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学問の地平から 教員が語る、研究の最前線

第46回 仏教学 人間科学部 人間科学科 日野 慧運 准教授

経典の研究を通して、
あらゆる思想につながる
仏教の普遍性にたどり着く

人間科学部人間科学科 准教授

日野 慧運Hino Eun

2005年東京大学文学部思想文化学科卒業。同大学人文社会系研究科アジア文化研究専攻(博士課程)修了。東京大学文学部特任研究員などを経て、2017年より武蔵野大学人間科学部人間科学科助教。2018年に同専任講師、2020年に准教授に就任。現在仏教思想学会理事、浄土真宗本願寺派関係学校同和教育研究会推進委員などを務める。

「日本人は無宗教」とよく言われます。しかし、今でも日本人の多くは仏教の様式でお葬式を出し、お墓参りをし、あるいは観光で寺院を訪れて建物や仏像の美しさに親しんでいます。古代インドで生まれ、6世紀半ばに日本に伝わったこの宗教がなぜこれほどまでに現代の日本人の生活習慣や美意識に入り込んでいるのか? サンスクリット語などで書かれた古代の経典を読み解く研究者である一方、僧侶でもある日野 慧運准教授の講義を聴けば、その謎の一端が分かるかもしれません。

研究の背景

大学時代の恩師のアドバイスで道が開ける

私は岐阜県の寺で生まれ育ちました。現在はその寺で僧侶としても働いています。そうした縁もありまして大学に入学後は「仏教学」の講義を受けました。といっても大学で学ぶ仏教学というのは僧侶になるための学問ではありません。あくまでも仏教を研究対象として研究する学問です。実は大学での専門分野を選ぶにあたって私は少々迷っていました。仏教学への興味は尽きないのですが、西洋哲学などを含めて幅広く思想を学んでみたいという気持ちがあり、その頃から研究者の道も意識していました。

自分だけではなかなか結論が下せないので「仏教学」の担当教授に相談してみました。するとその先生は「広い視野を持つことは大切。同時に研究者を目指すなら一つの専門分野に深く根を下ろすことも重要だ。仏教学は根を下ろすに値する学問で、そこから枝葉を広げればあらゆる思想、学問につながる普遍性がある」と仰ってくださり、私も仏教学を志す決心ができました。ちなみにこの恩人である先生は、今年度新設された武蔵野大学ウェルビーイング学部の下田正弘教授でした。下田先生には大学院時代までご指導いただきましたので、現在、武蔵野大学で同僚として働いていることは、ちょっと不思議な気分です。

そうして大学3年から私は「仏教学」を専門に勉強することになりました。と言ってもまずはインド語で書かれた文献を原語で読むための語学力を身に付けなくてはなりません。結局、学部はサンスクリット語、パーリ語、さらにチベット語などの勉強に終始し、本格的な研究活動は大学院修士課程から始まりました。

私が大学院で研究対象に選んだのは先輩から勧められた『金光明経(こんこうみょうきょう)』という経典です。仏教にはさまざまな経典があり『法華経(ほけきょう)』『般若心経(はんにゃしんぎょう)』などは多くの皆さんが耳にしたことがあるかと思います。『金光明経』もそうした経典の一つで、仏教の開祖・釈尊の死後1000年近く経った4~5世紀頃にインドで編纂されたものです。この経典が興味深いのは「過渡期」に成立したということで、当時のインドにおける複雑な宗教状況が経典の中身から伝わってくるのです。

研究について

仏教とヒンドゥー教が競い合う時代に成立した『金光明経』をどう読むか

仏教のユニークな点は、キリスト教の聖書やイスラームのクルアーン(コーラン)と異なり、釈尊の死後に次々と新しく経典が編纂されていることでしょう。もちろん信仰の上では人間が新しく経典を作ったとは言えません。そのため、たとえば「失われた経典が見出された」「瞑想の中で仏の真意を見出した」などという形で新しい経典が登場してくるわけです。

『金光明経』が成立した4~5世紀のインドの仏教をめぐる状況は、スリランカやタイなどに今でも伝わる出家による自力救済を説く厳格な初期仏教と、中国や日本で一般的な、出家者に限らず一般大衆の救済を掲げる大乗仏教が混在している状況でした。そしてちょうどこの時代には、現在のインドで主流宗教となっているヒンドゥー教が成立しています。ヒンドゥー教は仏教以前にインドで広まっていたバラモン教という宗教が、仏教などの新勢力との摩擦と土着化を経てリニューアルしたものです。そもそも仏教はバラモン教の祭式主義や厳格な身分制度、いわゆる「カースト」への批判を唱えた宗教ですから、ヒンドゥー教との相性は決して良くありません。そのため仏教とヒンドゥー教はライバルとして競合しながら、一部混じり合ったりするような状況でそれぞれが教えを広めようとしていました。

ちなみにその後200年ほどすると、その両方を統合して乗り越える新バージョンの仏教として、密教が現れてきます。チベット仏教や、日本で平安時代に弘法大師(空海)が開いた真言宗がこの密教と呼ばれるタイプの仏教です。

『金光明経』は密教登場以前の、仏教とヒンドゥー教が競い合い、混じり合いつつある「過渡期」に成立しました。私はそうした当時の宗教・思想界状況が経典に反映されていると見立てて、書かれている中身を細かく分析しながら、それが編纂された背景や状況を推察する、という研究していました。

今後の展望

「創立100周年」に際して、近代日本の仏教学と女子教育に尽力した学祖・高楠順次郎にアプローチ

『金光明経』の研究は大学院時代から数えればすでに20年以上になります。すでに自分ができることはある程度やり切ったという手ごたえを感じています。そろそろ新しい研究対象を探す潮時のような気もしています。

実はここ最近、学校法人武蔵野大学創立100周年をきっかけに、学祖・高楠順次郎について調べています。明治から昭和初期にかけて国際的な仏教学者として活躍した高楠は、1924年に武蔵野大学の前身となる武蔵野女子学院を設立しました。ちょうど今(2024年4月現在)放映されているNHKの「朝ドラ」の主人公のモデルが、大正時代に法学を学び日本初の女性弁護士になった方ですが、高楠は同じ頃に仏教精神を根幹とした女子教育で女性の社会進出を後押しした先覚者です。

仏教は紀元前に生まれた宗教ですが、「仏教学」は近代以降に生まれた新しい学問です。高楠の生涯と業績を通して、彼がどのように仏教を捉え、研究だけではなくそれを教育に生かしていったかをたどっていく作業は、研究としてもとても面白く、また大学教員として学ぶことが多いと感じています。いつかぜひNHKで高楠を主人公にしたドラマを制作してほしいです。もしNHKの方が見ていたら、ぜひ私に監修をやらせてください(笑)。

教育

仏教学の研究で培った研究力をフル活用し、現代的なテーマを「教える」ための試行錯誤を続けている

武蔵野大学の学部生に対しては「東洋思想論」「仏教概説」といった科目で仏教に関する教養的な知識、中国思想(儒教や道教など)を教え、またゼミでは現代の生命倫理(尊厳死、臓器移植など)、あるいは環境倫理などのテーマについて指導しています。

 研究者としての専門分野からはかなりはみ出していますが、こうした授業内容を自分で勉強し、学生たちが興味をもって学べるよう授業内容を組み立てています。今も試行錯誤していますが、「教える」ことに取り組むようになってから先ほど申し上げた恩師・下田先生の「仏教学は根を下ろすに値する学問で、そこから枝葉を広げればあらゆる思想、学問につながる普遍性がある」という言葉をあらためて思い出すことになりました。仏教学という専門分野で身に付けた研究の進め方が、他の分野の研究でも十分に活かせることを実感したのです。さらに、仏教という歴史的にも地理的にも広い範囲にまたがる思想体系を学んだおかげで、西洋や現代の思想についてもその重要なポイントに見当をつけることができ、面白さや意義、さらに弱点を把握することができたのです。大学で教えることを通して、私自身が仏教の普遍性にあらためて気づくことができました。

人となり

大学教員としての試行錯誤

▼法衣姿で講話をする日野准教授

大学教員の多くは研究のプロですが、必ずしも教えるプロではありません。私自身も小学校~高等学校の教員のように教職免許状を持っているわけではなく、学生たちに仏教や様々な思想の面白さをどのように伝えていくかを日々試行錯誤しています。

ただやはり大学で学ぶことは高校までの勉強とは違うと思います。学生の皆さんは自分が面白いと感じることを話している先生を見つけたら、その人がどんな研究に、どのように取り組んでいるかに興味を持ち、できればそのマネをしてみる……大学ではそうした意識で、自分の関心を追求し、学んでいただければいいのではないかと思っています。自分の経験から言えば、それでその先生と一生の付き合いになることだってあるのですから。

趣味は映画・演劇鑑賞

学生時代からの私の趣味と言えば、映画や演劇を鑑賞することです。時間があった学生時代はオールナイト上映に通って数えきれないほどの作品を見ていました。大学教員になってからは、講義やゼミの題材として映画作品を利用することもありました。ただ最近は思いのほか仕事が多忙ですっかり映画・演劇を見る時間がなくなってしまったのが残念です。現在は岐阜から東京の大学まで通っていますので、その長い通勤時間を利用してタブレットなどで映画を見るために動画配信サービスを契約しようか、現在思案中です。

―読者へのメッセージ―

学生の皆さんは「仏教」にたいしてどのようなイメージをお持ちでしょうか? 私は講義を通して、紀元前のインドで生まれた仏教が、なぜ世界各地で現代人の心をもとらえることができるのか、その理由の一端が伝わるようにお伝えしたいと思っています。

もし私の講義やゼミをきっかけに「仏教学」について専門的に学びたいと思うようになった学生がいれば喜んで指導します。ぜひ大学院に来てください。また仏教そのものに興味があるという学生、あるいはご両親の方は、僧侶としてお寺にご招待します。その人に応じて日々の暮らしやこれからの人生に役立つお話ができると思います。

取材日:2024年4月