学問の地平から
教員が語る、研究の最前線
第38回 日本語教育学・言語教育政策
本学の教員は、教育者であると同時に、第一線で活躍する研究者でもあります。本企画では、多彩な教員陣へのインタビューをもとに、最新の研究と各分野の魅力を紹介していきます。
第38回 日本語教育学・言語教育政策グローバル学部 日本語コミュニケーション学科 神吉 宇一 教授
「道具」の先にあることばの本来の役割。めざすべき日本語教育の在り方とは
今後の展望
人と人を繋ぐ日本語教育は社会の責務
「多文化共生は、非母語話者(外国人)が日本語を使えるようになりさえすれば、実現できる」。そう思い込んでいる人が多いのですが、そんなことはありません。日本語教育が日本語の知識やスキルを学ぶだけのものなら、教育が実を結ぶかどうかは本人の努力次第、ということになるのでしょう。しかし、日本語教育が人と人が繋がり、共生社会をつくるためのものと考えると、私たち日本語話者側の関わりや変化も求められます。

実は今、日本には、日本語を勉強したいと思いながら学べてない人が何万人もいます。また、日本語はできるけれど日常生活で日本語を使う機会がない人や、日本に住んでいながら、日本人と一切接点を持たず、日本語以外の言語文化コミュニティの中で生活が完結している人も大勢います。そうした人たちと日本語話者を繋ぐ日本語教育が、外国人も日本人も安心して暮らせるコミュニティづくりには欠かせません。平和で、一人ひとりが自分らしく、幸せに生きていける社会を創出するために、ことばの教育がどのような役割を担うことができるのか。これからさらに研究を深め、理論化していきたいと考えています。
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教育
学生に意識してほしい3つのC
私のゼミでは、「社会を今よりちょっとだけマシにしよう」を合い言葉に、学生が社会と積極的に関わりながら学びを深めています。他学科や学外の組織とも連携し、これまで、障がい者アートと地域づくり、食の多様性など多様なテーマに取り組んできました。

さまざまな活動をする中で、学生には3つの“C”を意識してほしいと思っています。ひとつ目はcritical(クリティカル)であること。これは、自分が当たり前に思っていることに対して「別の視点があるんじゃないかな?」と批判的に見る姿勢を持つという意味です。ふたつ目はcreative(クリエイティブ)であることで、何かを与えられるのではなく、自分で新たな価値を生み出すことを意識してほしい。そして、最後がconvivial(コンヴィヴィアル)であること。社会教育学者のイヴァン・イリイチのことばですが、人が他者や周囲のもの・環境とどのような関係性を持ち、それらに隷属せず自由に生きていくことができるのかという問題意識を踏まえたことばで、「自立共生的」と訳される語です。

私自身は「今よりちょっとだけマシな社会」として、共生社会の実現ということをテーマにしています。それを実現するために、学生たちには、前向きに楽しみつつ、多くの人が知的な好奇心を刺激されて「一緒にやりたい」と思うようなアプローチで、自律的・自立的に社会を変える力をつけていってほしいですね。

人となり
小学校の先生から日本語教育の道へ
大学を卒業して5年間、地元の北九州市で小学校の先生をしていました。日本語教育に興味を持ったのは、教員のキャリアを生かして海外に行ってみたいと思ったから。「日本語教師だったら、明日からでもなれるでしょ」と軽く考えて、勉強せずに日本語教育能力試験を受けたら、見事に不合格でした(笑)。それをきっかけに、日本語教育を仕事にするなら本気で勉強しようと思い、教員を辞めて大学院に入りました。

大学院在学中に2年間ベラルーシで日本語教育に携わり、その後、経済産業省系の財団法人で、外国人材の日本語教育に関わることになりました。ちょうど、経済連携協定に基づいて、初めて東南アジアの国々から看護師や介護福祉士候補者を受け入れた時期で、前例のない事業に携わるのはとても面白かったです。そこで海外からの研修生の日本語教育に携わって分かったのは、日本語がそれほどうまく使えなくても、みんな普通に仕事はできているということでした。むしろ、日本語教育はいらないんじゃないか、と受け入れ企業や研修生本人にも言われました。ただ、研修生がつたないながらも日本語で周りとコミュニケーションを取っている職場は、外国人の離職率が低いことも分かってきた。そのあたりから、日本語教育とは何かをあらためて考えるようになり、今の研究に繋がっています。

自然豊かな長野での暮らし
今でこそ「対話」とか「共生」とか言っていますが、学生時代はバレーボール部で、「強さがすべて」みたいなめちゃくちゃ体育会系の人間でした。大学時代からは裏方に回り、試合ごとにスパイクやブロックのデータを集計する技術統計判定員をしていました。上級判定員という国際資格を日本で初めて取りました。就職せずに日本代表チームのアナリストにならないか、という話もあったんですよ。その時は「地元で先生になるから」と断ったのですが、やっておけばよかったなあと今になって思うことがあります。
好きなものは徐々に変わっていくタイプで、20代から30代はウイスキーにハマっていました。特に、スコッチウイスキーの聖地であるアイラ島のシングルモルトが好きで、たくさん集めていました。その次にハマったのが寿司。東京はもちろん、出張先でもお店を開拓したりして、外食はほぼ寿司という時期もありました。

昨年、首都圏から長野県内に引っ越したこともあって、今は飲み歩きや食べ歩きはしなくなりました。その代わり、自宅で漬物を漬けたり、梅干しをつくったりして楽しんでいます。自宅の周りには鳥や虫がたくさんいて、この前は家の前を大きな鳥が歩いていて驚きました。「クジャクだ!」と家族で大騒ぎしたのですが、近所の友達に「キジだよ」と教えられました。野生のクジャクっていないみたいです(笑)。
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―読者へのメッセージ―
私たちはつい、ことばは意思疎通のためにあると考えてしまいますが、それはことばの役割のごく一部に過ぎません。みなさんにも、ことばを学び、使うとはどういうことなのかを、あらためて考えていただけたらと思います。また、多様な人とともに生きる社会をつくるには、“意思疎通のため”“必要なこと”だけではなく、実は“用事がなくても話す”ということがとても大事だと思っています。みんなでもっとことばを使っておしゃべりして、対話的に世の中をつくっていきましょう。
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取材日:2023年8月