第5回 経済学 経済学部 経済学科 田中 茉莉子 准教授(取材当時)
経済学者としての知的好奇心を追求し、新たな分野を開拓
経済学部経済学科 准教授(取材当時)
田中 茉莉子Mariko Tanaka
東京大学経済学部卒業、経済学部総代。特に優れた卒業論文に対し授与される大内兵衛賞を受賞。経済学研究科修士課程及び博士課程を修了[ 博士(経済学)]。 東京大学大学院経済学研究科 特任研究員、東京大学大学院経済学研究科附属日本経済国際共同研究センター(CIRJE) 学術支援専門職員、明海大学経済学部 講師を経て、2014(平成26)年に武蔵野大学に着任。 統計研究会金融班委員会 委員、東京経済研究センター(TCER) フェロー。
現代社会においては、政府や大企業の行動から私たちの日常に至るまで、「経済」との関係は切っても切り離すことができません。しかし、意思決定のツールとしての「経済学」を、私たちの社会はまだまだ使いこなせてはいません。 今回は、生涯学習などの「リカレント教育」と経済成長の関係など、従来はその効果が数字で見えにくかった分野について、経済学的な分析とモデルづくりに取り組んでいる、田中茉莉子准教授の研究をご紹介します。
政策形成や意思決定に寄与するモデルづくりを
経済全体の動きに目を向ける
私の専門分野は経済学の中でも、マクロ経済学と言われる分野になります。テレビや新聞、WEBなどのメディアでは、“少子高齢化”、“企業の人手不足”、“為替レートの変動”、“税制改革”など、経済と関係する話題が日々あふれています。多くのみなさんは、「日々のくらしや企業の活動に、具体的にどういった影響があるのか」ということに関心を持って、それらのニュースに接しておられるのではないでしょうか。それを明らかにしていくのが、経済学の役割です。 そして、経済学的にものごとを分析するにあたっては、「個々の消費者や企業がどのように行動し、影響を及ぼし合うのか」、「それら経済活動の結果として、経済全体がどのように動いているのか」という、大きく分けて2つの視点が重要になってきます。このうち、前者の視点を軸としたものがミクロ経済学、後者がマクロ経済学と呼ばれています。 では、マクロ経済学の研究者として具体的に何をテーマとしているかですが、現在は主に「国際金融」「経済成長」の2つの分野に取り組んでいます。
決済通貨を数学的に分析
国際金融については、主として企業間の取引における決済通貨の研究を行っています。(※1) ドル、ユーロ、円など主要な通貨はいくつかありますが、どの通貨が決済通貨として選ばれているかというのは、地域によってだいぶばらつきがあります。それらを、データをもとに数学的にモデルを作って分析しています。地域ごとにその要因を明らかにしながら、取引コストが最小となるようなその企業にとって最適な選択を考えていきます。 また、現在は総合的にみてドルの利便性が高く、世界の為替相場における基軸通貨となっていることはみなさんご存知のとおりです。それが今後どのように変化していくのかということは、国際経済にとって非常に重要なトピックです。中国の元が台頭していくのか、あるいは別の通貨が大きな位置を占めるようになるのか、それによって国際経済のありかたも変化してきます。そういった動向も研究の対象です。 このテーマに取り組んでいるのは、データを集めモデルを作成して分析していくことが好きという、シンプルな理由もあります。もともと、学生時代には経済理論を専攻していました。研究の材料として、国際決済銀行(BIS)などの豊富なデータが存在しているため、それらを駆使して研究に取り組めるのが魅力です。
経済成長に社会人教育が果たす役割に着目
―日本経済の未来への関心から―
もう1つの分野である経済成長については、一研究者としての「これからの日本経済はどうなっていくのだろうか」という疑問が出発点になっています。近年の日本は、高度経済成長、バブル景気とその崩壊を経て、「失われた20年」と称される時代を歩んできました。今後については、ゼロ成長や低成長しか見込めないという考えもあれば、AIなどの技術革新によって高い成長も可能であるという考えもあります。 目下、少子高齢化によって、日本は深刻な労働力の減少に直面しています。この問題に対しては、女性やシニア、外国人材の活躍促進などの政策が進められています。しかし、それらによる量的な増加だけでは減少分を補うのは難しく、質的な拡大にも目を向けていく必要があります。 また、技術革新の加速と、長寿化による就労年数の増加とが並行して進むことから、個々の労働者にとっても、絶えずスキルをアップデートしていくことが不可欠になると考えられます。 経済学では、人間の持つ知識や技能を「資本」として捉え、「人的資本」という言い方をしますが、この人的資本の蓄積をいかに高めていくかが、日本の経済成長の鍵を握っていると言えます。
―「リカレント教育」をテーマに
そこで私は、経済協力開発機構(OECD)が1970年代に提唱し、国際的に認知さている社会人教育の概念「リカレント教育」に着目しました。 リカレントとは「繰り返し」や「循環」を意味する言葉で、リカレント教育は、社会に出てからも労働や他の活動と交互に、生涯にわたって繰り返し教育を受けること、それを支える制度全体を示す言葉です。現状、日本で「生涯学習」というと、余暇やリタイア後の趣味的な学びのイメージが強いですが、それらに加えて、各種の実務的なセミナーや職業訓練、大学の社会人向けの課程なども含む非常に広範な概念になります。本学でいえば、社会人入試制度、学部及び大学院の通信教育課程、一般の方向けの生涯学習講座などがそれにあたります。 ただ、社会人のスキルアップや女性の活躍促進など、様々な視点からリカレント教育の必要性が注目されるようになったとはいえ、実際にその効果が数字として明らかにされているかというと、まだ不十分な点があります。また、多岐にわたる概念であるため、どの分野をどのように振興すれば効果的であるのかも明らかにする必要があります。 そこで、先行研究のあまりみられなかった、リカレント教育と従来の学校教育との関係性や費用対効果などを明らかにしていきたいと考えました。
リカレント教育の経済成長への寄与を明らかに
現在の具体的な取り組みとしては、公益財団法人東京経済研究センター(TCER)の2017年度研究助成金などを得て、リカレント教育を進めるにあたり、政府がどのようなサポートをするのが望ましいのかを説明するモデルづくりに取り組んでいます。(※2,※3) 加えて、内閣府の平成28年度国際共同研究においてもリカレント教育をテーマとし、そちらは昨年度に論文が完成しました。その研究では、大学など従来の高等教育とリカレント教育との関係性、人的資本の蓄積による経済的な効果についての分析を行いました。 その結果、従来の若者対象の高等教育とリカレント教育が補い合うような関係、つまり、高等教育によって高い教育水準に達した労働者に対して、リカレント教育が新たなスキルを提供するような関係の場合は、経済成長にも効果があり、リカレント教育を民間に委ねても自ずと発展が見込めることがわかりました。逆に、高等教育を代替するような関係、大学教育を受けられなかった人が大学卒業資格を得るために活用されるような役割に留まる場合、経済成長への寄与も少なく、政府の支援が必要であることもわかりました。 今後も研究を継続し、政策判断の指標となるようなモデルづくりを進めていきたいと考えています。
研究者としてのあゆみ
金融危機への疑問から、経済学の道へ
もともと、小中学生の頃から、社会に対する関心の高い子どもでした。父が銀行に勤めており、仕事のことや関連する世の中の動きを、家でよく話してくれた影響だと思います。 その社会全般への興味が、特に経済という分野に向けられたのは、中学3年生の時期です。当時、日本は金融危機の渦中にあり、北海道拓殖銀行や山一證券の破綻のニュースが、テレビで繰り返し報じられていました。山一證券の社長の会見など、今も強く印象に残っています。父と同じ業界の出来事でしたので、「みんな一生懸命働いているのに、どうしてこんなことになってしまうのだろうか」という疑問が、経済学を志すきっかけになりました。 その後、大学に入学したのとほぼ時を同じくして小泉政権が誕生し、今度は構造改革というキーワードが世の中を席巻しました。その時代に大学時代の前半を過ごしたことが、経済学の中でも、経済政策という分野を意識するきっかけになったと思います。
数学的な面白さに魅了される
ただ、研究を仕事としたいという漠然としたイメージはあったと思いますが、明確に研究者を志望して大学に進んだわけではありませんでした。具体的に進路として意識したのは、学部時代にゼミに所属してからです。非常に自由な雰囲気の中で、先輩たちが活発に議論を交わしている、そんな環境に惹かれて、経済学研究をライフワークにすることを決めました。 子どもの頃から、わからないことを知りたい、興味のあることを追求したいという性格だったためか、学部・大学院時代も様々なテーマに取り組みました。加えて、経済学の数学的な側面にも興味があったようで、サーチ理論や世代重複モデルといった新しい分析手法を取り入れ、自分の研究テーマに活用したいと考えていました。 大学院修了後は、日本政策投資銀行設備投資研究所で非常勤研究員として企業の流動性や資金調達の研究をしたり、東京大学の特任研究員や学術支援専門職員(Research Associate)として通貨や経済成長の研究に取り組んだり、今につながる経験を積むことができました。
今後の展望
政策形成の基礎となる先行研究を
マクロ経済学の研究をしていて面白いと感じるところは、経済というものが、単純に私たちの活動を拡大したものにはならないというところです。一人だけの人生なら、それまでの歩みやその人の考え方、方向性がわかれば、ある程度は予想がつくかもしれません。しかし、大勢の人や組織が関係すればするほど、予測は困難となり、予期しないことが起こります。 その前提に立ちながらも、これからの日本経済や国際経済がどうなるのだろうという原点の疑問に対し、素直に研究を進めていきたいと思います。当面は、現在のテーマを基礎として、どうすれば経済成長を実現することが可能なのかということ、統合の可能性も含めたアジア地域の通貨の動向、この2つを追いかけていくつもりです。政策の提言ということはあまり考えていませんが、政策形成の基礎となるような先行研究を、いくつか形にできればと考えています。 また、学生を育てるということにも、より力を入れていきたいと思っています。ゼミの学生との議論は楽しいですし、経済学に興味を持って主体的に学んでくれるようになると、本当にうれしいですね。
読者へのメッセージ
経済学、特にマクロ経済学の場合、お話が抽象的になってしまいがちで、親しみを抱いていただくのが難しい面があります。 しかし、経済というものを非常にシンプルに考えれば、私たち一人ひとりの活動が全体に影響を与え、それが私たちの暮らしや仕事など日常に戻ってきているという、一連の流れだということができます。 急速な技術革新が進む現代、AIやビッグデータをはじめ、具体的なイメージを掴みにくい言葉が飛び交っています。しかし、それらが日常にどう関わり、逆に日常がそれらの技術開発にどう影響を与えているのかという視点で捉えていただくと、面白いのではないでしょうか。 また、経済学は、一つの答えを提供してくれるものではありません。前提や条件が異なれば、分析の結果も異なってきます。まず基準を立て、そして分析するというアプローチは、情報があふれ選択肢の多さに困るようなこの現在の社会にこそ、必要な考え方であると思います。ぜひ、身近な関心や疑問を入り口に、経済学の価値に目を向けていただけたら幸いです。(※4)
取材時(2017年12月)から掲載(2018年5月)までの期間に、下記の追加情報がありました。
※1 決済通貨に関する研究について、平成30年度科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)基盤研究(C)の交付の内定を受けました。- 研究課題名:「サーチ・マッチング理論」による第三通貨の国際的流通に関する理論的・実証的研究
- 期間:平成30年度~平成32年度
- 田中茉莉子 ”Human capital accumulation through recurrent education” TCER Working Paper No. E123 2018年3月
- タイトル:「少子高齢化でも日本が繁栄するための秘策」
日本の経済成長における教育およびリカレント教育の役割について、30分の講義を行う予定です。