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Vol.39

「無意識の偏見をなくそう」

前回の「おかあさんといっしょ」のときにも少し述べましたが、偏見を助長する言葉を使うときには気をつけよう、という考え方が広まってきています。

言い換えられるようになった言葉も多々あります。土人は先住民に、肌色はペールオレンジに、保母は保育士に、看護婦は看護師に、スチュワーデスは客室乗務員に、障害者は障がい者に、痴呆症は認知症に、精神分裂症は統合失調症に、という具合です。

片手落ちという表現も、手のない人への差別的な表現だと考えられる可能性があるので避けられるようになりました。しかし、片手落ちの語源は「片手・落ち」ではありません。「片・手落ち」、すなわち、片(一方の)・手落ち(手続きが不十分であること)という意味です。身体的な意味、差別的な意味のない言葉なのです。
 広島育ちの私は小学校の頃、原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を読みました。戦争反対、原爆反対の思いを強くしたのを覚えています。しかし、近年では、「はだしのゲン」は多くの差別用語が含まれている漫画とみなされています。原爆や戦争の悲惨さを学ぶためには読むべき本が、別の理由で読めなくなることを、残念に思います。

言いたいことは、差別的だからと蓋をすることよりも、差別そのものを理解し立ち向かうことの方が重要な局面を忘れるべきではないということです。

そういう意味では、これまで述べてきた一般的使用禁止用語の話よりも、一般市民の無意識の差別の方が私は気になります。

あなたは、「障がい者はかわいそう」と思うことはありませんか?

これは無意識の差別・偏見です。すべての人は、幸せに生きる権利を持っています。すべての障がいは個性であり、すべての人が持つ個性の延長線上にあります。医学的に対処する必要性から、障がい者というレッテルが貼られているだけです。かわいそうに思うためではありません。その方々がよりよく生きられるように、社会が配慮するための名称です。
「かわいそう」という上から目線が分断を生みます。こちら側の人と、あちら側の人。マジョリティーとマイノリティー。そうではありません。私たちは皆、マイノリティーなのです。

日本では、障害者は約10人に一人、LGBTQは15人に一人と言われています。その他のマイノリティーと呼ばれる人もたくさんいます。いえ、すべての人は、その個性により何らかの生き辛さを抱えているのではないでしょうか。

そんなすべての人々の生きづらさを、かわいそうと思うのではなく、個性と受け止め、尊敬・尊重し、愛おしく思い、力を合わせてともに生きていく。そんな、個人個人のあり方への意識変革が必要なのではないでしょうか。すべての生きとし生けるものが幸せでありますように。
 
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