武蔵野大学仏教文化研究所「紀要」
No.34(2018年)以降の号は 武蔵野大学学術機関リポジトリにてご参照ください。
No.34(2018年)~No.40(2024年)
No.40(2024年2月) | 辻本 臣哉 | <研究ノート>三宝荒神の像容と金剛夜叉明王像 |
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佐藤 裕之 | トゥルシーダース作『ハヌマーン・チャーリサー』翻訳 | |
森 三喜 | <研究ノート>『タルカバーシャー・プラカーシカー』版本テキストに対するBORI所蔵諸写本の検討––śabda論の文章成立の三要件のテキストを中心に–– | |
飯沼 祥也 | <研究ノート>日本における「仏教と経済」に関する研究史 ―「ウェーバー・テーゼ」の受容と展開― | |
No.39(2023年2月) | 遠藤 祐介 |
宗廟祭祀改革と『断酒肉文』法会
-梁武帝の思想的連続性-
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大澤 広嗣 |
中国占領地の宗教対策
-興亜院華北連絡部の武田凞と中野義照-
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辻本 臣哉 |
神仏習合から反本地垂迹説への展開
-実者神肯定の歴史-
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丸井 浩 |
「無」(abhāva)の認識手段をめぐるニヤーヤ学派の議論
- Tarkabhāṣāprakāśikāの〈無の認識手段論〉の解読-
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亀山 純生 | 親鸞にとっての承久の乱の思想的意義と後高倉和讃の意味 | |
森 三喜 |
Tarkabhāṣāprakāśikāの単語認識をめぐる議論
-sphoṭa 説批判の訳注研究を中心として-
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賈 學霄 | 如來藏思想在中國的傳入與發展 | |
No.38(2022年2月) | 加藤 みち子 | 近代日本における「幸福」言説の登場 ー「幸福」言説の思想史への序論ー |
大澤 広嗣 | 霊場建設と日本勢力下のアジア -日華親善楔観音奉賛会と大東亜観音讃仰会の成立- |
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辻本 臣哉 | 迎講と来迎図 -山越阿弥陀図の画因について- |
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古賀 克彦 | <書評>長谷川匡俊著『近世浄土宗・時宗檀林史の研究』 | |
西島 達也 | 聖覚と親鸞の信心 -「よき人」の『唯信鈔』を読む- |
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大野 真実 | 「おなつ蘇甦物語」研究序説 -極楽描写の原典を巡る考察- |
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小笠原 亜矢里 | <研究ノート>近代医療制度のはじまりと仏教系看護婦養成所 -医療と家庭と宗教- |
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No.37(2021年2月) | 遠藤 祐介 | 梁武帝における理想的皇帝像 ー菩薩金輪王としての皇帝ー |
田中 無量 | 親鸞思想に基づく仏教「法学」論の研究序説(一) -親鸞における煩悩理解の二側面- |
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橋本 順正 | 日光山輪王寺蔵『常行堂聲明譜』による「例時作法」・「衆集」の検討 -親鸞伝中の「堂僧」に関する研究として- |
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古賀 克彦 | 〈書評〉 長澤昌幸著『一遍仏教と時宗教団』 | |
西島 達也 | 〈研究ノート〉 成真寺文書について-『長谷山御坊仮記禄』の翻刻- | |
No.36(2020年2月) | 加藤 みち子 | 江戸時代日本における天道信仰 -陰陽道の影響を中心に- |
大澤 広嗣 | 南洋における大谷光瑞門下生の活動 -オランダ領東インドと小谷淡雲- |
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古賀 克彦 | 宝永六年の東大寺大仏殿堂供養に於ける真宗と時宗・融通念仏宗の対比 | |
田中 無量 | 仏教からみる国際バカロレア教育の意義 -釈尊仏教の無我・縁起とIBの学習者像- |
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小笠原 亜矢里 | 『観無量寿経』における滅罪について | |
西島 達也 | 『親鸞伝絵』箱根霊告段に関する諸説の一考察 | |
柳井 重久 | 三階教における発菩提心について -同時代他宗派との比較を踏まえて- |
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冉茂娥 | 论九识思想出现的内在逻辑-以根本心识说为中心- | |
赵可意 | 《北山录》之服制探析 | |
No.35(2019年2月) | 大澤 広嗣 | 昭南興亜訓練所と南方特別留学生に関与した仏教者 -浄土真宗本願寺派僧侶の金谷哲麿- |
古賀 克彦 | 元禄五年の東大寺大仏開眼万僧供養に於ける真宗と時宗・融通念仏宗の対比 | |
辻本 臣哉 | 吉田兼倶と天台本覚思想 | |
佐藤 裕之 | スバドゥラー・クマーリー・チョウハーン作「ジャーンシー・キー・ラーニー」翻訳 | |
小笠原 亜矢里 | 『観佛三昧海経』における白毫相と光明に関する考察 | |
柳井 重久 | 「三階教」の懺悔に関する考察 -懺悔の単独性- |
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No.34(2018年2月) | 青木 裕子 | 花井記念室および結城豊太郎記念館に保管されている高楠家の人々からの書簡 -花井稲子と結城豊太郎宛ての書簡四通について- |
古賀 克彦 | 近世の東大寺大仏千僧会等に於ける真宗と時宗・融通念仏宗の対比 | |
田中 無量 | 道綽浄土教における因果論の教理史的研究 | |
南條 了瑛 | 近世真宗伝道の一考察 -東国における大蛇済度譚- | |
肖 越 | Self-Benefit and Benefit for Others in the Pure Land Sūtras | |
田湖/訳者:遠藤祐介 | 南北朝期における「地持学」兼学の伝統とその要因について | |
小笠原 亜矢里 | 阿含・ニカーヤにおける三十二相と百毫相についての考察 |
No.21(2005年)~No.33(2017年)
No.33(2017年2月) | 遠藤 祐介 | 梁代における『神滅論』批判と宗廟祭祀革命 | |
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田中 無量 | 曇鸞・道綽における仏身仏土の思想構造(下) | ||
春近 敬 | 『みどりご』誌にみる後期多田鼎の信仰理念 | ||
真名子 征晃 | 高楠順次郎と徳富蘇峰 ─徳富宛書簡の翻刻と概要─ | ||
大澤 広嗣 | <書籍紹介>中生勝美著『近代日本の人類学史ー帝国と植民地の記憶』 | ||
肖 越 | A Study of the Three Grades of Aspirants in the Larger Sukhavativyuha‒sutra | ||
小野澤 眞 | 「国宝 一遍聖絵」展にみる時衆研究 | ||
ケネス・タナカ | ≪シンポジウム報告≫ マインドフルネス瞑想と日本社会─仏教の突破口?─ |
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亀山 貴美子 | |||
酒井 菜法 | |||
平原 憲道 | |||
山下 良道 (スダンマチャーラ比丘) |
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No.32(2016年3月) | 遠藤 祐介 | 蕭子良における菩薩と統治者の合一 ―蕭子と孔稚珪の問答を通して― | |
原山 建郎 | 和語(ひらがな)が啓く「ほとけ」の世界 | ||
古賀 克彦 | 京都東山大仏千僧会に於ける「遊行」―「本願寺」と併せて 古賀補足資料:佛光寺と妙法院の古記録にみる近世真宗教団の様相 |
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大澤 広嗣 | アメリカ施政下の沖縄における宗教制度―琉球政府の施政と行政― | ||
肖 越 | Avalokiteśvara in the Earliest Version of the Larger Sukhāvatīvyūha Sūtra | ||
江田 昭道 | 《書籍紹介》ステファン=S=イェーガー著『パウル=ティリッヒにおける信仰と説教ならびに、浄土真宗における信仰と法話―宗教解釈学研究』 | ||
Jessica L.Main | ≪シンポジウム報告≫ 世界に広まる仏教の現状と未来―カナダ、韓国、中国、フランス― |
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金 天鶴 | |||
張 文良 | |||
Frédéric Girard | |||
No.31(2015年3月) | 春近 敬 | 清沢満之門下の「信念」―清沢没年前後を中心として― | |
大澤 広嗣 | 昭和前後の仏教界と連合組織―仏教連合会から大日本戦時宗教報国会まで― | ||
小野澤 眞 | 他宗祖師伝説―各地の寺院にみる信者獲得の一手法― | ||
遠藤 祐介 | 六朝期における頓悟説の展開―劉虬と蕭衍の頓悟説― | ||
マーク・エプスタイン | ≪シンポジウム報告≫ 仏教と心理学の協力と融合―これからの仏教となるか?― |
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井上 ウィマラ | |||
馬籠 久美子 | |||
田中 ケネス | |||
No.30(2014年3月) | 石上 和敬 | <悲華経>の梵蔵漢資料 補遺 | |
遠藤 祐介 | 竺道生の大頓悟説の特徴について | ||
大澤 広嗣 | 日泰文化会館の建設構想と仏教界 | ||
古賀 克彦 | 『大谷本願寺通紀』に見る時宗教団 | ||
肖 越 | 浄土へ往生する女性たちー仏教漢語学の新視点 | ||
No.29(2013年3月) | 大澤 広嗣 | 戦乱のベトナムと仏教者の鈴木宗憲 | |
大塚 紀弘 | 中世仏教における融和と排除の論理―「宗」と宗論をめぐって | ||
田中 無量 | 『往生論註』の「二種法身」と「広略」の関係再考 | ||
今井 崇史 | 非代償性災害時におけるトリアージが招く「命の選別の問題」に対する二河白道を基盤とした非身体的側面からのケアリングの模索 | ||
平原 憲道 | 「ゴムの手」と瞑想研究が切り開く身体論―認知科学と仏教の最前線 | ||
田中 智彦 | ≪シンポジウム提言筆耕≫ 仏教・浄土真宗のこれから―その可能性を問う― |
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高田 文英 | |||
爪田 一寿 | |||
大來 尚順 | ≪講演録・翻訳≫ エンゲージド・ブディズム ―新たなグローバル仏教における社会活動と公共事業― |
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No.28(2012年3月) | 岩田 真美 | 近代移行期における真宗僧の自他認識―超然の排耶論を中心に | |
江田 昭道 | 高校「倫理」教科書における浄土教の扱いについて | ||
田中 ケネス | 大乗仏教視点による親鸞の信心の考察―如来蔵思想におけるAdhimukti(信解)を中心として | ||
山崎 龍明 | 浄土真宗の教学と教団の展望 | ||
末木 文美士 | ≪シンポジウム提言筆耕≫ 親鸞に何をもとめるのか―現代と普遍の視点から― |
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頼 賢宗 | |||
張 偉 | |||
陳 継東 | |||
上田 紀行 | ≪公開講座講演要旨≫ 生き残れるか仏教?―ご門主との対談を受けて― |
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No.27(2011年3月) | 池田 行信 | 戦後親鸞論の諸相 | |
古賀 克彦 | 佛光寺と妙法院の古記録にみる近世真宗教団の様相 | ||
小野澤 眞 | 山崎弁栄と時宗当麻山無量光寺 | ||
藤丸 智雄 | 自死と仏教―律文献から | ||
渡辺 浩希 | 日本の宗教人口―2億と2-3割の怪の解 | ||
石井 研士 | ≪シンポジウム提言筆耕≫ | ||
江田 昭道 | 宗教とメディア―メディアは、宗教について何を伝えてきたのか― | ||
No.26(2010年3月) | 村石 恵照 | 巻頭言 ささやかな「まこと」 | |
多田 修 | 釈道安に見る仏教と戦争・平和の問題―前奏王苻堅との関係を中心に | ||
石上 和敬 | <悲華経>の先行研究概観 | ||
本多 静芳 | 『仏陀銀行』の実践とBNN | ||
種村 健二朗 | ≪シンポジウム≫ 「死ぬ苦しみからの解放と人間の成長」 ―スピリチュアルケア― |
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大下 大円 | |||
鍋島 直樹 | |||
渡辺 孝子 | |||
沼田 奨学生<企画> | ≪シンポジウム≫ 「仏前結婚式と学生の結婚観」 |
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No.25(2009年3月) | 前田 専學 | 巻頭言 慈しみの心 | |
古賀 克彦 | 近世宗外古記録に見る真宗教団 ―公家日記等の翻刻史料を中心として― | ||
高橋 審也 | 菩薩としてのゴータマ・ブッダと大乗の菩薩 | ||
前岡 慶映(他) | 「仏教と環境危機」パネルディスカッション | ||
石上 和敬 | Karunapundarikaの梵蔵漢資料 | ||
大來 尚順 | エンゲージド・ブッディズムの定義と日本語訳 | ||
No.24(2008年3月) | 山崎 龍明 | 巻頭言 大学教育はどこへ行こうとしているのか | |
村石 恵照訳 | アグネス・妙珠・エンジェエスカ著「臓器移植と仏教の生命尊重」 | ||
松本 賀都子 | 真言密教立川流研究ノート | ||
山崎 龍明 | 親鸞における人間の研究(三)―親鸞における煩悩論― | ||
中田 峰彦 | 仏教と言葉 | ||
高山 秀嗣 | 女子教育と近代仏教教団 ―女子文芸学舎を中心にして― | ||
No.23(2007年3月) | 田邉 祥二 | 巻頭言 無関心という名の病理 | |
山崎 龍明 | 親鸞における人間の研究(二) ―親鸞における煩悩論― | ||
本多 静芳 | 親鸞流罪の周辺とその意味 | ||
松本 賀都子 | 高齢期のSexualityと『般若理趣経』―十七清浄句の関係について― | ||
No.22(2006年3月) | 陳 継東 | 浄土真宗の教義はどのように中国に伝わったか ―『南京語説教』の発見とその意味― | |
常盤井 慈裕 | 師資相承の実態 | ||
前田 壽雄 | 親鸞における浄土の本質的意義 | ||
高山 秀嗣 | 清沢満之にとっての真宗大学 | ||
No.21(2005年2月) | 本多 静芳 | 行信論と教団教学 | |
松本 賀都子 | 老齢期の性 ―最後まで自分らしく尊厳を失わずにとの視点から― | ||
No.20(2004年3月) | 山崎 龍明 | 親鸞における人間の研究(一) ―親鸞の煩悩論― | |
石上 和敬 | 伝統仏教寺院の住職配偶者に関する一考察 ―特に住職後継者に対する教育という視点からー | ||
杉原 誠四郎 | 仏教と学校教育に関する一問題提議 ―唐木順三「現代史の試み」から― | ||
三上 岳 | 北インドの中世初期における王権 ―Harsacaritaの分析による試論― | ||
志茂田 典子 | 香と仏教Ⅲ ―菩提樹考― |
No.1(1983年)~No.20(2004年)
No.19(2003年3月) 25周年記念号 | 松本 史朗 | 『法然親鸞思想論』の問題点 | |
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村石 恵照 | 唯識観をめぐる現代的課題 | ||
陳 継東 | 近代仏教学における梵語と漢訳の認識について ―小栗栖香頂宛て南条文雄の書簡― | ||
小野澤 眞 | 時衆史新知見六題 | ||
青木 清彦 | 禅における心の探求 | ||
山崎 龍明 | 近代真宗教団における教学状況 ―日露・第二次大戦下の教団教学― | ||
志茂田 典子 | 香と仏教Ⅱ ―大谷光瑞『閑餘随録』・「香」を読む― | ||
三上 岳 | 北インドの中世初期における国家体制 ―Harsacaritaの分析を中心にして― | ||
No.18(2002年2月) | 山崎 龍明 | 親鸞における他力回向論の基底原理 ―『論注』般若方便思想と親鸞の教学的視座― | |
本多 静芳 | 浄土教の批判原理考察 | ||
志茂田 典子 | 香と仏像 ―宗教空間における香― | ||
No.17(2000年3月) | 田ノ倉 亮爾 | 日本仏教と人権概念 | |
常盤井 慈裕 | 善光寺式一光尊仏の起源 | ||
藤丸 智雄 | 『安楽集』における「三昧」の受容 | ||
石上 和敬 | 一音説法の展開 | ||
No.16(1999年3月) | 田ノ倉 亮爾 | 日本の経済的近代化と宗教倫理 ―「近江商人論」論争をめぐって― | |
本多 静芳 | 癒しと念仏 ―上田紀行氏所説の浄土教的理解― | ||
No.15(1997年12月) | 本多 静芳 | 真宗教団黎明期の教学状況~存覚~ | |
田ノ倉 亮爾 | 人権の教学の形成を目指して | ||
常盤井 慈裕 | 史上の真仏 | ||
No.14(1996年7月) | 山崎 龍明 | 蓮如論考 | |
田ノ倉 亮爾 | 人権理念と信仰 ―真俗二諦のパラダイムの彼方へ― | ||
本多 静芳 | 真宗教団黎明期の教学状況~覚如~ | ||
北條 文彌 | 浄土教の「信のプロセス」とその文明的意義 ―「信心と実践」論の究極のパラダイム― | ||
No.13(1995年9月) | 田ノ倉 亮爾 | ―十七世紀ピューリタニズムにおける人権概念の発生について― | |
田中 教照 | 親鸞における加害性の克服と利他 | ||
山崎 龍明 | 拓植信秀『新時代の親鸞教』覚え書 | ||
本多 静芳 | 『脳死・臓器移植』と仏教の倫理 ―論者の説を通して― | ||
No.12(1994年4月) | 田ノ倉 亮爾 | ||
常盤井 慈裕 | 南條文雄と真宗高田派 | ||
遠山 博文 | 浄土真宗の本尊 | ||
鈴木 善鳳 | 選択本願の意味するもの ―『摧邪輪』の批判を通して― | ||
北條 文彌 | 「真宗と政治」を考える基本的前提 ―「信の社会性」を責性ある議論とするために― | ||
No.11(1993年4月) | 田ノ倉 亮爾 | 神話と歴史 ―ブルトマンとエリアーデの比較― | |
山崎 龍明 | 親鸞の大無量寿経「五悪段」観について ―俗性の超克― | ||
本多 静芳 | 親鸞の神祇観(三) ―鬼(神)について仏陀観の変遷から学ぶ― | ||
常盤井 慈裕 | 専修寺二十二世法主堯猷と高楠順次郎の交遊関係について | ||
北條 文彌 | 宗教協力による世界平和 | ||
鈴木 善鳳 | 『摧邪輪』における「念仏三昧」について | ||
No.10(1992年6月) | 本多 静芳 | 念仏者の僧伽 ―浄土教の理念と倫理 | |
遠山 博文 | 浄土真宗の本尊 | ||
羽矢 辰夫 | 知の三つの様式 ―仏教とトランスパーソナルの接点(2) | ||
北條 文彌 | 宗教者・教団と政治参加 ―現実即応の実践教学の為のアウトライン― | ||
青木 清彦 | 謡曲と女人往生 | ||
No.9(1991年3月) | 田中 教照 | 浄土真宗の現代的難点 ―(2)衆生論について | |
田ノ倉 亮爾 | 宗教と女性 | ||
丸井 浩 | 儀軌解釈と行為論との連関構造の解明(2) | ||
本多 静芳 | 真俗二諦管見(その二) ―真俗二諦と清沢満之の「宗教的道徳(俗諦)と普遍道徳との交渉」― | ||
常盤 井慈裕 | 行基仏教の再考察 | ||
青木 清彦 | 翻刻「六道物語」下 | ||
酒生 文弥 | 日本人の三大エートス ―日本文明を内的に造形してきたもの― | ||
No.8(1990年3月) | 田ノ倉 亮爾 | 「ほとけ」という語について | |
丸井 浩 | 儀軌解釈と行為論との連関構造の解明(1) | ||
羽矢 辰夫 | 無記と無常 | ||
青木 清彦 | 翻刻「六道物語」上 | ||
本多 静芳 | 親鸞聖人と世俗の概念の問題をめぐって | ||
No.7(1989年3月) | 田中 教照 | 浄土真宗の現代的難点 ―(1)阿弥陀仏について― | |
小泉 春秋 | 「日本挽歌」序文にみられる仏教語について | ||
丸井 浩 | インド論理学派の解脱観について | ||
山崎 龍明 | 親鸞の信心(二) ―神祇護念の本質的味― | ||
田ノ倉 亮爾 | カミから神へ ―古代日本における神祇信仰の形成過程― | ||
本多 静芳 | 仏教に説かれる利益 ―親鸞の現世利益に至る周辺― | ||
青木 清彦 | 「一遍の他力難思の密意」 ―一遍聖絵中心として― | ||
No.6(1988年3月) | 田中 教照 | 『教行信証』における『涅槃経』の重要性 | |
高橋 審也 | 諸行の寂滅について | ||
山崎 龍明 | 親鸞の信心について(一) ―神祇不拝の周辺― | ||
本多 静芳 | 浄土教における善悪 ―社会倫理との関わり― | ||
田ノ倉 亮爾 | 比較思想方法論について | ||
青木 清彦 | 鈴木正三の「二人比丘尼」考 | ||
No.5(1987年3月) | 早島 鏡正 | 道綽から親鸞へ | |
田ノ倉 亮爾 | デイルタイの精神史について ―思想史学の方法論的原点を探る一試論― | ||
本多 静芳 | 十住毘婆沙論にみられる大乗菩薩道 | ||
青木 清彦 | 東嶺「洞上五位偏正口訣」私解 | ||
No.4(1986年3月) | 雲藤 義道 | 浄土真宗と妙好人 | |
花山 勝友 | 密教と現代 | ||
早島 鏡正 | 諸仏の出世本懐と正法住 | ||
田中 教照 | 親鸞の業思想 | ||
山崎 龍明 | 真宗者の視点 | ||
石上 智康 | nuclear deterrence と浄土真宗(二) | ||
青木 清彦 | 一遍の名号と公案 | ||
No.3(1985年3月) | 雲藤 義道 | 親鸞における往・還の二廻向 | |
花山 勝友 | 聖徳太子と現代 | ||
早島 鏡正 | 現代仏教聖典論考 | ||
田中 教照 | 親鸞思想における増上縁の語義について | ||
五十嵐 明宝 | 『教行信証』における逆謗摂取の意義 | ||
山崎 龍明 | 親鸞の女性観 | ||
石上 智康 | nuclear deterrence と浄土真宗(一) | ||
No.2(1984年3月) | 雲藤 義道 | 仏教における文化原理 | |
花山 勝友 | 仏教における女人成仏の思想 ―浄土真宗の立場から― | ||
五十嵐 明宝 | 本願一乗海における往還二廻向の発揮とその意義 | ||
田中 教照 | 浄土真宗の教義の倫理的側面 | ||
早島 鏡正 | 親鸞の現世利益観 | ||
石上 智康 | カトリックにおける核と平和 | ||
No.1(1983年3月) | 雲藤 義道 | 真宗における真俗二諦論について ―仏教における文化原理の一側面として― | |
花山 勝友 | 仏教における伝統的儀礼と近代化 ―真宗教義の立場から― | ||
五十嵐 明宝 | 本願一乗海における主体的自由と平和への理念 | ||
山崎 龍明 | 近代日本における真宗教団の動向(一) | ||
田中 教照 | 「問対略記」にみる浄土真宗の問題 | ||
石上 智康 | 「雪頂・高楠順次郎の研究」補遺(その二) |
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