという願いを込めて、研究を進めているところです。

情報はモノの値段を「一物一価」に近付けるか

もう一つの研究テーマは、情報通信技術の発展によって、モノの値段は「一物一価」に近付くのか、というものです。

一物一価とは経済学の法則で、自由な競争市場で条件が同じであれば、同じ財は同じ価格になることを言います。しかし私たちが暮らしている実際の世界では、実店舗とネットショップで、またはネットショップ同士でも、全く同じ商品が異なる価格で販売されることが珍しくありません。同じ財でも価格が散らばる要因は、さまざまな先行研究によって分析されていますが、私が今注目しているのが、不動産市場における価格の散らばりです。

不動産市場は、全く同じ財が存在せず、さらに売り手と買い手が持っている情報量に大きな隔たりがあるという特徴があります。私たちが不動産を買ったり借りたりする経験は一生のうちでそれほど多くはありません。買い手や借り手のほとんどは、ほぼ素人の状態で、膨大な情報を持つ売り手と高額な不動産取引をすることになります。こうした不動産や中古車のように、売り手に比べて買い手が持つ情報が著しく不足している市場のことを、皮の外からでは中身の状態が分かりにくいレモンになぞらえて「レモン市場」と言います。

しかし、そうした不動産市場の状況を変化させつつあるのが、情報通信技術の発展です。たとえば近年は、不動産会社のプラットフォームサイトで物件の中の様子を写真や動画で見ることができたり、同じような条件の物件をピックアップして価格を比較したり、ネット上でたくさんの情報を簡単にチェックできるようになりました。これまでの研究では、不動産のプラットフォームサイトが公開されたタイミングで、その前後の不動産価格を分析したところ、価格の散らばりが減少したことが分かっています。売り手と買い手の情報の差が縮まることで価格の散らばりがなくなる、つまり一物一価に近付いていくのかに興味を持ち、検証を続けています。

今後の展望

情報の質にも着目してさらに深く検証

女性取締役の増加と企業のパフォーマンス向上に関する研究では、企業のデータを収集する中で、そもそも2人以上女性役員がいる企業の数が少ないという現状に課題を感じています。加えて、女性役員がいても社外取締役が多く、内部からの登用もほとんど進んでいません。そうした課題に対する研究からのアプローチも考えていきたいと思っています。また、社外取締役の中には一人で3、4社の役員に就いているケースもあるのですが、そうした場合、業績に対する効果はプラスになるのか、それともマイナスになるのかといった点にも興味があり、因果関係を明らかにしていきたいです。

▲2020年度日本不動産学会論文賞を授賞、新倉博明・直井道生・瀬古美喜(2020)「持ち家取得時の情報収集行動と住宅満足度」日本不動産学会誌, Vol.34, No.3

不動産市場に関する研究では、情報の量だけでなく質の重要性にも注目しています。不動産情報では「おとり広告」の問題があることが知られていますが、プラットフォームサイトで誰でも自由に見られる情報が増える一方、その中には質の悪い情報も混在しています。情報の量だけでなく質を担保し、消費者側のより適切な選択を可能にすることが、一物一価への流れに影響するのかを含め、これからも検証を続けていきたいです。また、今後は不動産以外の財についても、同じような分析をしてみたいと考えています。現在進めている2つの研究をさらに深め、研究成果が女性の社会進出や市場の公正な競争を促す一助になることを目指して取り組んでいきたいですね。

教育

理論と「実際のところ」を学ぶ場を作る

私は大学院修了後、恩師から企業の研究をするにあたって、机上だけでなく、実際の企業に勤めるのも、研究を深めるために良いのではないか、という勧めもあって、企業に就職して働いたことがあります。ビジネスの現場では、それまで学んできた経済学の理論通りにはいかない、現実の経済の有り様を肌で感じることができました。そうした経験を踏まえ、学生のみなさんにはテキストで基礎的な経済学の理論を身に付けた上で、応用的に考える力を養ってほしいと考えています。特にゼミでは、現実の経済を学んでいる実感がわくように学内で理論研究や実証研究を学んだあと、ビジネスの最前線で活躍されている企業の方に直接話をうかがったり、外部に見学に行く機会を作ったりしています。現場の生の声に触れることは学生にとって有益ですし、学びが記憶に残りやすいようです。もちろん理論は理論としてしっかり理解してほしいのですが、それだけでなく、「実際のところどうなのか」も含めて学生には教えるよう努めています。

学外での学びという点では、ゼミ生に毎年参加してもらっている論文コンテスト「日銀グランプリ」にも力を入れています。日銀グランプリは日本銀行が主催し、日本の金融・経済に対する提言を全国の大学生が行うもので、2021年度には私のゼミの学生がトップ10入りを果たし、奨励賞をいただくことができました。他大学の学生と競い合うことで経済を学んでいる意識が高まり、仲間と論文を作り上げながらチームワークも鍛えられるため、学生にとって良い経験になっているようです。

▲「日銀グランプリ」でゼミの学生が奨励賞を受賞

▲ゼミの学生とのBBQ

人となり

アートはアイデアの源泉

学生時代にオーケストラに所属していたこともあって、オペラやミュージカルによく行きます。オペラは、演出家によって衣装や舞台装置が変わったり、歌い手やオーケストラによって表現方法が違ったり、同じ演目で違いを見つけるのが楽しいですね。
美術館でアートを鑑賞するのも以前からの趣味なので、その流れでカメラで写真を撮ることにもハマりました。日本文化に興味があり、京都旅行に行った時は気に入った風景をたくさん写真に収めてきました。



▼新倉准教授が撮影した写真

趣味でも大学の図書館を有効活用

劇場や美術館に行く前には、テーマになっている作品やアーティストに関する本を読むようにしています。そのためによく利用しているのが、本学の図書館です。研究に関する専門書はさることながら、古典文学や古典戯曲など、さまざまな分野の蔵書があるのは総合大学としての本学の魅力の一つだと感じています。よく学生にも、旅行に行く前に行き先の歴史を一つか二つは図書館で調べていくことを薦めています。そうすると、単に観光地を観て「すごい」というだけではなく、「なるほどな」と思える点が増えるので、より見聞を深める旅になると思います。学生のみなさんには、もっと図書館に行って、授業に関係する本だけでなく、自分が興味を持った事柄や出来事に関する本も手に取ってみてほしいなと思っています。

読者へのメッセージ

私が専門とする産業組織論は、さまざまな学派が切磋琢磨することで、新しい制度設計が生み出され、それが公正な競争を促し、経済の発展に貢献してきました。他人の妨げをせず、道理に基づいた自由な競争によって社会が進歩するよう、これからもこの分野の研究に取り組んでいきたいと思っています。また、福澤諭吉の『学問のすゝめ』には、「経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり」という一節があります。経済学は、私たちの日々の生活に即した実学の側面があり、社会の発展に応じて新しい学問分野を創造してきました。経済学を学ぶ方には、多様な視点で課題にアプローチし、時流にとらわれずに客観的に物事を観察することが新たな前進につながることを意識して学修していただきたいと思います。

取材日:2024年6月