学問の地平から
教員が語る、研究の最前線
第20回 臨床心理学
本学の教員は、教育者であると同時に、第一線で活躍する研究者でもあります。本企画では、多彩な教員陣へのインタビューをもとに、最新の研究と各分野の魅力を紹介していきます。
第20回 臨床心理学人間科学部 人間科学科 中島 聡美 教授
悲しみに沈む心に寄り添う治療を届ける
今後の展望
治療法の普及と臨床家育成に取り組む
複雑性悲嘆は、世界的に見ても、その概念自体がまだ一般的ではありません。病理や治療の研究に取り組む研究者が少ない分野である一方、先にもお話したとおり、有病率が2.4%と非常に高い疾患でもあります。今後、J-CGTやENERGYについて無作為化比較試験を行い、有効性をはっきりと示すことで、治療現場への普及に繋げたいと考えています。

現場への普及という点では、人材育成も大きな課題です。複雑性悲嘆もPTSDも、精神科のクリニックなど一般の臨床では基本的なケアも難しい状況にあります。専門的な治療ですから、治療法を身につけるには大変な労力が必要ですし、治療者を育成する指導者も不足しています。私も研修やスーパーヴィジョンを行っていますが、本学のセンターを基盤に臨床家の育成をさらに進め、少しでも多くの方が治療を受けられる環境をつくっていきたいと考えています。さらに、専門的な心理療法に関心のある臨床家が、大都市に偏っているという問題もあります。個人的には、都道府県単位でトラウマなどを扱う拠点病院をつくり、そこで臨床家を育成、サポートする仕組みを作ることで地域偏在を解消できるのではないかと考えています。
一般の方への研究の紹介という点では、過去にNHKの「あさイチ」で複雑性悲嘆とその治療について取り上げる回があり、私も出演させていただきました。最近では、精神科の看護師が主人公の漫画「こころのナース夜野さん」(水谷緑、小学館『月刊スピリッツ』で連載中)で複雑性悲嘆とその治療が取り上げられました。こうした作品などを通して、被害者支援や悲嘆に対して少しずつ社会的な理解が広がることを願っています。
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▲小学館『月刊スピリッツ』1月、2月号「こころのナース夜野さん」連載中

教育
心理療法の実績豊富な本学ならではの学びを
学部では、精神医学、心理実習、司法・犯罪心理学などの授業を担当しています。本学には、トラウマや犯罪被害者、心理療法を専門とする先生が数多く在籍し、心理臨床センターや認知行動療法研究所は、トラウマの治療では日本で最も臨床経験のある心理療法センターと言っても過言ではないと思います。学生には、そうした環境だからこそできる学びを体験し、確かな知識を身につけてほしいと考えています。

さらに、知識を身につけるだけでなく、ぜひ「大学生らしい学び」をしてほしいですね。大学は、既に分かっていることを理解する場ではなく、まだ分からないことを主体的に追究していく場です。まずは自分が何に関心があるのかを知り、それについて疑問を持ち、専門書や文献を使って理解を深める力をつけることができるよう指導しています。また、せっかく人間科学科で学ぶのですから、人間の心理について深く考え、人間の存在そのものを客観的な視点でとらえるとともに、人の心の痛みを理解する経験もしてほしいと思います。その経験が、今世界が直面している多様性や偏見の問題に向き合う力になり、人の尊厳や価値性を見直すことにも繋がると思います。
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人となり
人の尊厳や心を支える仕事をめざして
人の心や心のケアに興味を持ったのは、中学生くらいのころだったと思います。きっかけは、当時話題になっていた灰谷健次郎さんの本。『兎の眼』や『太陽の子』を読んで人の尊厳や心を支える大切さを感じ、いつか自分の仕事にできたらいいなと思っていました。当時は臨床心理士という職業がなく、「人の心を支える仕事」としてイメージしやすかった仕事が、精神科医だったんです。どうしても精神科医になりたくて、本当は血を見るのが大嫌いだったのですが、大学では医学部に進学しました。

大学在学中、児童思春期の専門医である稲村博先生(故人)が行っていた不登校児のキャンプでボランティアを経験して刺激を受け、思春期・青年期が専門の精神科医を目指すようになりました。不登校や社会不安症、ひきこもりになった子どもの治療やケアには、投薬治療だけでなく、傾聴や支持、家族アプローチなどの心理的ケアが求められます。そこで心理療法への関心や学びを深めたことが、現在の研究領域に結びついています。
止まらない「ペンギン愛」
小さいころからペンギンが大好きなんです。友人にもらった世界各国のペンギングッズであふれる私の研究室は、「ペンギン御殿」と呼ばれています。

好きになった時のことは今でも覚えていて、たまたま見ていたテレビの南極特集で、氷に覆われた真っ白な大地に1羽のペンギンがピンと立っている映像を見て、その雰囲気が何とも言えず「いいな!」と思ったんです。子どものころは、ペンギンの研究者になりたいと気持ちも少しだけあったのですが、調べてみたら南極に着くまでにすごく荒れる海域があることが分かって、車酔いする私には無理だな、と諦めました(笑)。
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オーストラリアに、野生のペンギンが海から巣に帰る姿をすぐそばで観察できる有名な島(フィリップ島)があって、学会でメルボルンに行った時、学会後に念願叶って観察ツアーに参加することができたんです。小さなフェアリーペンギンがぴょこぴょこ歩くのを、ペンギンを驚かせないようにただただ黙って見守るという、それだけのツアーなんですけど。もう至福の時間でしたね。仕事をリタイアしたら、南極大陸でペンギンを見るツアーにも行ってみたいです。
―読者へのメッセージ―
臨床でトラウマの治療に携わっていると、子どもの頃の体験が人生に及ぼす影響の強さを感じずにはいられません。子どものころに虐待を受けた経験は、その後の人生で、PTSDやうつ病を含めさまざまな疾患や障害のリスクになり得ます。一方で、ひどいトラウマを受けても不思議なほど心が健康でいられる人もいるのですが、そうしたレジリエンス(回復力)を持つ人たちの多くは、周囲の人に愛されていると感じながら子ども時代を過ごしています。子どもが「自分の存在に価値がある」「自分は愛されていて幸せだ」と感じられる社会、レジリエンスを育む環境をつくっていくことがいかに大切かを、今私たちはあらためて考え、行動していく必要があるのではないでしょうか。
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取材日:2022年2月