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Vol.05

「宗教は科学的ではないのか?」

尊敬する人はいますか? 私は、ダライ・ラマ14世を尊敬しています。何度かお会いしたことがありますが、人間として醸し出す雰囲気が別格です。私は科学に立脚する大学教員をしているので、正直言って、宗教に対しては距離を置く立場を取っていました。しかし、2012年11月にダライ・ラマさんと利根川進さんという二人のノーベル賞受賞者の対談を大きなホールの一番前の中央の席(つまりふたりの目の前)で拝見する機会があり、ここでの二人の話に感動したのを覚えています。

利根川進さんは、登場早々「私は科学者だから、宗教のような非科学的なものは信じない」と挑戦的でした。ダライ・ラマさんはどう対応するのだろうと、興味津々に見ていたら、「仏教にはスーパーネイチャー(形而上学、自然科学では説明できないこと)は出てこないんですよ。科学と矛盾しないんです」と説明し、利根川さんがどんどん柔和な顔になっていったのをはっきりと覚えています。すごい包容力。競争に対して協創。

しかも、ご存知の通り、中国の弾圧によりチベットを追われ、長く亡命政府の長を務めていたにもかかわらず、「中国の人々の幸せを願う」とも発言されています。大きな愛。包容力と、寛容と、誠実。

というわけで、仏教は、宗教ではなく、多くの日本人の文化的背景を構成する思想であると捉えることもできるのではないかと私は考えています。科学では説明できない「神」という存在を仮定する宗教にはスーパーネイチャーが出てきますが、仏教には神はいないのです。

そういえば、神イコール自然であると断言している神道研究者もいました。神は自然の比喩であると考えると、神道にもスーパーネイチャーはいないことになります。

哲学者スピノザも、著書『エチカ』の中で、神イコール自然であるという結論を導いています。東洋にも、西洋にも、宗教はスーパーネイチャーを扱っていないという思想が存在するのです。

大乗仏教には如来や菩薩のようなスーパーネイチャーが仮定されているではないか、という指摘もあるかもしれません。しかし、「阿弥陀仏がみんなを救ってくれるんですよ」と説いた親鸞でさえ、念仏を唱えると無上仏(この上ない仏)になれるのだが、無上仏には形がない、形がないから自然なのだ、形がないその様を伝えるためにそれを阿弥陀仏と呼ぶのだ、と言っています。

つまり、見方によっては、宗教は、意外と科学に近いのではないかということもできそうです。

ではブッダの言葉とは? という話をするつもりでしたが、誌面がなくなってしまったので、その話は次回。
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